No.112, No.111, No.110, No.109, No.[4件]
今の金継ぎの「不完全美」は不自然だろうという話
No.
112
:
Posted at
2025年04月14日(月)
#徒然なる日記 #金継ぎ #陶芸
金継ぎがブームになってから、やたらと持ち上げられるようになった不完全美。
利休が説いた茶の湯の精神『詫び』が不完全美を包括していることに間違いはないのだが、果たして金継ぎが不完全美を表しているかというと、これはかなり疑問視する必要があると個人的には考えている。
少なくとも伝世品を見る限りにおいて、物を直すという習慣はあったにせよ、茶道具を漆で直し金や銀の加色をするという概念が在ったのかは甚だ疑問である。
利休が所持していたと言われる伝世品の茶道具にはヒビのあるものが幾つかある。
「一重口水指 柴庵 」
「竹一重切花入 園城寺 」
「青磁鯱耳花入 砧花入 」
「古芦屋 春日野釜 」
上記のうち、砧花入と春日野釜については鋦瓷(鎹(かすがい)による直し)を行っているが、加色などは行ってはいない。
利休の弟子とされる古田織部もまたヒビの入った伝世品があり、中でも有名なものが
「古伊賀水指 破袋 」
である。今後、これほどのものは出てこないだろうと書き置きしたという。
また、古田織部に師事したとされる本阿弥光悦の楽茶碗には、特に制作途中で生じたヒビ(裂)のあるものが多く、陶芸家の加藤唐九郎はヒビの無い茶碗は光悦ではないとまで言っており、光悦が破袋を一つの完成形として見ていたであろうことは想像に難くない。
「赤楽茶碗 雪峯 」
「楽焼黒茶碗 雨雲 」
「黒楽茶碗 時雨 」
「赤楽茶碗 乙御前 」
雪峯は今や金継ぎの代名詞にもなっているが、本来は腰落ちによって生じた縦裂が元からあったヒビで、後に破損した際、縦裂にも金が塗られることになったわけでオリジナルの雪峯は最初から金が加色されてはいないだろう。(そもそも銘が雪峯なわけだし)
これらの伝世品を見て分かるのは、ヒビそのものが茶器の「詫び」であり、直す事が必ずしも美徳となるわけではないという視点があるのではないかという事だ。
花入の円城寺には、水漏れする掛花入を床の間に飾るのは如何なものかと言われた利休が「水漏れすることがこの花入の良さだ(個性だ)」と返したというエピソードがあり、直さない事で詫びの境地を示すことも出来るという利休の考えをよく表しているのではないかと個人的には思ったりする。
つまり、利休から始まる『詫び』が内包する不完全美とは茶器が持つヒビそのものの、もっと言えば茶席に現れるヒビそのものであり、ヒビを不自然に加色することはむしろ詫びから離れることになるのではないだろうか。
今の金継ぎブームは、殊更に直す事や金などの加色を入れて、詫びだ不完全美だと声高に主張する傾向が強い。だからブームの金継ぎは、どうにもビジネス的な物語臭が強く、本来の詫びをむしろ愚弄していると言ってもいいくらいではないかとさえ思ってしまう。
直す事が美しいのではなく、それ以前から美しさというのは既に存在している。それが詫びの持つ不完全美の本来の意味なのではないだろうか。
そして、これは完全に個人的見解なのだが、仮に金継ぎを不完全美として組み入れようとするなら、それは名器が持つヒビ(裂)の見立てという約束事の上で成立することが出来るものなのかもしれない。
金継ぎがブームになってから、やたらと持ち上げられるようになった不完全美。
利休が説いた茶の湯の精神『詫び』が不完全美を包括していることに間違いはないのだが、果たして金継ぎが不完全美を表しているかというと、これはかなり疑問視する必要があると個人的には考えている。
少なくとも伝世品を見る限りにおいて、物を直すという習慣はあったにせよ、茶道具を漆で直し金や銀の加色をするという概念が在ったのかは甚だ疑問である。
利休が所持していたと言われる伝世品の茶道具にはヒビのあるものが幾つかある。
「一重口水指 柴庵 」
「竹一重切花入 園城寺 」
「青磁鯱耳花入 砧花入 」
「古芦屋 春日野釜 」
上記のうち、砧花入と春日野釜については鋦瓷(鎹(かすがい)による直し)を行っているが、加色などは行ってはいない。
利休の弟子とされる古田織部もまたヒビの入った伝世品があり、中でも有名なものが
