猫田に小判 -新館 -

Last Modified: 2024/04/14(Sun) RSS Feed

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縄文人のモテたい欲を想像する、という話

No. 88 :
#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #縄文時代

先日、茨城県埋蔵文化センターいせきぴあ茨城で、漆器や漆を塗った土器の特別展示をしているというネットニュースを見て、いせきぴあ茨城って何処にあるのかと調べたら車で1時間半くらいで行ける場所と分かり、ちょっと見に行ってきた。
茨城県埋蔵文化センターは廃校をそのまま利用して縄文時代~平安時代までの埋蔵品などを保管、調査していて、その廃校の一角を展示室として無料で埋蔵品を公開しているところ。入館無料なのは有難い。
昇降口を入ると係の人が居て、何処から来たとか何で知ったとかちょっとしたアンケートに答えるとカラーパンフレットを貰って入室できる。いろいろ説明してもらおうかと思ったら、何故か「詳しいかたのようなので、どうぞご自由に見てください」と言われて係の人が出て行ってしまった。ん~、別に詳しい人の空気は全く出していなかったと思うのだが。まぁ、それはさておき、写真撮影OKなので展示物を観たり写真を撮ったりしてきた。展示室は教室2つ分なので博物館というほどの規模ではなく、コンパクトにまとまっていて全部を集中して観察しても疲れない程度なのは個人的に嬉しい。

で、その中で非常に感動したのが、桜の樹木から作った鉢(半分だけ)。縄文後期のもので弁柄を入れた赤い漆が塗られているのだが、内外の両方に非常に緻密な装飾が彫られている。(内側はカメラで上手く取れなかったので外側だけ)

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陶胎は形を作るのも装飾するのも粘土をちゃんと精製して練っていればそこまで大変ではないと思うが、木胎となると木を削って整形し更に彫り物を入れてから漆を塗らないといけない。しかも加工道具は恐らく石器や動物の骨を加工したもので金属道具のような専門形状をしていないわけだから、これを作るのにどれだけ大変だったかは想像に難くない。

一体、どんなモチベーションでこんなの作るんだよと思いながら暫し出土品の前で立ちすくんでいたら、急に、開けた風景の中で世間話をしながら楽しそうな顔をして木を削っている縄文人女性のイメージが浮かんだ。あぁ、そうか。これは仕事としてノルマを果たされてやっていたわけではなく、作る事が楽しくてやっていたのかもしれないと気付く。アドレナリンが出まくった状態で木を削り続けた結果が、これなんだろうな、と。

そこに気付いたら、頭の中で一気にいろいろなことが繋がってきて、縄文人がいろいろ作るモチベーションの根底には「モテたい」という欲があって、そこからいろいろと作ったんじゃないかという発想に至った。以前、土偶に妊婦が多いのは妊娠可能な女性がいる、または、妊娠中の女性がいることを集落に周知させる目的が大きかったのではないかとブログで書いたが、装飾を施した器というのも、モテたいの延長線上から生まれてきたものだったのかもしれない。

用途がよく分からない遺物はすぐに祭器や呪具だと決めつけて自然に対して畏敬の念や祈りを捧げるために作ったとか結びつけるのだが、そもそも時間の観念が存在したかどうかも分からないのに、より高次な思想のための物作りと考えるよりは、殆どの物はモテるために作ったと考えると、遺物を祭器や呪具にするよりも納得がいくような気がする。
男女関係なく、モテるためにいろいろなものを考えて作った。そして禍々しい神への祭りなんてことをしていたわけじゃなく、合コンやマッチングイベントを定期的にやっていて、そういう時のために生活用品以外にも普段からいろいろ物を作っていたんじゃないかと思ったりする。

考古学者はすぐに集団統率や文明による社会秩序というものを考えがちな気がするが、縄文時代ってもう少し俗っぽいというかプリミティブでシンプルな気持ちに全力で、多様な形状や装飾も、モテたい、モテるために誰かに伝えたいという気持ちから生まれていったような気がするのだが、それは私だけだろうか。

