猫田に小判 -新館 -

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2023年8月の投稿15件]

2023年8月31日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #陶芸 #縄文時代

Youtubeで縄文土器を検索すると、結構な数の野焼きワークショップの動画を見る事が出来る。
野焼きというのは焚火で芋を焼くのと同じだと思っている人が多い。なので、ワークショップの野焼きもほぼほぼキャンプの焚火みたいな感じになっている。

ところで牛糞ケーキというのをご存じだろうか?牛糞とケーキという極めて相性の悪い名前の合体だが、別に牛糞の入ったケーキの事ではない。
インドを中心とした南アジア一帯で、基本的には低所得層(ガスや電気が通っていない農村地域など)が使用する燃料が牛糞ケーキ。アフリカや南アメリカでも動物糞は燃料や外壁に使われることがある。なお「基本的には」と書いたのは都市部でもお祭りの際の熱源として用いられることがあるからだが、ほとんどは低所得層の燃料になっている。名前の通り、牛糞を円盤状(ホールケーキほどちゃんとした円筒形ではないが、おおよそそんな感じ)に固めて乾燥させたもので、かなりの高火力を生み、燃焼時間も長いので陶器を焼く時にも欠かせない燃料になっている。Youtubeでもインドの野焼きスタイルの陶器焼成動画では必ずと言っていいほど牛糞ケーキを用いる場面が出てくる。ちなみに燃料にする牛糞ケーキは発酵が進んでいるので、それ自体の臭いは殆ど無いのだそう。
牛糞ケーキについては環境問題においてポジティブな側面があり見直されている反面、牛の生物濃縮によりヒ素を含む煙を発生する問題などデメリットも指摘されるが、今回はそれについては深く突っ込まない。

で、何故、牛糞ケーキの話をしたのかというと、察しの良い方はもうお分かりの通り、縄文時代には哺乳類の糞の利用は絶対に行われていたと私は思っている。
縄文時代に小~中型犬を飼っていた事は確かだそうなので、少なくとも人糞と犬糞を採取することは計画的に出来たはずである。縄文時代にトイレに相当する設備は見つかっていないらしいが、糞を一か所に溜めた(あるいは溜まった)と思われる場所は確認されているそうだ。
大規模農業は行われていないので堆肥としてよりも、むしろ牛糞ケーキのような燃料として糞は利用されたのではないだろうか。弥生時代になると人種が違うので、糞の意味合いや扱いは変わったのではないかと思ったりするが。
つまり、縄文土器を焼く時には、ただ器の上に木材を置いたのではなく、合わせて乾燥糞を利用する事で火力を確保していたと私は想像している。
野焼きをしてみると分かるが、地面というのは非常にカロリーを奪う。登り窯のようなレンガでも使えれば別だが、そうでないと発生する熱の結構なカロリーは地面に取られてしまう。そのためには木材よりも高カロリーを生む燃料が必要になってくるわけだ。

縄文土器の野焼き再現は、あまりにも綺麗好きな今の日本人的思考に寄り過ぎだ。縄文人はもっと目的達成に貪欲でクレバーだったと個人的には考えている。

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2023年8月30日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き

かれこれ4年くらい、浄水器で濾過した水1Lにハッカ油を2滴入れたものを冷蔵庫で冷やして常飲していたのだが、今年の夏はいくら飲んでも体に浸透している感じがしない。ハッカ油入れてはいるが基本的にはただの水なので、浸透率が浸透圧調整した水より悪いのは分かる。が、それにしても今年は異常に浸透している感じがしない。
3日間連続、脱水症状で頭は痛いし、あくびは止まらないし、涙も止まらないしで、流石にこれはヤバいのではと思い、初めて経口補水液を買って飲んでみたら、翌日には完治。やっぱり浸透圧調整した水が最強かと、まさに五臓六腑に染み渡り状態。

ネットで調べたら、1Lの水に塩3gと砂糖40gを入れれば経口補水液になるというのを知り、試しに作ってみたら確かに経口補水液とかなり近い味になったが、少し甘味が強い。恐らくちゃんとモル計算をすると、この分量が最適なのだろうが、常飲したら脱水症は回避出来ても糖尿病になりそうなので、砂糖を少しずつ減らしていったら20gでまぁまぁ飲みやすくなった。(それより減らすと塩気が強くなり、水を飲んだ後に普通の水が飲みたくなってしまう)