「古伊賀水指 破袋 」
である。今後、これほどのものは出てこないだろうと書き置きしたという。
また、古田織部に師事したとされる本阿弥光悦の楽茶碗には、特に制作途中で生じたヒビ(裂)のあるものが多く、陶芸家の加藤唐九郎はヒビの無い茶碗は光悦ではないとまで言っており、光悦が破袋を一つの完成形として見ていたであろうことは想像に難くない。
「赤楽茶碗 雪峯 」
「楽焼黒茶碗 雨雲 」
「黒楽茶碗 時雨 」
「赤楽茶碗 乙御前 」
雪峯は今や金継ぎの代名詞にもなっているが、本来は腰落ちによって生じた縦裂が元からあったヒビで、後に破損した際、縦裂にも金が塗られることになったわけでオリジナルの雪峯は最初から金が加色されてはいないだろう。(そもそも銘が雪峯なわけだし)
これらの伝世品を見て分かるのは、ヒビそのものが茶器の「詫び」であり、直す事が必ずしも美徳となるわけではないという視点があるのではないかという事だ。
花入の円城寺には、水漏れする掛花入を床の間に飾るのは如何なものかと言われた利休が「水漏れすることがこの花入の良さだ(個性だ)」と返したというエピソードがあり、直さない事で詫びの境地を示すことも出来るという利休の考えをよく表しているのではないかと個人的には思ったりする。
つまり、利休から始まる『詫び』が内包する不完全美とは茶器が持つヒビそのものの、もっと言えば茶席に現れるヒビそのものであり、ヒビを不自然に加色することはむしろ詫びから離れることになるのではないだろうか。
今の金継ぎブームは、殊更に直す事や金などの加色を入れて、詫びだ不完全美だと声高に主張する傾向が強い。だからブームの金継ぎは、どうにもビジネス的な物語臭が強く、本来の詫びをむしろ愚弄していると言ってもいいくらいではないかとさえ思ってしまう。
直す事が美しいのではなく、それ以前から美しさというのは既に存在している。それが詫びの持つ不完全美の本来の意味なのではないだろうか。
そして、これは完全に個人的見解なのだが、仮に金継ぎを不完全美として組み入れようとするなら、それは名器が持つヒビ(裂)の見立てという約束事の上で成立することが出来るものなのかもしれない。
金継ぎは修理痕を目立たせるためにやるのではないという話
No.
111
:
Posted at
2025年03月06日(木)
#徒然なる日記 #金継ぎ
セラピー方面でおそらく火が付いて、すっかり定着してしまった感のある「金継ぎは壊れた事を受け入れるために、わざと修理箇所を目立たせている」という文言がある。
金継ぎした物を見てそこから何かを発想するという思考実験は美術鑑賞の基本だから、その考え方自体を否定する気は全く無いのだが、セラピー金継ぎで問題となるのは、自分が物を見て感じた一つの可能性という事を完全に無視して(というか意図的に隠して)、金継ぎが歴史的にそういう思想を元に行われ続けてきたと提示したことにある。
セラピーは基本的に心が弱っている人間、言い換えれば思考を巡らせるという能力が低下して藁をも掴みたい状態の人間を対象として行われる。そこに漬け込んで、有りもしない金継ぎの歴史で洗脳させるから、器を破壊することに躊躇が無くなったり、金色をダシにして法外な値段をふっかけられていることに気付かなくなったりする。更に酷いと金継ぎの技法を教える側の人間までが何の考えもなくセラピーの文言をワークショップの宣伝に使っていたりする。
そもそも壊れたことを目立たせるという発想は、目立たせない修理が存在しているという前提があり、その相対として成立するものなわけだが、漆を使って陶磁器を直すと間違いなく修理箇所は黒ずんで目立つ。漆自体が飴色な上に陶磁器に必ず含まれる鉄と反応するから、顔料を入れても色が黒ずむのは必然だ。
つまり昔から漆の修理品は目立つという事が周知されており、だから完品よりも格下の道具というランク付けがされていた。そこから敢えて目立たせるという思考が生まれたりすることはない。目立たせるための直しという発想は、透明な合成接着剤や変色しにくい顔料が発明されたり、あるいは器にペイントできる絵の具を使った目立たない直しがある事を知っている人間から出てくるもので、古来には無い考え方のはずだ。
では、金継ぎに金蒔き絵が導入されたのは、なぜか。金はあくまでも黒ずみを隠すための「虚飾」「見栄え」としての遊び心に過ぎない。