〔 1640文字 〕 編集

土偶の造形の解説についての話

No. 86 :
#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #陶芸 #縄文時代

Youtubeで縄文時代の土偶についての動画を見ていて、土偶の後頭部に穴が開いていて何のために開けたのか分からないという解説がされていたのだが、普通に水蒸気爆発防止の穴でしょ?と思った。陶芸をやっていれば当然開けるだろうと思う位置にちゃんと穴を開けている縄文人はやはり凄いなと思うと同時に、陶芸やったことがない人からすると穴の意味が分からないのかと少しびっくりした。

成形可能な状態にした粘土には15~20重量%の水分(物理水)が含まれている。この水分は焼成時の加熱に伴って水蒸気になり粘土から抜けていく。この時、徐々に温度が上がって水が液体から気体に変わっていくと粘土は形が壊れることなく熱変性していくことになるわけだが、加熱速度が速すぎると水の膨張による応力に粘土が耐えられなくなり水蒸気爆発によって形が破壊、粉砕してしまう。隣に作品があれば爆発の煽りで破損してしまう。福島原発で原子炉建屋が吹っ飛んだ映像を覚えている方は多いと思うが、水蒸気爆発といのそれ位の威力がある。実際、私も窯焚きの最中に作品の水蒸気爆発で上開き式の窯の蓋が持ち上がったのを見たことがあって、非常に衝撃だったのを覚えている。
粘土というのは一定の厚みを超えると内部の水が非常に抜けにくくなるため、水抜きのために竹串で何か所か穴を開けることで水蒸気爆発を防止する技術が必要になってくるわけだ。よくハウツー本に粘土内に密閉した空間を作ると空気膨張で爆発するという解説を見ることがあるが、粘土というのは意外に粒子の隙間が多いので、空気の膨張で爆発するということは無い。密閉空間の空気膨張で起こるのは爆発ではなくヒビが出る程度。爆発は空間ではなく粘土内部の水蒸気の急な体積膨張によるものだ。

で話を戻して、土偶の頭の穴だが、頭は粘土を固めて丸くしている場合、厚みがあり水分が抜けにくくなっている。目や口の穴は表層のみなので水蒸気抜きとして作用するほどの深さが無い。そのため頭部が爆発しないよう正面から目立たない後頭部に水蒸気抜きの穴を中心付近まであける、という極めて物理的な理由で作られていて、そこにスピリチュアル的な理由は恐らく無いと思う。

それから、土偶が板状土偶から自立式土偶へ変化した理由なども、割にまじないとか儀式とかスピリチュアルな方向で解説付けがされることが多いが、私は単に縄文人の物体に対する空間認識の発達によるものだと思っている。

私が子供の頃に、弟と粘土で遊んでいる時の記憶で、私が人間を作るために球形の頭に太めの棒状の体を作ったのに対して、弟は球状の頭に平板な方形を付けて人間としていた。当然、自立せず、頭が重いので板は曲がってしまうため床に寝かせておくことになるわけだが、なるほど弟にとって人間の体というのは頭が球体であることは認識しても、体に厚みがあるということまでは認識出来ていないのかと子供ながらに結構な衝撃を受けたのを覚えている。
大学の心理学の授業で、人間というのは成長に伴い物体や空間を平面認知から立体認知へと変化させていくという話を聞いて、弟との粘土作りのあれが、まさにこの認知の変化だったのかと非常に納得した。

というわけで、縄文時代は約1万年。当然、人間の認識が徐々に発達していく過程があるはずで、それが板状土偶から自立式土偶への変化に表れているのだろうと推測出来る。まじないをするために形を変化させたというよりは、何千年もかけて人の空間認知が発達したと考えるほうが分かりやすいのではないかと思う。

これは土偶と直接関係ないのだが、先が丸くなった棒が出てくると、すぐに男根崇拝だという話になるんだけど、私はその中には建築や工芸用の作業道具があるのではないかと思っている。建築跡や工芸品の数に対し、それを作るための道具の発見が少ないように思うのは、本来、道具であるはずのものをスピリチュアル視点で見過ぎているのが原因ではないかという気がする。

