猫田に小判 -新館 -

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2024年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

スタンスを確認する、という話

No. 102 :
#金継ぎ #陶磁器修理 #徒然なる日記

古いブログには書いてあったが消えてしまったので、改めて金継ぎ修理のスタンスについて書き残しておこうと思う。というのは、金継ぎがブームになるにつれ、私の立ち位置は意外なほど世間の一般認識の金継ぎと乖離しているんだな、と気付いたからだ。

元々、金継ぎというのは漆芸という世界の端の端の端に在るか無いかもはっきりしないような感じで存在していたもので、頼まれたからやってあげるけど自発的にやる類のものではないという考え方がベースとして有ったというのはどこかで話したように思う。安価な器の金継ぎは断るという考え方は割とスタンダードだったし、その割には、やり方は適当で、漆芸家でも漆を使うの勿体ないし時間を掛けるのも面倒だから石膏とか接着剤で形にして金色に見えるように上辺だけ着彩しておけば良いじゃんという感じだったり、下地から漆を使っても木材主体で長期的に実用出来る想定の直しではなく見た目重視の装飾として行われていた。漆じゃ強度が足りない時はエポキシを使いますと公言していた漆芸家も居た。そもそも金継ぎについて質問しても答えが非常に偏っていて、基本的にはそういう風にやっているからと言われるだけで理論的な回答は殆ど無かったと言ってもいい。大都会の東京でも金継ぎはそんな感じの扱われ方をしていたというのが30年くらい前の話。
20年前に田舎へ帰ってくるのを機に、もうちょっとちゃんと使えるように陶磁器を直すことを考える人が居ても良いんじゃないか、と思って店をやることにした。

で、その時に「陶磁器の町医者」という基本コンセプトを考えた。だから、薄ピンク色の十字を真ん中にシンボルとして置いて、その周りに「本当に大切なものと 少しでも長く一緒にいたい そんな想いのために」とキャッチコピーを記述したチラシを作って陶器店を周ったりした。「ほん陶」という店の名前は、このキャッチコピーをもじったもので、本当にちゃんと直しているんだよ、という意味も込められている。ホームページにも同じ文言を付けていたが、長いので今は「いつまでも大切に使いたい想いのために」と短くしているが、気持ちは変わっていないつもり。

そんなわけで、私にとって金継ぎというのはあくまでも修理というか、治療みたいなスタンスだ。
実際にお医者さんがどういう考えで病院をやっているのかは知らないが、私は、入院した人が、元の生活に戻れるように最善を尽くすのが医者じゃないのかと思っていて、陶磁器の町医者も同じだろうと考えている。
入院した人が以前と同じ毎日を続けられるようなったら退院OKなわけで、患者をアスリートや天才になる英才教育を施して退院させる必要はないと考えている。だから、金継ぎはアートや自己表現行為だとか、直した器は付加価値の付いた作品だとは考えていない。当然、患者様である器の情報や写真は外部には一切出さない守秘義務も厳守している。
個人的な理想としては「わぁ~金継ぎがしてある!」と思われるよりも「言われてみれば金継ぎしてあるね」程度に気付いてもらえるくらいが御の字だろうと思っている。大切なのは金継ぎした事ではなく、器が少しでも長く以前と同じ毎日が続けられるようになること、元の器にとってベストであること、それをするのが陶磁器の町医者の仕事じゃないかなと思う。(怪我してないのに顔に絆創膏付けて可愛さアピールするヤンキー文化って昔あったね、そういえば。あんまり関係ないけど急に思い出した。)