おそらく茶を飲む時に使える耐水耐熱性の修理剤として漆が用いられ、最初は修理箇所を気にしながらコソコソと使っていたものが、江戸の商人文化が隆盛になる辺りで天才的な発想をする人間あるいは洒落た感覚の粋な人間が金属粉で黒ずみを被覆する蒔絵の手法を導入したのだろう(ちなみに江戸時代に金継ぎという言葉はまだ生まれていなかったようなので、金継ぎとして成立したのはもっと後世の可能性もある)。つまり金色は目立たせるためではなく上手い隠し方が本意だと言って良い。そして、虚飾であった金属色には、後に「見立て(景色)」という役割(約束事)が与えられたことで、やっと道具としての居場所を確保できるようになった。たぶんそんな経緯で金継ぎは認知されたのではないかと思う。
だから、金継ぎされた物を見ていろいろと思考を巡らせるのは大いに結構だが、金継ぎを過度な救いを求める象徴としたり、救われるために平然と物を壊して金色に塗り直すような洗脳装置として使うことは、金継ぎに対する侮辱というか申し訳ないことをしているのではないかと個人的には思っている。
セラピー方面でおそらく火が付いて、すっかり定着してしまった感のある「金継ぎは壊れた事を受け入れるために、わざと修理箇所を目立たせている」という文言がある。
金継ぎした物を見てそこから何かを発想するという思考実験は美術鑑賞の基本だから、その考え方自体を否定する気は全く無いのだが、セラピー金継ぎで問題となるのは、自分が物を見て感じた一つの可能性という事を完全に無視して(というか意図的に隠して)、金継ぎが歴史的にそういう思想を元に行われ続けてきたと提示したことにある。
セラピーは基本的に心が弱っている人間、言い換えれば思考を巡らせるという能力が低下して藁をも掴みたい状態の人間を対象として行われる。そこに漬け込んで、有りもしない金継ぎの歴史で洗脳させるから、器を破壊することに躊躇が無くなったり、金色をダシにして法外な値段をふっかけられていることに気付かなくなったりする。更に酷いと金継ぎの技法を教える側の人間までが何の考えもなくセラピーの文言をワークショップの宣伝に使っていたりする。
そもそも壊れたことを目立たせるという発想は、目立たせない修理が存在しているという前提があり、その相対として成立するものなわけだが、漆を使って陶磁器を直すと間違いなく修理箇所は黒ずんで目立つ。漆自体が飴色な上に陶磁器に必ず含まれる鉄と反応するから、顔料を入れても色が黒ずむのは必然だ。
つまり昔から漆の修理品は目立つという事が周知されており、だから完品よりも格下の道具というランク付けがされていた。そこから敢えて目立たせるという思考が生まれたりすることはない。目立たせるための直しという発想は、透明な合成接着剤や変色しにくい顔料が発明されたり、あるいは器にペイントできる絵の具を使った目立たない直しがある事を知っている人間から出てくるもので、古来には無い考え方のはずだ。
では、金継ぎに金蒔き絵が導入されたのは、なぜか。金はあくまでも黒ずみを隠すための「虚飾」「見栄え」としての遊び心に過ぎない。
おそらく茶を飲む時に使える耐水耐熱性の修理剤として漆が用いられ、最初は修理箇所を気にしながらコソコソと使っていたものが、江戸の商人文化が隆盛になる辺りで天才的な発想をする人間あるいは洒落た感覚の粋な人間が金属粉で黒ずみを被覆する蒔絵の手法を導入したのだろう(ちなみに江戸時代に金継ぎという言葉はまだ生まれていなかったようなので、金継ぎとして成立したのはもっと後世の可能性もある)。つまり金色は目立たせるためではなく上手い隠し方が本意だと言って良い。そして、虚飾であった金属色には、後に「見立て(景色)」という役割(約束事)が与えられたことで、やっと道具としての居場所を確保できるようになった。たぶんそんな経緯で金継ぎは認知されたのではないかと思う。
だから、金継ぎされた物を見ていろいろと思考を巡らせるのは大いに結構だが、金継ぎを過度な救いを求める象徴としたり、救われるために平然と物を壊して金色に塗り直すような洗脳装置として使うことは、金継ぎに対する侮辱というか申し訳ないことをしているのではないかと個人的には思っている。
金継ぎ哲学の浅さに嫌気がさすという話
No.