〔 1678文字 〕 編集

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #陶芸 #縄文時代

Youtubeで縄文土器を検索すると、結構な数の野焼きワークショップの動画を見る事が出来る。
野焼きというのは焚火で芋を焼くのと同じだと思っている人が多い。なので、ワークショップの野焼きもほぼほぼキャンプの焚火みたいな感じになっている。

ところで牛糞ケーキというのをご存じだろうか?牛糞とケーキという極めて相性の悪い名前の合体だが、別に牛糞の入ったケーキの事ではない。
インドを中心とした南アジア一帯で、基本的には低所得層(ガスや電気が通っていない農村地域など)が使用する燃料が牛糞ケーキ。アフリカや南アメリカでも動物糞は燃料や外壁に使われることがある。なお「基本的には」と書いたのは都市部でもお祭りの際の熱源として用いられることがあるからだが、ほとんどは低所得層の燃料になっている。名前の通り、牛糞を円盤状(ホールケーキほどちゃんとした円筒形ではないが、おおよそそんな感じ)に固めて乾燥させたもので、かなりの高火力を生み、燃焼時間も長いので陶器を焼く時にも欠かせない燃料になっている。Youtubeでもインドの野焼きスタイルの陶器焼成動画では必ずと言っていいほど牛糞ケーキを用いる場面が出てくる。ちなみに燃料にする牛糞ケーキは発酵が進んでいるので、それ自体の臭いは殆ど無いのだそう。
牛糞ケーキについては環境問題においてポジティブな側面があり見直されている反面、牛の生物濃縮によりヒ素を含む煙を発生する問題などデメリットも指摘されるが、今回はそれについては深く突っ込まない。

で、何故、牛糞ケーキの話をしたのかというと、察しの良い方はもうお分かりの通り、縄文時代には哺乳類の糞の利用は絶対に行われていたと私は思っている。
縄文時代に小~中型犬を飼っていた事は確かだそうなので、少なくとも人糞と犬糞を採取することは計画的に出来たはずである。縄文時代にトイレに相当する設備は見つかっていないらしいが、糞を一か所に溜めた(あるいは溜まった)と思われる場所は確認されているそうだ。
大規模農業は行われていないので堆肥としてよりも、むしろ牛糞ケーキのような燃料として糞は利用されたのではないだろうか。弥生時代になると人種が違うので、糞の意味合いや扱いは変わったのではないかと思ったりするが。
つまり、縄文土器を焼く時には、ただ器の上に木材を置いたのではなく、合わせて乾燥糞を利用する事で火力を確保していたと私は想像している。
野焼きをしてみると分かるが、地面というのは非常にカロリーを奪う。登り窯のようなレンガでも使えれば別だが、そうでないと発生する熱の結構なカロリーは地面に取られてしまう。そのためには木材よりも高カロリーを生む燃料が必要になってくるわけだ。

縄文土器の野焼き再現は、あまりにも綺麗好きな今の日本人的思考に寄り過ぎだ。縄文人はもっと目的達成に貪欲でクレバーだったと個人的には考えている。

〔 1256文字 〕 編集

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #陶芸 #縄文時代

この前行って見てきた縄文土器の写真を見ていて、縄文時代にはロクロが無かったという話を当たり前のように受け止めていたが、果たしてそうなのか?という疑問が湧いた。

現在の軸を持つ回転機構の道具と思われるものが無いだけで、縄文土器はどれも綺麗な線対称というか、明らかに軸を意識した回転体だ。分かりやすく言うと、上から見たら全部が円だ。四角や三角を基本構造とした火炎式土器というのは私は見たことがない。アクセサリー類や動物などを模した造形は別として、少なくとも器形の造形物については楕円形すら極めて特殊な形状として分類される程度しかない(多分、非公開なものを含めても多くはないと思われる)。底部方形鉢という形はあるのだが、底が四角(性格には角丸正方形)でも、口辺になると円形になり方形が維持されない。装飾では円に集約される形以外もあるのだから、それが造形構造全体に及んでも良さそうなものだが、頑なに回転体をしている。