というわけで、私自身は金継ぎで表現者になる気は無いし、自分の事を金継ぎ師とか金継ぎ作家と名乗った事は全くない(&今後も名乗る予定はない)のだが、かと言って、ヤブ医者だと思われるのは嫌だし、民間療法じみた事に似非科学で色を付けた医者気取りにもなりたくないので、地味でもちゃんとした治療が出来る陶磁器の医者ではいたいよなぁと常々思ってはいる。
とはいえ、実際は分からない事も多いし、毎回、本当にこれで良かったのかと思いながら器を返却しているのが実情で、個人的な理想を盾にお客様の大切な器に私が手を入れちゃってすみませんと心の中では思ってます、はい。
こんなスタンスでやっているので、最近、結構暇なんです。世間のブームとは隔絶された陶磁器修理屋でございますが、ご縁を感じる時がございましたらどうぞ気軽にお声掛け下さい。よろしくお願いいたします。

〔 1838文字 〕 編集

2024年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

錆漆のキモは水だったという話

No. 101 :
#金継ぎ #ガラス用漆 #どうでもいい思い付き

古いブログを削除してしまったため、いつから使っていたか正確には言えないのだが、店を始めたかなり初期の頃にどこかのサイトでシランカップリング剤を漆に入れるとガラスに良く密着するようになるという話を見付け、サイトの主にメールを出したところ、ガラス用漆というのを売っている店があると教えて頂いた。内容物が全く記載されていないため、サイトで記述したようなシランカップリング剤を入れた漆か確証はないとの事だったが、東京の陶芸教室で仕事をしていた頃に「液体セラミック」というシランモノマー液を目止め剤として使っており、今は説明が省かれているが、昔は容器のラベルにコンクリートなどに浸透してポリマー化しシリカと結びついて防水効果を発揮する。アメリカの衛生法取得した安全性の高い薬剤といった内容の説明書きがされていて、シランがどんな物なのかは何となく分かっていたし、全く異なる方法でガラスと漆を結び付けるとも考えにくく、当たらずとも遠からずな漆なのだろうと試しに購入。陶磁器も鉱物粉をガラスで焼き固めている物質なのだから、通常の漆よりは間違くなく結合力は高かろうということで金継ぎに使う事にした。
実際、錆漆に使う砥の粉の成分はほぼ100%シリカ(二酸化ケイ素)なのでガラス用漆で作った錆漆は非常に硬く丈夫であり、スライドガラスに付けて乾かすと水に浸けてもちょっとやそっとでは取れないから、まぁ間違いなくシランカップリングが作用していると思われる。(その後、いつからか陶磁器にも使えるとか、金継ぎに使えるという説明書きが付くようになっていた)

そんなわけで、その時に見付けたガラス用漆を20年近くは使っていたわけだが、シランカップリング剤や漆の高騰でガラス用漆もやたら値段が高くなってしまい購入するのにも勇気が必要になってきたため、他の漆屋のサイトをいくつか見て、値段が3割くらい安いガラス用漆を購入してみた。今まで使っていたものよりも少し粘り気が強いかなという感じはしたが、多少の差こそあれ何処で買っても大差はないだろうと甘く見ていたのが仇になる。
これまでと同じ砥の粉、配合で錆を作るも、なかなか混じらない上に、作った錆が全く固まらない。漆だけならば問題なく固まるが、錆にすると何故か固まらない。配合の問題かと思って漆と水と砥の粉の割合を変えてみても、表面は僅かに乾くことはあれど押すとプニプニして中まで固まる気配なし。

同じガラス用漆だと思っていたが、よもや全く違うものなのかもしれないと思いながら、もしかしたらと水をpH試験紙で測定したところ青色に変色。pH8のアルカリ性だった。水道水はずっと中性(pH7)と疑わずにいたのだが、調べたら意外と塩素の量をまめに調整しているらしく、水道水というのはpH5.8以上8.6以下と幅があると知る。
今年は暑いから雑菌繁殖抑制のために塩素多目で調整されているのかもしれない。だから、うちの水道水はpH8~8.6になっているのか。