浸透は少し悪くなるかもしれないが、普通の水よりは良いだろうと数日ほど飲んでいたが、やはり飽きる。微妙に甘い水というのは意外と飲み続けるのは苦痛なのか、それで砂糖40gなのかと思うも糖分が多くなるのはやはり何かストッパーが掛かるので、砂糖20gでも飲みやすくする方法はないかと調べたら、レモンスライスして入れると爽やかな味わいで飲みやすくなるのだそうな。

というわけでレモン買おうかと思ったのだが、水を作るたびにレモンスライスするのも面倒なので濃縮還元のレモン汁を買うことにした。
ラベルにはレモン1個分のレモン汁は30mlと書かれている。塩と砂糖の計量は重量なので、レモン汁も一緒に計量出来たら楽。ということで調べたらレモン汁1mlは1gで問題ないらしい。なのでレモン1個分のレモン汁は30gということになる。

そんなこんなで1Lの水に塩3gと砂糖20gを入れ、少しずつレモン汁を足して飲みやすいところを探したら、レモン汁は15g位入れるとほぼほぼポカリスウェットじゃないか、という味になった。ポカリスウェットの成分に果汁とは書いてあるが、どれくらいの量が入っているかは不明だったのだが、今回の件で1Lにレモン半個分くらい入っているということが推測出来た。なるほどポカリスウェットってそういう味なのか。

〔 1086文字 〕 編集

2023年8月29日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

その思考はOSかAPPかという話

No. 77 :
#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き

他人の発言に腹が立つ時がある。腹を立てない事が精神的にも健康的にも一番なのは間違いないが、余程の修行でもしないかぎり心に波風を立てないのは難しいし、波風立てないようにしようと思う事がストレスになってしまったら本末転倒だ。
なので、凡人にとっては腹の立つ時間をいかにして最短にするのかという方法を考えるというのが1番の解決策になるのではないかと思っている。

腹が立つ理由は至極単純で、自分の思考で処理出来ない異物が侵入したため排除機能が発動するからだ。体に毒やウィルスなどの異物が入ってきた時の拒絶反応と同じものが精神にも起こる。
侵入したものを音や熱などのエネルギーに変換して体外の放出すると、大声で怒鳴ったり、顔を赤くして癇癪を起こすわけだが、今の世の中、こうした排除作用を見せるのは行儀が悪いと受け取られてしまうので、粛々とエネルギー変換をする事が求められていたりする。

体内には免疫作用というものがあって、ある程度の異物であれば生活に支障がでることなく体内で分解や排除が行われるようになっている。精神の場合は思考の見極めがそれに相当すると思う。

私の場合、腹が立つ事を言われたなぁと思ったときには、その内容が言った人間のOSに依存するものか、それともアプリ(APP)に依存するものかという区分を最初に行うことにしてる。
分かりやすく言うと、OSはその人を形成する根本に関わる事で、日本人に理解しにくい「宗教的理由」などはOSになる。日本の場合、慣習はOSになると思う(地域を離れると書き換えられる時があるので、宗教とイコールにはならないかもしれないが)。OSによる事柄は当人でも論理的に理解している可能性は低く、大抵は何を言ってもダメなので、こちらが引くか理解するしか解決策はない。私の場合は、何度か同じ話をしたり同じことをしてみて理論的回答が得られない、相手の行動が変わりそうもないと判断した場合は、OSだから仕方がないな、と思ってこちらが引くようにしている。(引くだけでダメそうな状況だったら早々に縁を切ることになるわけだが)
アプリ(APP)思考の場合は、OSへの依存度にもよるが、書き換え可能であったり交換可能であることが多い。理屈で話をすると、妥協点の形成という活路が見出だせるので、面倒ではあるが話を続けてこちらの状況も理解してもらうよう働きかけを続けることになる。

揉め事の多くは、OSをアプリと勘違いして書き換えようとしたり、アプリなのにOSだと決めつけて話をしないことで起こる。プロになるとOSをアプリに切り分けたり、アプリのふりをしてOSに介入したりするわけだが、それが良いか悪いかを判断できるほどの頭脳は私に無いので、勘違いしないことだけに気を配ることにしている。

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2023年8月26日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #陶芸 #縄文時代