ということは、思想的に回転体になったというよりは、制作工程で明らかに効率性から回転動作を伴った制作方法が普通に行われていた、少なくとも容器を作る際には回転力が加わる道具が合ったと考えるのが自然ではないかと思う。

素焼き文化圏(特にネイティブアメリカン)の器作りでは、陶製の時計皿の形のものを2枚向かい合わせにしてロクロとして用いられることがある。
陶製ならば現存している可能性は高いと思うが、時計皿の形状の物が少ないことから考えて、材質は陶製以外だったのかもしれない。だが、回転力を伴う道具があったことは確かではないかと思うのだが。

〔 730文字 〕 編集

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #陶芸 #縄文時代

さくら市ミュージアム荒井寛方記念館でやっている「栃木縄文の夏5000年前の土器世界」が8月27日までなので行ってきた。

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なんとなんと、ガラスケースに入っていない縄文土器が至近距離1cmで鑑賞できるという、これはもう触っているのと同じくらいなので(もちろん触ってはいません)、鑑賞というより完全に観察である。
メインは縄文中期の土器で、その他に翡翠とか石棒などもあった。

そういうわけで、目からレーザー光線を出して穴が開くほどの近距離で分析してみて分かったが、縄文人の土器の仕上げのテクが半端ない。造形美ばかりが注目されるが、実はそれ以上に根本的な陶芸の技術力は物凄い。全く手を抜いていない。中でも凄いと思ったのは器の腰の仕上げと内側の作りの完璧さだ。

よく縄文式土器を作ってみようというワークショップで底を平らにして紐積みで形を作るが、あの方法とは明らかに違うというのはハッキリした。縄文土器、全部と言って良いと思うが、腰の角の面取りが完璧にされている。ワークショップの方法だと確実に腰に角やバリが出る。それが無い。綺麗に面を取った上に撫でつけて丸みを持たせている。小さいものならさておき、50㎝級の大型土器で、しかも口辺に精緻な飾りが付いているものでも腰の仕上げがされている。このサイズを上まで作って半乾きになるまで待ってから逆さにして腰を仕上げるのはどう考えても無茶なので、口を作る前に一度逆さにして仕上げるか、最初から腰を丸く仕上げておくしかない。が、腰を丸くした時点で安定性は悪くなるから、その後にバランスを取りながら左右対称で口辺まで積み上げて装飾を綺麗に作るのは難しい。現代のように大型のロクロでもあれば別だが、今のところ、ロクロのような道具は見つかっていない。

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次に内側の仕上げの美しさだ。こうした形状の内側を仕上げる場合、今の感覚なら縦長の形状(特に土器下部のような形状)は下から上に撫でて平滑面を作っていくと思うが、見える範囲で覗き込んでみたがどれも下から上に撫でた形跡が無い。
更に驚くのは、あれだけ砂目の土を使っていながら、砂で引っ掻いた跡が見当たらない。シャモットや長石粒を入れた粘土を使った時には、仕上げで表面を綺麗にしようと少し乾き始めた状態で撫でつけると、粒が浮いて引っ掻き傷が出来るのだが、縄文土器には引っ掻き跡らしきものがほとんど見当たらない。撫でずに仕上げる方法があるとしたら、叩きを入れることになるが、そうすると須恵器のように内側に青海波文という叩いた道具の跡が残るはずだ。しかし、叩き跡も無いし、そもそも形状的に叩いて仕上げるには無理がある。

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他にも、外に比べて内側の炭化が強過ぎる器は煮炊きで使われたとは考えにくいとか、どう見ても上下逆にした方が自然な用途に感じられる形状があるとか、いろいろと疑問は沸きまくるのだが、それは長くなるのでまたの機会にして、今回は、仕上げに関する予想を、一応、書いておく。