すぐさまドラッグストアで精製水を購入し、それで錆を作ってみたところ以前のガラス用漆よりも時間は掛かるものの同じように固まったことで、原因が水のpHだと確信。
pHの問題ということならば、アルカリ性の水道水もクエン酸で調整してpH7にすれば固まるのではないか?と試してみたところ、やはり時間は掛かるが中まで固まった。ただし、爪を立てると硬くはなっているし、爪の跡が付くほどではないのだが職人の勘レベルで硬さに違いがあるような感じがする。同じpH値ではあっても、精製水のように不純物がほぼほぼゼロのpH7と、塩素やクエン酸が入ったpH7では、硬化に差が出るということなのかもしれない。

錆漆は水を入れた本堅地は硬度が低く、無水の堅地こそが最も硬度が高いというのは昔から言われている事なのだが、私が昔、鉛筆硬度法で調べた限り大きな差は無かったため加水の有無は関係しないのではないかと考えてきた。
で、思い出したのだが、硬さを調べていた頃は確か当時最も不純物を除去できるとされていたフィルタの国産浄水器を使って濾過した水を使っていた。
フィルターの値上がりが半端ないので何年か前から飲料用は外国の浄水ポットを使うようになり、更にフィルタはサードパーティーの中国製にして、金継ぎ用はそれも使わず水道水をそのまま使うようになっていた。
それでも以前に使っていたガラス用漆は頑張って固まってくれていたわけだが、以前のものよりも安めのガラス用漆(それでも通常の素黒目漆よりは高いのだが)は顕著に水の違いに反応してしまったという事なのか、と目から鱗である。

錆漆の硬度、言い換えれば漆の硬化なわけだが、それは水の質に大きく影響を受ける。
pHの影響が一番大きいのは言うまでもないが、たとえ同じpHであっても、精製水のように限りなく純粋なH2Oに近いものほど錆漆は硬く、不純物が増えるほど硬度は落ちる。そういう事なのだ。
私は陶芸視点で錆を見るため、錆はあくまでも可塑性のある粘土であり、粘土の粘りを生むには水が必須であり加水は当然であった。だが、塗料を塗り重ねるという漆芸の視点では、水を抜いて鉱物と混ぜるという発想が生まれるのだろう。塗料は塗るための接着性と乾いた後の硬さは必要だが可塑性はむしろ邪魔になるし、水という不安定要素は排除する方が賢明だということで、加水しない方が硬いという言い方が生まれたのではないかとも考えられる。

当然と言えば当然なのだが、私にとっては完全な盲点であった。

なお、最終的に、安い方のガラス用漆を配合から調整し直して仕事に使うのは流石に時間も掛かるし面倒ということで、良い勉強になりましたと言って冷蔵庫で眠りについて頂く事にして、以前に使っていたガラス用漆を買い直す事にした。痛い出費ではあるが致し方ない。
それと、今後、錆漆を作る時には精製水を使うと決めた。精製水はドラッグストアで安価に購入出来るのは、せめてもの救いである。

〔 2501文字 〕 編集

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #金継ぎ

何年か前に光コラボのプロバイダーが酷かったので乗り換えた話をした。
前回は訳も分からず契約して失敗したので、今回はしっかりと内容を吟味し、切り替えたのは「enひかり」というプロバイダ。enひかりは安いし速度低下も無いので極めて良心的なプロバイダーで全く不満が無い事に加え、毎年夏にお中元が届くという律義さでもう頭が上がらない。

去年は素麺だったが、今年は素麺にタコ焼きの粉のセットであった。
粉もん文化圏の人間ではないので、家にタコ焼きプレートは無いし、そもそもたこ焼きを食うのは2年に1回あるかないか。これを機会にタコ焼きプレートを買うのもなぁと思って袋の裏を見たら、同じ粉でお好み焼きも作れるとレシピが書かれていた。粉を溶いた汁って同じものだったのか。知らなかった。
お好み焼きは、最近、カット野菜と卵を混ぜてレンジで加熱してから、かつお節とソースとマヨネーズを掛けるとお好み焼きモドキが作れると分かり、昼飯に何度か作っていたので、これに粉汁を入れたら多分出来るのだろうという予測は出来る。
というわけで、カット野菜を使ってレシピ通りの分量の粉汁を混ぜてレンジで加熱してみたところ、それっぽいお好み焼きになった。