この前行って見てきた縄文土器の写真を見ていて、縄文時代にはロクロが無かったという話を当たり前のように受け止めていたが、果たしてそうなのか?という疑問が湧いた。

現在の軸を持つ回転機構の道具と思われるものが無いだけで、縄文土器はどれも綺麗な線対称というか、明らかに軸を意識した回転体だ。分かりやすく言うと、上から見たら全部が円だ。四角や三角を基本構造とした火炎式土器というのは私は見たことがない。アクセサリー類や動物などを模した造形は別として、少なくとも器形の造形物については楕円形すら極めて特殊な形状として分類される程度しかない(多分、非公開なものを含めても多くはないと思われる)。底部方形鉢という形はあるのだが、底が四角(性格には角丸正方形)でも、口辺になると円形になり方形が維持されない。装飾では円に集約される形以外もあるのだから、それが造形構造全体に及んでも良さそうなものだが、頑なに回転体をしている。

ということは、思想的に回転体になったというよりは、制作工程で明らかに効率性から回転動作を伴った制作方法が普通に行われていた、少なくとも容器を作る際には回転力が加わる道具が合ったと考えるのが自然ではないかと思う。

素焼き文化圏(特にネイティブアメリカン)の器作りでは、陶製の時計皿の形のものを2枚向かい合わせにしてロクロとして用いられることがある。
陶製ならば現存している可能性は高いと思うが、時計皿の形状の物が少ないことから考えて、材質は陶製以外だったのかもしれない。だが、回転力を伴う道具があったことは確かではないかと思うのだが。

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2023年8月24日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き

Xをスマホ(android)で見るための方法は、基本的にGoogleChromeでXのオフィシャルサイトへ行くか、Xのオフィシャルアプリで見るかの2択で、どちらもタイムライン上には頻繁にプロモーションポストという広告が入る。最初は片っ端からブロックしていたのだが、それも面倒になってきて最近はスマホでXを見るのは1日に1回以下だ。発言しなくなると、案外それで十分だったりする。

もっとも、殆どは家で仕事をしているので、PCで日に何度かは閲覧している。PCの場合はGoogleChromeにControl Panel for Twitter という機能拡張を入れることで広告その他、閲覧に邪魔なものを非表示に出来るが、スマホのGoogleChromeには機能拡張を入れる事が出来ない(入れられるようにする予定も無いらしい)。

だが、何とかしてスマホのGoogleChromeに機能拡張が入れられないものかと調べてみたら、GoogleChromeは無理だが、同じChromiumエンジンを積んだKiwi Browser はGoogleChromeの機能拡張を入れて使える(場合がある)らしい。そこで試しにKiwiをインストールして、Googleウェブストアから機能拡張を入れてみたら、問題なく動いて広告非表示に成功した。
Xオフィシャルアプリに比べると若干動作が重いという難点があるが、それでもControl Panel for Twitter でタイムラインをカスタマイズ出来るメリットは大きい。Kiwiのアイコンも鳥なのでTwitterっぽくて良い。Xの専用アプリとして使うならベストチョイスではないだろうか。

ちなみに、私はヘビーユーザーではないので、Kiwiを立ち上げてタイムラインを見たらアプリ終了させてしまうが、常時表示させてタイムラインを追いたい方は、ブラウザをリロードさせる機能拡張 があるので、リロード間隔を指定すれば見た目には勝手にタイムラインを更新してくれている状態にすることも出来る。

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2023年8月23日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #金継ぎ

かなり久しぶりにXで金継ぎを検索してみたら、勝手に金継ぎをするチャデスというポケモンが話題になっていた。話題になっているというか、その話と金継ぎキットの宣伝しか出てこない状態だった。全部読み込むと、ツイート取得上限になってしまいそうなので、適当なところで早々に読むの止めたけども。

ちなみに、このチャデスというポケモンは、隙間を見つけると勝手に金継ぎをするという設定らしいが、使うのが抹茶らしい。要するに茶道と金継ぎの曖昧情報をガッチャンコしたという感じなのか。金継ぎする割には、体は肩衝茶入だし、手に持っているの茶杓だし。金継ぎの道具まったく関係ないのね。設定と絵面のバランスが無茶苦茶で面白いっちゃ面白いけども。