110
:
Posted at
2025年02月26日(水)
#徒然なる日記 #金継ぎ #陶磁器修理
金継ぎパズルが話題らしい。最初に器がバラバラと崩れるビジュアルから始まるので、器を割ることから始めるのは金継ぎの精神に反すると批判する人もいるらしく、それに対し、ゲーム製作者(ポーランドの人)は金継ぎの哲学を理解していると製作意図のコメントを紹介したりと、相変わらず騒ぐの好きだねという感じで見ている。
製作者のコメント(日本語訳)を読んでみたが、あぁこの人も金継ぎ神話に騙されたのかと少し気の毒には感じた。
誰が金継ぎの哲学とやらを言い始めたのかは知らないが、そんなのが出てきたのはSDGsを企業やメディアが盛り上げたりコロナ禍でインドア趣味に活路を見出すビジネスが増えた辺りの何処かだと思う。店を始めた20年前にはそんな哲学の話など微塵もなかったし、金継ぎの店を始めますと陶器店を回っても1店を除いては話も上の空で聞いているのか聞いていないのか分からない状態。地方新聞や地方ラジオで取り上げられても問合せは数件で、「器にこんなことをされたら困る」と電話口で怒られたこともある。それくらい日本人ですら金継ぎは関心が薄く、どういうものかも分かっていない状態が普通だった。金継ぎ品を見て哲学性を感じる人は皆無と言ってもよく、骨董屋ですら直してあるから値下げしたと言って売るようなものが金継ぎ品だった。
2020年辺りを境に金継ぎが急に世間の注目を集めるようになったが、漆を使えば実用レベルで陶器を使い続けることが出来るという先達の発見への尊敬は極薄だったと思う。少なくともツイッターを見ていた限りにおいて、漆芸にかかわる人たちでも金継ぎには「漆芸に関心を持ってもらえる最初のツールにはなる」という見解が殆どで、直すことの本質を話している人は居なかったのではないかという感じがしている。
ところが、金継ぎ哲学という尾ビレが付いた途端、あれよあれよという間に金継ぎはサスティナブルだ、SDGsだ、日本人の精神だ、伝統的思想だ、ということになった。ビートルズではないが一夜にしてスターダムに上った感がある。
金継ぎ哲学はあまりにも修理後直ぐの派手な見てくれだけに執着していて、いかにも最近知った人が考えた感が拭えない。使い続けるうちに金が剥げてくることや、漆が劣化することついては一切触れない。金継ぎに哲学を加えて物語性を出すことでビジネスにしたアイディアには敬服するが、個人的には金継ぎ哲学はビジネス上必要だったというだけで、別に日本人の精神だとは思わない。
金継ぎにあるのは哲学というよりも、良くも悪くも「日本人の貧乏根性」ではないかと思う。良く言えばワンガリマータイ的な「勿体ない」とか茶の湯的には「わび」ということになるわけだが、要するに「明日の事なんて分からんけど、出来るだけのことはやっとくかな、知らんけど。」という程度がせいぜい金継ぎの持てる精一杯じゃないかと私は思っている。それ以上の、言葉を費やした美学や哲学は金継ぎの蒔絵の金と同じで加飾に過ぎない。多少の洒落っ気ではあっても別に崇高な精神性ではない。というか、そこを抑えておかないと、今ですら金継ぎは十分に歴史改ざんの憂き目に逢ったり、セラピーというお題目のもとに金継ぎという名で大量消費が行われているというのに、さらに金継ぎはどんどん取り返しがつかないレベルで曲解された挙げ句に見捨てられて終わってしまうような感じがしている。
誰かが考えた話に感動するのは自由だが、それは金継ぎのコンセプトとして組み込まれていたわけではなく、ビジネスの中から生まれたファンタジーだというのを理解して感動しないといけない。
金継ぎの認識が変わっていくのも時の流れだと言って切る捨てるのは簡単だが、出来ればもっと自然に見て、感じて、修理品と地味に長く付き合っていくようなものが金継ぎてあってほしいという一縷の望みを持っている。