粉は4人分あり、まだ何回かお好み焼きを作る事が出来るので、毎日、昼はお好み焼きを食べる事にしたのだが、計量が面倒なのでカット野菜も水もレシピを見ずに適当に混ぜたら、お好み焼きというよりもデカいタコ焼きを食っているような感じになった。それで気付いたのだが

「お好み焼きは粉汁を繋ぎとして具材を固めた料理で、タコ焼きは粉汁に具材を入れて固めた料理だ」

お好み焼きは焼き物だが、タコ焼きは膜で覆われた煮物。つまり具材は似ていても、料理のアプローチが全く違う。タコ焼きの中トロというのは、汁気の多い煮物だからなのか。
お好み焼きは鉄板、タコ焼きは特殊形状という道具の違いも、こういう理由からなのかと妙に納得した。

すると、頭の中で急に結びついた事がある。錆漆の扱いだ。

金継ぎのやり方のハウツーを見ていると、錆漆には非常に柔らかいものを作って重ねる方法と、硬めのものを作って厚めに盛る方法の2つがあって、同じ錆漆でもかなり混ぜる比率に幅がある。
個人的に金継ぎで使う錆漆は硬めの方が良いと思っているので、何故、柔らかいものを使うのか不思議だったのだが、これって料理の違いと同様でアプローチの違いなのではないだろうかと。

では、どういうアプローチなのかと考えた結果、恐らく胎の違いによるものだろうと推測出来た。
私は金継ぎから漆を扱うようになったので、陶磁器ファーストで漆の扱い方を決めてきたため錆は粘土の延長線上にある。だから「鉱物粉を漆で繋ぐ」という考え方で砥の粉と水と漆以外は使わず、粘りが出るまでしっかりと錬ることで硬めの錆にするのだが、漆器を作ってきた人は、木製品ファーストで漆の扱い方を決めてきたため「厚塗りが出来る硬めの塗料」というアプローチで練り数が少ない柔らかい錆を使っている。練り数が少ないため可塑性として米糊を入れる。
このように、同じ錆でも、胎に対するアプローチの違いで硬さに違いが出るのだと思われる。

漆単体よりも早く凹みを埋めるという目的は同じでも、こうやって違いが生まれるのかと妙に納得した。

〔 1432文字 〕 編集

2024年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

金色にしてどうするの?という話

No. 99 :
#徒然なる日記 #金継ぎ #どうでもいい思い付き

エアコンが無い部屋は日中30℃を超える。
人間、30℃を超える部屋でずっと仕事をしているとどうなるかというと、先の事を考えられなくなる代りに昔の事をやたらと思い出すようになる。
次に何をするか、次に何が起こるのかという事を考える不確定要素の選択は、暑さで神経系統にダメージがあると難しいという事なのだろう。
前にどこかで書いたかもしれないが、私は過去(特に自分の過去)に興味がない人間なので、昔の事を思い出すというのは懐かしさは微塵もなく、ただただ苦痛だったりする。まぁ、それはさておき、そんなわけで目の前の錆を削る動作だけを何とかして続けていると、昔の記憶がポツポツと池に沸く泡のように関連も無く出ては消えるを繰り返すのだが、そこで急に思い出したのは、私が金継ぎ仕事を始めた20年くらい前は「器を修理したいが、直したところを金とか銀にして何が良いのか?」という問い合わせがやたらと多かったという事(依頼主さんが直した器を家で見せたら、金色は余計じゃないかと家族に言われて凹んだというのも本当によく聞く話だった)。それと、外国の人は黒楽や瀬戸黒の茶碗のように真っ黒な器は、日本人で言うところの「ケ(ハレとケのケ)」に相当するので全然好きじゃない。更にそこに修理が入っていたら、それが金色でもお話にならない器なのだという話。
そうだった。あの頃の金継ぎの認知なんて、その程度のものだった。金継ぎに概念とか哲学なんていうものは影も形も無かった。骨董趣味な人が「見立て」として多少楽しんでいる程度のことだった。