それにしても、勝手に金継ぎしてしまうというところは、私のように修理を生業としている人間から見ると、金継ぎブームで急に湧いてきた上に、器を片っ端から接着剤だの紛い金を使ってゴテゴテにして、SNSに中途半端な修理品を載せて金継ぎサイコーとか喜んでいる人々と同じだなぁとか思ってしまう。
自分の家の器を直している分には別に構わないんだけど、他人の器を無料でとか格安でとか言って修理品募集していたり、酷いのになると勉強中だから修理はノークレームでとか言ってたりね。次から次へと出て来るし。私からしたら、勝手に金継ぎするモンスターそのものよ。

とは言え、私はポケモン全くやったことないので、ポケモンそのものもよく分かってないんだけど。ピカチュウも見た目以外はどういうモンスターなのかも分からんし。

〔 697文字 〕 編集

2023年8月22日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #陶芸 #縄文時代

さくら市ミュージアム荒井寛方記念館でやっている「栃木縄文の夏5000年前の土器世界」が8月27日までなので行ってきた。

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なんとなんと、ガラスケースに入っていない縄文土器が至近距離1cmで鑑賞できるという、これはもう触っているのと同じくらいなので(もちろん触ってはいません)、鑑賞というより完全に観察である。
メインは縄文中期の土器で、その他に翡翠とか石棒などもあった。

そういうわけで、目からレーザー光線を出して穴が開くほどの近距離で分析してみて分かったが、縄文人の土器の仕上げのテクが半端ない。造形美ばかりが注目されるが、実はそれ以上に根本的な陶芸の技術力は物凄い。全く手を抜いていない。中でも凄いと思ったのは器の腰の仕上げと内側の作りの完璧さだ。

よく縄文式土器を作ってみようというワークショップで底を平らにして紐積みで形を作るが、あの方法とは明らかに違うというのはハッキリした。縄文土器、全部と言って良いと思うが、腰の角の面取りが完璧にされている。ワークショップの方法だと確実に腰に角やバリが出る。それが無い。綺麗に面を取った上に撫でつけて丸みを持たせている。小さいものならさておき、50㎝級の大型土器で、しかも口辺に精緻な飾りが付いているものでも腰の仕上げがされている。このサイズを上まで作って半乾きになるまで待ってから逆さにして腰を仕上げるのはどう考えても無茶なので、口を作る前に一度逆さにして仕上げるか、最初から腰を丸く仕上げておくしかない。が、腰を丸くした時点で安定性は悪くなるから、その後にバランスを取りながら左右対称で口辺まで積み上げて装飾を綺麗に作るのは難しい。現代のように大型のロクロでもあれば別だが、今のところ、ロクロのような道具は見つかっていない。

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次に内側の仕上げの美しさだ。こうした形状の内側を仕上げる場合、今の感覚なら縦長の形状(特に土器下部のような形状)は下から上に撫でて平滑面を作っていくと思うが、見える範囲で覗き込んでみたがどれも下から上に撫でた形跡が無い。
更に驚くのは、あれだけ砂目の土を使っていながら、砂で引っ掻いた跡が見当たらない。シャモットや長石粒を入れた粘土を使った時には、仕上げで表面を綺麗にしようと少し乾き始めた状態で撫でつけると、粒が浮いて引っ掻き傷が出来るのだが、縄文土器には引っ掻き跡らしきものがほとんど見当たらない。撫でずに仕上げる方法があるとしたら、叩きを入れることになるが、そうすると須恵器のように内側に青海波文という叩いた道具の跡が残るはずだ。しかし、叩き跡も無いし、そもそも形状的に叩いて仕上げるには無理がある。

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他にも、外に比べて内側の炭化が強過ぎる器は煮炊きで使われたとは考えにくいとか、どう見ても上下逆にした方が自然な用途に感じられる形状があるとか、いろいろと疑問は沸きまくるのだが、それは長くなるのでまたの機会にして、今回は、仕上げに関する予想を、一応、書いておく。

まず腰の仕上げだが、以前から上下に伸びる筒(正確には逆円錐台)と、円に広がる椀形は、異なる方法で制作され、両の形を仕上げてから接着したのではないかという想像はしていた。重力に逆らってあの形状を下から上に一気に作っていくにはかなりの無理がある。
だが、前回の尖底土器は土を掘って雌型にしたのではないかという話の逆で、土を盛り上げて凸状の雄型を作り、それに粘土を巻いていけば比較的安定した円錐台形を作ることが出来る。雄型で形を作る場合、長時間粘土を乾かしてしまうと乾燥収縮でヒビが入るため、そこそこの乾き具合で型から外し、別に作った鉢の底を抜いて合体させたのかもしれない。こうすると腰の丸みの仕上げをすることは難しく無い。
同時期の縄文土器を一度に見て感じたのだが、下半分は案外似た大きさの物が多い。作り方が板づくりではなく粘土紐を巻き上げて表面の継ぎ目を消す方法で作ったことは、破損断面の高解像分析から確実らしいので、それを考慮すると、上部の大きさがやたら違うのに、下部は厚みや長さが多少違っても、大体、似た太さとなってくるのはおかしなことではない。

