猫田に小判 -新館 -

Last Modified: 2024/04/14(Sun) RSS Feed

No.77

その思考はOSかAPPかという話

No. 77 :
#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き

他人の発言に腹が立つ時がある。腹を立てない事が精神的にも健康的にも一番なのは間違いないが、余程の修行でもしないかぎり心に波風を立てないのは難しいし、波風立てないようにしようと思う事がストレスになってしまったら本末転倒だ。
なので、凡人にとっては腹の立つ時間をいかにして最短にするのかという方法を考えるというのが1番の解決策になるのではないかと思っている。

腹が立つ理由は至極単純で、自分の思考で処理出来ない異物が侵入したため排除機能が発動するからだ。体に毒やウィルスなどの異物が入ってきた時の拒絶反応と同じものが精神にも起こる。
侵入したものを音や熱などのエネルギーに変換して体外の放出すると、大声で怒鳴ったり、顔を赤くして癇癪を起こすわけだが、今の世の中、こうした排除作用を見せるのは行儀が悪いと受け取られてしまうので、粛々とエネルギー変換をする事が求められていたりする。

体内には免疫作用というものがあって、ある程度の異物であれば生活に支障がでることなく体内で分解や排除が行われるようになっている。精神の場合は思考の見極めがそれに相当すると思う。

私の場合、腹が立つ事を言われたなぁと思ったときには、その内容が言った人間のOSに依存するものか、それともアプリ(APP)に依存するものかという区分を最初に行うことにしてる。
分かりやすく言うと、OSはその人を形成する根本に関わる事で、日本人に理解しにくい「宗教的理由」などはOSになる。日本の場合、慣習はOSになると思う(地域を離れると書き換えられる時があるので、宗教とイコールにはならないかもしれないが)。OSによる事柄は当人でも論理的に理解している可能性は低く、大抵は何を言ってもダメなので、こちらが引くか理解するしか解決策はない。私の場合は、何度か同じ話をしたり同じことをしてみて理論的回答が得られない、相手の行動が変わりそうもないと判断した場合は、OSだから仕方がないな、と思ってこちらが引くようにしている。(引くだけでダメそうな状況だったら早々に縁を切ることになるわけだが)
アプリ(APP)思考の場合は、OSへの依存度にもよるが、書き換え可能であったり交換可能であることが多い。理屈で話をすると、妥協点の形成という活路が見出だせるので、面倒ではあるが話を続けてこちらの状況も理解してもらうよう働きかけを続けることになる。

揉め事の多くは、OSをアプリと勘違いして書き換えようとしたり、アプリなのにOSだと決めつけて話をしないことで起こる。プロになるとOSをアプリに切り分けたり、アプリのふりをしてOSに介入したりするわけだが、それが良いか悪いかを判断できるほどの頭脳は私に無いので、勘違いしないことだけに気を配ることにしている。

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