それで気付いたのだが、今の金継ぎを褒める文脈って、要するに日本人や外国人に「売り込むための物語」という必要性から出てきたものなんだろう、十中八九。
ここ何年かで急に金継ぎに意味を持たせたり、歴史改竄まがいな話で祭り上げるようになっていて、これは一体、どうしたことなのかと疑問だったのだが、やっぱり売り込むために創作した文脈なんだというのが、なにかはっきりした。ような感じがする。

〔 886文字 〕 編集

金継ぎの意味合いという話

No. 98 :
#徒然なる日記 #金継ぎ #どうでもいい思い付き

金継ぎが「壊れたことを隠さず美しく装飾して目立たせる」という話は昔からの思想みたいに言われているが、私が仕事を始めた頃に金継ぎのそんな解釈は聞いたことが無かったし、昔の書物にそういう話も出てこないので(そもそも金継ぎは修理跡を隠すために蒔絵をしているわけだし)、恐らくこの思想もどきは、明治維新に茶道が陥落して茶道具が二束三文で市中に出回った後、割れ物を少しでも高値で売るための方便としてあった話を掘り返してきたか、SDGsで一発当てようと考えた人が作った江戸しぐさみたいなものだろうと思っている。金継ぎ自体は現象や結果であって、そこに良い悪いや上下は無いと思うが、変な思想とセットになって善行として勘違いが広まっていくのは困ったもんだなとは思う。

まぁ、困ったことはさておき、では、現代において金継ぎの思想って一体何なのかと考えていて気付いたのは、金継ぎって意外とロックと同じ立ち位置だったりするのではないかという事。金継ぎがロックなわけではなく、あくまでも立ち位置ね。
ロックは音楽ではなく人生だとか言ったりするけれど、要するにロックな生き方を選ぶ、その結果、ロックという歌が形として現れてくるという事なのだと思う。
金継ぎもそれに似ているような気がして、では、金継ぎはどんな生き方に対して現れてくるものなのかというと、突き詰めれば「手入れをしていく」という生き方なのだと思う。手元にある物に対して手を入れてくという生き方を選んだ。それを表すものとして金継ぎした物というのが出てくるのではないかと思う。

圧倒的に物が足りない時代であれば、手入れをするのは仕方が無いというか、それ以外の選択が無いので生き方とは違うものだと思うわけだが、物が多過ぎる現代においての手入れは、選択的生き方の一つということになるのだろう。消費を繰り返すという生き方に対して、手入れを繰り返すという生き方、みたいなのが金継ぎの意味合いとしては一番大きいのかもなぁと考えている。

〔 868文字 〕 編集

2024年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記

また不正侵入された。
分かったのは、index.htmlファイル名を index.html.oldに書き換えて、index.phpファイルを生成しているという事。どうも週一でアタックかけられているような感じ。
index.html.oldのファイル名をindex.htmlに直し、index.phpファイルを削除する手順で使えるようになるのは分かったので、とりあえずレンタルサーバに報告しておいた。

〔 234文字 〕 編集

どうも改ざんのターゲットにされたっぽい話

No. 96 :
#徒然なる日記

困ったことに、またサイトが改ざんされてアクセス出来なくなっていた。

どうやらindex.htmlファイルを削除してフィッシングサイトに飛ばすWordpressのindex.phpのファイルを置くという手法と思われる。一度成功すると巡回先に登録され、定期的に同じ処置をしていくプログラム動作なのかもしれない。
幸いにというか、Wordpress関連は全て削除してあるのでプログラムの途中でエラーが出てフィッシングサイトに飛ばす被害までは出ていなかったようだが、その代わりにindex.htmlが削除されているのでサイトにはずっとindex.phpのエラー表示が出ていた模様。

