猫田に小判 -新館 -

Last Modified: 2024/04/14(Sun) RSS Feed

No.70

#徒然なる日記 #金継ぎ

金継ぎが世界的に取り上げられているとか、日本文化は物を大切にする文化だとか、日本の景色という美学は素晴らしいとか、世間で語られる99.9%は恐らく擦り倒された金継ぎ美談である。
これには見た目だけでなく内容にまで映えを気にする昨今の事情や、日本賛美を聞いて気持ち良くなるという日本人のオナニー好きが根底にあると思っていて、正直、そういう話はもう止めてくれないかと個人的には思っている。

今の金継ぎ解説は、あくまでも金がカジュアルに購入できるという時代からの視点であって、そもそも、何故、器を直す必要があったのか(直さなければならない事情があったのか、と言い換えても良い)、金という貴重な資源を使う必要があったのかという根本的な問題について、当時の御恩と奉公という武家社会の世情をきちんと考えた上から記されたものではない。

よく金継ぎの話は侘び寂びの範疇で語られたりするが、本来、千利休が目指した侘び茶は、虚飾を排し極限までありのままの単純化を繰り返し、そうした物と向き合う事で精神の根源に行き着くという哲学であって、だからこその「侘ぶ」なのであろう。当時の金が持つ意味合いや重要性からしても明らかに金と侘びは相性が悪い。そう考えると果たして千利休は茶碗に施された金を景色として見たのか、金であることを良しとしたのかも甚だ疑問である。もし百歩譲って金継ぎがアリだとしても、それは、見えてはいるが無いものとして扱う金(どの色にも属していない、つまり傷は無いという暗黙の了解)であり、景色として鑑賞する意味合いは無かった。かもしれない。

個人的には、始まりの頃の金継ぎは、取り繕いとしての結果であって、金継ぎの意味合いが詫び寂びに組み込まれたのは、利休死後かなり経過してからで、織部の頃よりも後、詫び寂びがかなり形骸化し、侘び寂びは解釈の仕方で各人が自由に定義しても構わないという意識が広まってからではないかと考えている。さらに現在の「勿体ない」と金継ぎが結び付くのは、おそらく昭和に入ってから(戦後もだいぶ過ぎて平和になってから)だろう。

物を直して使い続けるという習慣は決して悪いものではないと思うが、そのために金継ぎを歴史の美談として扱うこと、殊更それを日本の美徳とすることは、どうも懐疑的である。というか、正直、あまりにも商業主義的に走り過ぎた解説だけがあふれかえっていると思う。もっと冷静に金継ぎの歴史を検証し、語るべきではないだろうか。

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