まず腰の仕上げだが、以前から上下に伸びる筒(正確には逆円錐台)と、円に広がる椀形は、異なる方法で制作され、両の形を仕上げてから接着したのではないかという想像はしていた。重力に逆らってあの形状を下から上に一気に作っていくにはかなりの無理がある。
だが、前回の尖底土器は土を掘って雌型にしたのではないかという話の逆で、土を盛り上げて凸状の雄型を作り、それに粘土を巻いていけば比較的安定した円錐台形を作ることが出来る。雄型で形を作る場合、長時間粘土を乾かしてしまうと乾燥収縮でヒビが入るため、そこそこの乾き具合で型から外し、別に作った鉢の底を抜いて合体させたのかもしれない。こうすると腰の丸みの仕上げをすることは難しく無い。
同時期の縄文土器を一度に見て感じたのだが、下半分は案外似た大きさの物が多い。作り方が板づくりではなく粘土紐を巻き上げて表面の継ぎ目を消す方法で作ったことは、破損断面の高解像分析から確実らしいので、それを考慮すると、上部の大きさがやたら違うのに、下部は厚みや長さが多少違っても、大体、似た太さとなってくるのはおかしなことではない。

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次に、内側の仕上げについてだが、滑らかさから考えて、手以外に皮や布、木材などの道具を使っているかもしれないというのは予想出来る(木材は引っ掻き傷が出やすいので、皮か布になるが)。
だが、それで撫でたにしても綺麗すぎる。そこで非常に興味深いテクスチャの土器を見つけ、それが仕上げ方の予想に繋がった。

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表面に貫入のような細かいヒビが出ているのが分かる。貫入の場合は窯が冷める時に素地と釉の冷却収縮差で生じるのだが、この写真のヒビは恐らく焼成後の冷却で生じたものではない。似たような状態になるのは、素地の乾燥が進んだ状態で上に粘土質が多目の化粧土を少し厚めに塗ると起こりやすい。乾燥収縮が進み、かつ、吸水性が高い素地に水分の多い泥漿を塗ると、泥漿の水分が一気に吸収され乾燥収縮することで、こうしたヒビヒビが現れる。
つまり、縄文土器の内側は、形を作った後に泥漿で仕上げ塗りをしている、または、水を含ませた布で泥状になるまで内側を拭いていると考えられる。それであれば、砂目の多い素地でも、表面の引っ掻き傷は少なくなる。私も陶胎漆器を作る時、赤土を塗って布で拭くと表面が滑らかになるのは経験している。本来はもう少し素地が湿っている状態で行えばヒビは出ない。写真の土器は素地が乾きすぎたけど、まぁいいかという感じで仕上げたら、なんかカッコイイヒビが出たからこのまま使おうとなったのかもしれない(あるいは、あまりヒビの有無は関係ない器の用途だったという可能性の方が高いか)。
ちなみに、この技法を更に緻密に仕上げると、紀元前500~200年頃の古代ヨーロッパの発掘品として出てくるテラシギラタという陶器の技法になる。まるで釉薬を掛けたかのような光沢感が生まれる。日本では常滑焼の朱泥急須が近いが、明らかにテラシギラタが用いられたと分かる器は残っていない。泥団子という子供の遊びでテラシギラタは残るのみとなっている。
もしかしたら、縄文土器の内側も元々はもっと光沢感があったのかもしれないが、流石に紀元前5000年の発掘品だと、いくら状態が良いとはいえ、テラシギラタの光沢感まで残るのは難しいのだろう。
とにもかくにも、泥漿による内側の仕上げがもし行われているとしたら、縄文人はかなり目止めやコーティングに関する知見が深かったと思われるわけで、なるほど漆や天然アスファルトを精製して塗るという作業が出来るのは必然なのだろう、と妙に納得してしまった。

〔 2787文字 〕 編集

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き#陶芸  #縄文時代

縄文式土器というと縄文中期の火炎型がやたら有名なのは、形の面白さから理解できるわけだが、私は縄文初期の丸底や尖底土器というのがかなり昔から気になっている。
というのも、先が尖った安定しない器というのは現代の陶芸感覚からすると非常に作り難い。今の感覚で作り方を考えるとすれば、粘土を山形に固めて少し乾かして先端が乾き始めたら中を削り、ひっくり返して口の方を作っていくというのが最も効率的なのかもしれない。なので結果的には外を先に仕上げる事になる。私自身は、ずっとそうやって作っているのだろうと考えていた。