こんな事を言うのも何だけど、登録先が過疎地かどうかの判定も入れて巡回断念するA.I.も併せて作ってもらえたら、たぶん、ここに来ることは無くなるだろうしお互いにウィンウィンなんだがな。いや、根本的にそういう事をするのが消滅してくれたほうが嬉しいけど、それは無理でしょうから。

〔 456文字 〕 編集

2024年5月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

猫田さんと猫田に小判の話

No. 95 :
#徒然なる日記 #猫

サイトの不正アクセスで旧館のブログを閉鎖にしてしまったためブログタイトルを「猫田に小判」にした理由も消えてしまったので、一応、書き残しておこうと思う。

このブログは、元々、東京の陶芸教室で仕事をしていた時に迷い込んできた子猫の「猫田さん」を、私が田舎に戻る時に連れて来てしまったため、陶芸教室の皆さんに猫田さんの現状報告をしようと思って立ち上げたものだ。
「猫に小判」という諺は「馬の耳に念仏」と同じ意味で使われるが、田舎に無理やり連れてきたのに頑張って私に付き合ってくれている猫田さんに感謝を伝えたいという気持ちから、猫田さんに小判を献上するという意味で付けたタイトルが「猫田に小判」だったりする。諺ありきで付けたタイトルではあるが、意味は全く逆というか、猫に小判の意味合いは無い。

猫田さんは田舎に来てから10年くらいで天に召されてしまったが、出会った事への感謝は変わらずということでブログタイトルはそのまま残している。
X(旧ツイッター)のアカウントは、このブログタイトルに由来している。

〔 474文字 〕 編集

猫田に小判 -旧館- を閉鎖にした話

No. 94 :
#徒然なる日記 #告知 #猫

何日か前に、レンタルサーバのサポートから「ご利用サイトが不正アクセスにより改ざんされフィッシングサイトへリダイレクトされていると通報があり、改ざんと思われる挙動を確認したためサイトの公開停止措置を実施致しました。」というメールが来た。緊急処置でFTPパスワードを変更したので、変更パスワードでサイトに入って確認してほしいとの事。
どうせ新手のスパムメールでしょと思ったのだが、送信アドレスを確認したところ、どうやら本当にレンタルサーバサポートらしく、サイトを確認してみたら「403 Forbidden」と表示されている。FTPで入ってみたらパブリックフォルダの属性が000になっていて、これは間違いなく本当の話だと分かる。

サイトの再開を希望するが、そのためにはどうしたら良いのか?とメールしたところ、改ざんされたのはWordpressを使った猫田に小判-旧館-で、レンタルサーバ側でWordpressの初期化を実行しないといけない。ただし初期化をするとWordpressの記事は全消去になるという説明を受けた。
え~、こんな誰も見ていないようなサイトに忍び込んで改ざんしたところで何もメリット無いだろうと思うのだが、Wordpressは今や世界標準と言ってもいいほどのブログCGIだし、不正アクセスで改ざん出来るなら弱小サイトだろうが関係なく片っ端からやっているということか。にしても、まさか自分のところが改ざん対象になった上に初期化でデータ消えるという青天の霹靂。

猫田に小判-旧館-は使っていないとはいえ、1996~2000年までやっていたイラスト仕事や、2003年に栃木に帰ってきてから金継ぎ店を始めるまでと始めた後の試行錯誤やノウハウを書いたり、何よりブログタイトル「猫田に小判」の元になった猫田さん(東京で拾って栃木に連れてきた片目の猫)の生前の話と写真の思い出が詰まりまくりのログである。元は「ぶろぐん」というCGIでやっていたのだが、開発中止でPerlのバージョンに対応出来なくなったためログをエクスポートしてWordpressに突っ込んで何とか残したという経緯があって、その時のエクスポートしたログが残っていれば良かったのだが、壊れたiMacのハードディスクの中にあるため取り出すことが出来ない。