金継ぎパズルが話題らしい。最初に器がバラバラと崩れるビジュアルから始まるので、器を割ることから始めるのは金継ぎの精神に反すると批判する人もいるらしく、それに対し、ゲーム製作者(ポーランドの人)は金継ぎの哲学を理解していると製作意図のコメントを紹介したりと、相変わらず騒ぐの好きだねという感じで見ている。
製作者のコメント(日本語訳)を読んでみたが、あぁこの人も金継ぎ神話に騙されたのかと少し気の毒には感じた。
誰が金継ぎの哲学とやらを言い始めたのかは知らないが、そんなのが出てきたのはSDGsを企業やメディアが盛り上げたりコロナ禍でインドア趣味に活路を見出すビジネスが増えた辺りの何処かだと思う。店を始めた20年前にはそんな哲学の話など微塵もなかったし、金継ぎの店を始めますと陶器店を回っても1店を除いては話も上の空で聞いているのか聞いていないのか分からない状態。地方新聞や地方ラジオで取り上げられても問合せは数件で、「器にこんなことをされたら困る」と電話口で怒られたこともある。それくらい日本人ですら金継ぎは関心が薄く、どういうものかも分かっていない状態が普通だった。金継ぎ品を見て哲学性を感じる人は皆無と言ってもよく、骨董屋ですら直してあるから値下げしたと言って売るようなものが金継ぎ品だった。
2020年辺りを境に金継ぎが急に世間の注目を集めるようになったが、漆を使えば実用レベルで陶器を使い続けることが出来るという先達の発見への尊敬は極薄だったと思う。少なくともツイッターを見ていた限りにおいて、漆芸にかかわる人たちでも金継ぎには「漆芸に関心を持ってもらえる最初のツールにはなる」という見解が殆どで、直すことの本質を話している人は居なかったのではないかという感じがしている。
ところが、金継ぎ哲学という尾ビレが付いた途端、あれよあれよという間に金継ぎはサスティナブルだ、SDGsだ、日本人の精神だ、伝統的思想だ、ということになった。ビートルズではないが一夜にしてスターダムに上った感がある。
金継ぎ哲学はあまりにも修理後直ぐの派手な見てくれだけに執着していて、いかにも最近知った人が考えた感が拭えない。使い続けるうちに金が剥げてくることや、漆が劣化することついては一切触れない。金継ぎに哲学を加えて物語性を出すことでビジネスにしたアイディアには敬服するが、個人的には金継ぎ哲学はビジネス上必要だったというだけで、別に日本人の精神だとは思わない。
金継ぎにあるのは哲学というよりも、良くも悪くも「日本人の貧乏根性」ではないかと思う。良く言えばワンガリマータイ的な「勿体ない」とか茶の湯的には「わび」ということになるわけだが、要するに「明日の事なんて分からんけど、出来るだけのことはやっとくかな、知らんけど。」という程度がせいぜい金継ぎの持てる精一杯じゃないかと私は思っている。それ以上の、言葉を費やした美学や哲学は金継ぎの蒔絵の金と同じで加飾に過ぎない。多少の洒落っ気ではあっても別に崇高な精神性ではない。というか、そこを抑えておかないと、今ですら金継ぎは十分に歴史改ざんの憂き目に逢ったり、セラピーというお題目のもとに金継ぎという名で大量消費が行われているというのに、さらに金継ぎはどんどん取り返しがつかないレベルで曲解された挙げ句に見捨てられて終わってしまうような感じがしている。
誰かが考えた話に感動するのは自由だが、それは金継ぎのコンセプトとして組み込まれていたわけではなく、ビジネスの中から生まれたファンタジーだというのを理解して感動しないといけない。
金継ぎの認識が変わっていくのも時の流れだと言って切る捨てるのは簡単だが、出来ればもっと自然に見て、感じて、修理品と地味に長く付き合っていくようなものが金継ぎてあってほしいという一縷の望みを持っている。
飛蚊症がひどいという話
No.