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次に、内側の仕上げについてだが、滑らかさから考えて、手以外に皮や布、木材などの道具を使っているかもしれないというのは予想出来る(木材は引っ掻き傷が出やすいので、皮か布になるが)。
だが、それで撫でたにしても綺麗すぎる。そこで非常に興味深いテクスチャの土器を見つけ、それが仕上げ方の予想に繋がった。

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表面に貫入のような細かいヒビが出ているのが分かる。貫入の場合は窯が冷める時に素地と釉の冷却収縮差で生じるのだが、この写真のヒビは恐らく焼成後の冷却で生じたものではない。似たような状態になるのは、素地の乾燥が進んだ状態で上に粘土質が多目の化粧土を少し厚めに塗ると起こりやすい。乾燥収縮が進み、かつ、吸水性が高い素地に水分の多い泥漿を塗ると、泥漿の水分が一気に吸収され乾燥収縮することで、こうしたヒビヒビが現れる。
つまり、縄文土器の内側は、形を作った後に泥漿で仕上げ塗りをしている、または、水を含ませた布で泥状になるまで内側を拭いていると考えられる。それであれば、砂目の多い素地でも、表面の引っ掻き傷は少なくなる。私も陶胎漆器を作る時、赤土を塗って布で拭くと表面が滑らかになるのは経験している。本来はもう少し素地が湿っている状態で行えばヒビは出ない。写真の土器は素地が乾きすぎたけど、まぁいいかという感じで仕上げたら、なんかカッコイイヒビが出たからこのまま使おうとなったのかもしれない(あるいは、あまりヒビの有無は関係ない器の用途だったという可能性の方が高いか)。
ちなみに、この技法を更に緻密に仕上げると、紀元前500~200年頃の古代ヨーロッパの発掘品として出てくるテラシギラタという陶器の技法になる。まるで釉薬を掛けたかのような光沢感が生まれる。日本では常滑焼の朱泥急須が近いが、明らかにテラシギラタが用いられたと分かる器は残っていない。泥団子という子供の遊びでテラシギラタは残るのみとなっている。
もしかしたら、縄文土器の内側も元々はもっと光沢感があったのかもしれないが、流石に紀元前5000年の発掘品だと、いくら状態が良いとはいえ、テラシギラタの光沢感まで残るのは難しいのだろう。
とにもかくにも、泥漿による内側の仕上げがもし行われているとしたら、縄文人はかなり目止めやコーティングに関する知見が深かったと思われるわけで、なるほど漆や天然アスファルトを精製して塗るという作業が出来るのは必然なのだろう、と妙に納得してしまった。

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2023年8月18日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き#陶芸  #縄文時代

縄文式土器というと縄文中期の火炎型がやたら有名なのは、形の面白さから理解できるわけだが、私は縄文初期の丸底や尖底土器というのがかなり昔から気になっている。
というのも、先が尖った安定しない器というのは現代の陶芸感覚からすると非常に作り難い。今の感覚で作り方を考えるとすれば、粘土を山形に固めて少し乾かして先端が乾き始めたら中を削り、ひっくり返して口の方を作っていくというのが最も効率的なのかもしれない。なので結果的には外を先に仕上げる事になる。私自身は、ずっとそうやって作っているのだろうと考えていた。

しかし、ある時、気付いたのは、人間が土に穴を掘ったら半球や逆円錐形じゃね?という事。
つまり、尖底式土器は土に穴を掘り、その穴に粘土を付けて形を作ったのではないかという推測が出来る。

そもそも、縄文人は何故、焼いて固めた器なんてものを思い付いたのかという根源的なことを考えると、おそらく粘土質の土地を雨上がりに人が歩いたり、更に雨が降ったりして大地にくぼみが出来る。そこが干上がって土が乾き、どこかの誰かが、この乾いた土の形って良い感じの容器になるんじゃね?と思って火にかけてみたら硬くなったとか、あるいはそうしたくぼみで火をたいた後、偶然に土器になっていたのを見つけたとか、恐らくそんなところだと思うのだ。

