猫田に小判 -新館 -

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No.98

金継ぎの意味合いという話

No. 98 :
#徒然なる日記 #金継ぎ #どうでもいい思い付き

金継ぎが「壊れたことを隠さず美しく装飾して目立たせる」という話は昔からの思想みたいに言われているが、私が仕事を始めた頃に金継ぎのそんな解釈は聞いたことが無かったし、昔の書物にそういう話も出てこないので(そもそも金継ぎは修理跡を隠すために蒔絵をしているわけだし)、恐らくこの思想もどきは、明治維新に茶道が陥落して茶道具が二束三文で市中に出回った後、割れ物を少しでも高値で売るための方便としてあった話を掘り返してきたか、SDGsで一発当てようと考えた人が作った江戸しぐさみたいなものだろうと思っている。金継ぎ自体は現象や結果であって、そこに良い悪いや上下は無いと思うが、変な思想とセットになって善行として勘違いが広まっていくのは困ったもんだなとは思う。

まぁ、困ったことはさておき、では、現代において金継ぎの思想って一体何なのかと考えていて気付いたのは、金継ぎって意外とロックと同じ立ち位置だったりするのではないかという事。金継ぎがロックなわけではなく、あくまでも立ち位置ね。
ロックは音楽ではなく人生だとか言ったりするけれど、要するにロックな生き方を選ぶ、その結果、ロックという歌が形として現れてくるという事なのだと思う。
金継ぎもそれに似ているような気がして、では、金継ぎはどんな生き方に対して現れてくるものなのかというと、突き詰めれば「手入れをしていく」という生き方なのだと思う。手元にある物に対して手を入れてくという生き方を選んだ。それを表すものとして金継ぎした物というのが出てくるのではないかと思う。

圧倒的に物が足りない時代であれば、手入れをするのは仕方が無いというか、それ以外の選択が無いので生き方とは違うものだと思うわけだが、物が多過ぎる現代においての手入れは、選択的生き方の一つということになるのだろう。消費を繰り返すという生き方に対して、手入れを繰り返すという生き方、みたいなのが金継ぎの意味合いとしては一番大きいのかもなぁと考えている。

〔 868文字 〕 編集

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