しかし、ある時、気付いたのは、人間が土に穴を掘ったら半球や逆円錐形じゃね?という事。
つまり、尖底式土器は土に穴を掘り、その穴に粘土を付けて形を作ったのではないかという推測が出来る。

そもそも、縄文人は何故、焼いて固めた器なんてものを思い付いたのかという根源的なことを考えると、おそらく粘土質の土地を雨上がりに人が歩いたり、更に雨が降ったりして大地にくぼみが出来る。そこが干上がって土が乾き、どこかの誰かが、この乾いた土の形って良い感じの容器になるんじゃね?と思って火にかけてみたら硬くなったとか、あるいはそうしたくぼみで火をたいた後、偶然に土器になっていたのを見つけたとか、恐らくそんなところだと思うのだ。

ということは、土器はまず最初、大地を窪ませる、つまり穴を掘るところから始まっているはずだ。動物捕獲用の矢じりがついた矢みたいなものでカツカツと大地を掘ったら尖底土器の形になるはずで、ここに泥に近い柔らかい粘土をペタペタと塗っていき、ある程度乾かしたら粘土を付け足して口を成形した後、ゴソッと抜いて伏せてから外側を仕上げる、みたいな。最初はそんな感じで土器を作っていたのではないだろうか。

そのうち、土を掘るの面倒だから、もう少し粘土を乾かして可塑性出すようにすれば穴掘らなくても器作れるんじゃね?という事に気付いた人が、今度は穴を掘らずに地上で器の形を作ることを考え出して、底が平らな土器が主流になっていく。そういう流れだったんじゃないかと思う。

なので、尖底土器と、底が平らな土器では、極めて大きな技術革新というか思考の変化があったりすると思うのだ。
尖底土器は、もっと、どうやって作ったのかを深く推測する必要があると思う。縄文人の思考の根源に辿り着けるはずだから。

〔 1049文字 〕 編集

土偶は殆どが女性な理由についての話

No. 54 :
#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #縄文時代

土偶の殆どが女性をモデルにしている理由を信仰性に求める説はよく聞くけれど、私は何でもかんでも信仰とか宗教からの派生にするのは如何なものかと思っている。作った物に時代性や製作者の思想や美意識が含まれる事は間違いないが、いつも祈祷をするから作っているというのは、宇宙人が作ったというのと大差ない感じがする。

実はもっとシンプルに現実的な理由からではないかという気はしていて、急に、土偶は女性が作っているからではないかと閃いた。
妊娠した女性像が多いのは、妊娠した女性が作っていたからではないだろうか。

食料採取のため集落から遠出する(主に)男性陣に対し、子供や女性陣はおそらく集落の近辺で生活に必要な事をしている。更に妊娠中の女性は殆ど集落から出ることは無かっただろう。女性は妊婦になると家を守るための家長(家族という単位があったかどうかは分からないが、何かしらのランクアップや特別な地位に近いものはあったように思う)として、自らを模した人形を作り、家の前に置いて集落の人々に対しての表示をしたのかもしれない。
縄文時代はまだ文字の使用が確認されていないが、意思疎通を行う十分な言語数があり使用されていたはずだ。何しろ建築はもちろん、漆の精製や塗装、骨や石の装飾品、土器など、明らかに集団を統率したり技術を伝達しなければ行えない加工物が多数残っていることからも間違いない。
とすると、土偶もまた何かしらの意思を表示するための文字の代わりに制作されたと考える事が出来る。「妊娠した女性がいる」あるいは「出産経験のある女性が集落に居る」という事を明示するための記号が土偶なのではないだろうか。土偶にいろいろな顔があるのも、個の差異を表すために必要な造形なのだろう。

そう考えると、土偶は壊れたものが多いのも自然な事だと思える。出産が終了したり、家長が亡くなるなどで不在になれば土偶は不要になり、集落の外に破棄される。集落内に居ないことを表示するために最も確実な方法だ。そして単に破棄をするだけでなく、破棄のための破壊方法も何かしらの意味を持っていたのかもしれない。

〔 926文字 〕 編集

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