どうしたものかと散々悩んだのだが、どちらにしても過去ログは消滅してしまうわけだし(そもそも不正改ざんでログがどの程度残っているかも分からない)、Wordpressを初期化してもらったところで再度不正アクセスで改ざんされたら、またサイト閉鎖になったりするリスクがある。ということで、相当に悩んだ末、初期化ではなくアンインストールで対応してほしい旨をお願いすることにした。

ちなみに、今、猫田に小判-新館-で使っている「てがろぐ」CGIの方は改ざんは確認されず、動作に不具合も無いということで再開することにした。旧館と新館のフォルダを分けておいたのが功を奏したのかもしれない。実質、てがろぐCGIしか使わない事になったわけだが、今からフォルダ構成を変えるとアドレスが全部変わってしまい面倒なので、ホームからこのフォルダにリダイレクトするように設定した。
にしても、不正アクセスというのは怖いものやね。

<猫田さん生前の御姿>
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〔 1409文字 〕 編集

2024年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

ギックリ腰と薬の話

No. 93 :
#徒然なる日記

先週初め、またギックリ腰になった。ギックリ腰はかなり慣れっこになっているので、またきたかと思いながら布団に横になったのだが、今回は様子が違っていて、数分起きに激痛が来て下半身が硬直し、徐々に足先が冷たくなってきた。このまま死ぬのかもしれんと思いながらどうやら気絶したようなのだが、夜に激痛で目が覚める。
一応、足は動くようなので死ぬことは無さそうだと思い、2日ほど横になっていたが鎮痛が見込めないので病院へ行ってレントゲンを撮ったところ、背骨が少し前後にズレていて神経を圧迫しているようだとの事。足の痺れもこれに関連して起こっているということで、腰に痛み止めの注射を打ち、1週間分の薬を貰って帰ってきた。

注射の即効性は凄く、即日で痛みが消えて普通に歩けるようになった。
良かった良かったと思いながら薬を飲み始めたのだが、この飲み薬が、何というか凄い。
神経伝達物質を抑制することで鎮痛を促すという薬効なのだが、副作用で浮動性めまいがでると説明にある通り、とにかく飲むとフラフラフワフワして私の場合、気を抜いて歩くと左に寄る。歩くぞという意思が強いとまっすぐ歩けるので日常生活に問題はなのだが。
それと、神経伝達物質抑制のためか判断力が鈍い。決断は早いが、その決断の正誤を判断して体が動きだすまでが遅い。遅いと言っても0.5~1秒くらいの遅れだと思うので外見上、障害が出ているような感じではないのだが、自分の中では明らかに「遅っ」という感じがする。特にキーボードのブラインドタッチは文字が出てくる速度で遅いのがよく分かる。
だが、この遅さのおかげで人間というのは決断・正誤判断をしてから体が動き出すんだなという事を身を持って認識することが出来たので、その点では貴重な体験とも言える。

以前に緑内障の検査で瞳孔を開放する目薬を使った後、街中で文字が全く見えなくなり、街中というのは文字によって人間の行動をいかに統制しているのかを痛感したが、その時以来のビックリである。多分、年寄の動きの鈍さというのは、こういう事なのかもしれない。年寄りは決断が鈍いのではなく判断が鈍いということなのだろう。

そのうち、この鈍くささにも慣れて来るとは思うが、出来れば前の判断力が戻ってほしいなぁとも思っている。

〔 968文字 〕 編集

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猫田に小判 -新館- は、猫田に小判(使用していたCGIの開発が終了してしまったため更新を停止)の続きでやっているブログです。
気分次第の不定期更新です。3ヶ月に1回くらいで見に来て頂くと、更新している可能性が高いです。
ちなみに当ブログとほぼほぼ関連性の無い事か、ブログに纏める前のアイディア程度の浅い内容しか書きませんが、Twitterはこちら
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