ということは、土器はまず最初、大地を窪ませる、つまり穴を掘るところから始まっているはずだ。動物捕獲用の矢じりがついた矢みたいなものでカツカツと大地を掘ったら尖底土器の形になるはずで、ここに泥に近い柔らかい粘土をペタペタと塗っていき、ある程度乾かしたら粘土を付け足して口を成形した後、ゴソッと抜いて伏せてから外側を仕上げる、みたいな。最初はそんな感じで土器を作っていたのではないだろうか。

そのうち、土を掘るの面倒だから、もう少し粘土を乾かして可塑性出すようにすれば穴掘らなくても器作れるんじゃね?という事に気付いた人が、今度は穴を掘らずに地上で器の形を作ることを考え出して、底が平らな土器が主流になっていく。そういう流れだったんじゃないかと思う。

なので、尖底土器と、底が平らな土器では、極めて大きな技術革新というか思考の変化があったりすると思うのだ。
尖底土器は、もっと、どうやって作ったのかを深く推測する必要があると思う。縄文人の思考の根源に辿り着けるはずだから。

〔 1049文字 〕 編集

2023年8月14日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #金継ぎ

カッテージチーズの成分に脂質が有るのは脱脂粉乳から精製したとしても元が牛乳だという事を考えれば完全に除去するのは難しいんだろうし、食った時にも全く無いと旨くないんだろうと納得できるわけだが、カルシウムはどうなんだろうかと思っていたら、リン酸カルシウムがカゼインミセルの核なのは知っていたが、実はカゼインミセルが凝集して大きな塊になるにもカルシウムが必須なんだそうな。
カルシウムは、カゼインを沈殿させて取り出すために必要不可分という事なのか。無茶苦茶納得した。

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2023年8月11日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #金継ぎ

金継ぎが世界的に取り上げられているとか、日本文化は物を大切にする文化だとか、日本の景色という美学は素晴らしいとか、世間で語られる99.9%は恐らく擦り倒された金継ぎ美談である。
これには見た目だけでなく内容にまで映えを気にする昨今の事情や、日本賛美を聞いて気持ち良くなるという日本人のオナニー好きが根底にあると思っていて、正直、そういう話はもう止めてくれないかと個人的には思っている。

今の金継ぎ解説は、あくまでも金がカジュアルに購入できるという時代からの視点であって、そもそも、何故、器を直す必要があったのか(直さなければならない事情があったのか、と言い換えても良い)、金という貴重な資源を使う必要があったのかという根本的な問題について、当時の御恩と奉公という武家社会の世情をきちんと考えた上から記されたものではない。

よく金継ぎの話は侘び寂びの範疇で語られたりするが、本来、千利休が目指した侘び茶は、虚飾を排し極限までありのままの単純化を繰り返し、そうした物と向き合う事で精神の根源に行き着くという哲学であって、だからこその「侘ぶ」なのであろう。当時の金が持つ意味合いや重要性からしても明らかに金と侘びは相性が悪い。そう考えると果たして千利休は茶碗に施された金を景色として見たのか、金であることを良しとしたのかも甚だ疑問である。もし百歩譲って金継ぎがアリだとしても、それは、見えてはいるが無いものとして扱う金(どの色にも属していない、つまり傷は無いという暗黙の了解)であり、景色として鑑賞する意味合いは無かった。かもしれない。

個人的には、始まりの頃の金継ぎは、取り繕いとしての結果であって、金継ぎの意味合いが詫び寂びに組み込まれたのは、利休死後かなり経過してからで、織部の頃よりも後、詫び寂びがかなり形骸化し、侘び寂びは解釈の仕方で各人が自由に定義しても構わないという意識が広まってからではないかと考えている。さらに現在の「勿体ない」と金継ぎが結び付くのは、おそらく昭和に入ってから(戦後もだいぶ過ぎて平和になってから)だろう。

物を直して使い続けるという習慣は決して悪いものではないと思うが、そのために金継ぎを歴史の美談として扱うこと、殊更それを日本の美徳とすることは、どうも懐疑的である。というか、正直、あまりにも商業主義的に走り過ぎた解説だけがあふれかえっていると思う。もっと冷静に金継ぎの歴史を検証し、語るべきではないだろうか。

〔 1068文字 〕 編集

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