猫田に小判 -新館 -

Last Modified: 2025/04 RSS Feed

No.99

金色にしてどうするの?という話

No. 99 :
#徒然なる日記 #金継ぎ #どうでもいい思い付き

エアコンが無い部屋は日中30℃を超える。
人間、30℃を超える部屋でずっと仕事をしているとどうなるかというと、先の事を考えられなくなる代りに昔の事をやたらと思い出すようになる。
次に何をするか、次に何が起こるのかという事を考える不確定要素の選択は、暑さで神経系統にダメージがあると難しいという事なのだろう。
前にどこかで書いたかもしれないが、私は過去(特に自分の過去)に興味がない人間なので、昔の事を思い出すというのは懐かしさは微塵もなく、ただただ苦痛だったりする。まぁ、それはさておき、そんなわけで目の前の錆を削る動作だけを何とかして続けていると、昔の記憶がポツポツと池に沸く泡のように関連も無く出ては消えるを繰り返すのだが、そこで急に思い出したのは、私が金継ぎ仕事を始めた20年くらい前は「器を修理したいが、直したところを金とか銀にして何が良いのか?」という問い合わせがやたらと多かったという事(依頼主さんが直した器を家で見せたら、金色は余計じゃないかと家族に言われて凹んだというのも本当によく聞く話だった)。それと、外国の人は黒楽や瀬戸黒の茶碗のように真っ黒な器は、日本人で言うところの「ケ(ハレとケのケ)」に相当するので全然好きじゃない。更にそこに修理が入っていたら、それが金色でもお話にならない器なのだという話。
そうだった。あの頃の金継ぎの認知なんて、その程度のものだった。金継ぎに概念とか哲学なんていうものは影も形も無かった。骨董趣味な人が「見立て」として多少楽しんでいる程度のことだった。

それで気付いたのだが、今の金継ぎを褒める文脈って、要するに日本人や外国人に「売り込むための物語」という必要性から出てきたものなんだろう、十中八九。
ここ何年かで急に金継ぎに意味を持たせたり、歴史改竄まがいな話で祭り上げるようになっていて、これは一体、どうしたことなのかと疑問だったのだが、やっぱり売り込むために創作した文脈なんだというのが、なにかはっきりした。ような感じがする。

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