109
:
Posted at
2025年02月08日(土)
#徒然なる日記
元々、飛蚊症になりやすいというか飛蚊が気になるタイプの人間ではあるので、以前に両目の散瞳検査をして一時的に眼鏡をしても視力が0.01程度になった時に日本の街は文字や記号で人の行動を示唆していることに気付いたという話は書いたはず(もしかしたら消えてしまった旧館の方だったかもしれない)。
その後も、ちょいちょい飛蚊症になってはいても翌日には消えるのであまり気にしなかったのだが、今年に入ってから眼鏡を拭いても何となく汚れが気になるなぁと思っていたら、少し前から左目にかなりデカい飛蚊が出て何日か待っても全く消えず。普通、飛蚊は視界の中をウロウロと動き回る小さい紐みたいな感じなのだが、今回は綿埃みたいに塊になっていて、視界中央に位置して画像がモヤっとしてしまいパソコンの画面や漆の細い線がよく見えない。たまたま顕微鏡を見た時にレンズを拭いても消えない皮膚組織の欠片みたいなものがずっと見えるので、あぁこれが眼球の中にあるから飛蚊が酷いのかもしれないと気付き、仕方がないので眼科へ行くことにした。
視力検査や散瞳検査をして(今の散瞳検査は目薬を差して瞳孔を開いた後に、ガラスのレンズを眼球に押し当てず高解像度のデジタル写真で解析できるのね。ガラスを眼球に押し当てられるの苦手だったから良かったよ。技術の進歩って凄いわね。)、医者曰く、老化で硝子体が縮小してきていて、その影響で焦点近くに黒い影が出ているからこれが原因だろうと。老化による硝子体の縮小は自然な事で、もう少し縮んだら焦点から影が移動するので気にならなくなるだろうという話。対処法は無いので、一応、1か月後に再検査するということで終了。
まぁ原因が分かったのは良いのだが、毎日、起きると目の前に黒いのがフラフラ居て、視界を遮っているのでテンションダダ下がりである。私は幽霊が見えたりする人間ではないのだが、たぶん幽霊が見えるっていうのはこういう感覚なのかもしれないと思ったりする。他人に説明は出来ても見せられないわけだからね。
完全に視界が見えないわけではなく、左目だけモヤっとしていて右目の視界は良好なので、脳で像を結実させれば何とか普段の生活は出来るが、一点を集中して見なければいけない状況(仕事の時とか万年筆で文字を書く時とか)だと、これが意外とストレスが溜まる。右目だけで見ればはっきりとした視界にはなるが片目なので距離感が掴めない。器の内側に線を引くのがとにかく難しい。器の内側に線を引く時のキモは距離感の認識なのかと初めて知った。
それにしても、いつになったらこの綿埃野郎は気にならなくなるのか。ギックリ腰とか痛風とか飛蚊症とか今年は結構、体にくるガタの程度が大きい。年寄りの体の話は詰まらないのが相場なので余り書きたくないわけだが、視界に関してはストレス大きいので言わずにいられなかった。ごめんなさい。
元々、飛蚊症になりやすいというか飛蚊が気になるタイプの人間ではあるので、以前に両目の散瞳検査をして一時的に眼鏡をしても視力が0.01程度になった時に日本の街は文字や記号で人の行動を示唆していることに気付いたという話は書いたはず(もしかしたら消えてしまった旧館の方だったかもしれない)。
その後も、ちょいちょい飛蚊症になってはいても翌日には消えるのであまり気にしなかったのだが、今年に入ってから眼鏡を拭いても何となく汚れが気になるなぁと思っていたら、少し前から左目にかなりデカい飛蚊が出て何日か待っても全く消えず。普通、飛蚊は視界の中をウロウロと動き回る小さい紐みたいな感じなのだが、今回は綿埃みたいに塊になっていて、視界中央に位置して画像がモヤっとしてしまいパソコンの画面や漆の細い線がよく見えない。たまたま顕微鏡を見た時にレンズを拭いても消えない皮膚組織の欠片みたいなものがずっと見えるので、あぁこれが眼球の中にあるから飛蚊が酷いのかもしれないと気付き、仕方がないので眼科へ行くことにした。
視力検査や散瞳検査をして(今の散瞳検査は目薬を差して瞳孔を開いた後に、ガラスのレンズを眼球に押し当てず高解像度のデジタル写真で解析できるのね。ガラスを眼球に押し当てられるの苦手だったから良かったよ。技術の進歩って凄いわね。)、医者曰く、老化で硝子体が縮小してきていて、その影響で焦点近くに黒い影が出ているからこれが原因だろうと。老化による硝子体の縮小は自然な事で、もう少し縮んだら焦点から影が移動するので気にならなくなるだろうという話。対処法は無いので、一応、1か月後に再検査するということで終了。
まぁ原因が分かったのは良いのだが、毎日、起きると目の前に黒いのがフラフラ居て、視界を遮っているのでテンションダダ下がりである。私は幽霊が見えたりする人間ではないのだが、たぶん幽霊が見えるっていうのはこういう感覚なのかもしれないと思ったりする。他人に説明は出来ても見せられないわけだからね。
完全に視界が見えないわけではなく、左目だけモヤっとしていて右目の視界は良好なので、脳で像を結実させれば何とか普段の生活は出来るが、一点を集中して見なければいけない状況(仕事の時とか万年筆で文字を書く時とか)だと、これが意外とストレスが溜まる。右目だけで見ればはっきりとした視界にはなるが片目なので距離感が掴めない。器の内側に線を引くのがとにかく難しい。器の内側に線を引く時のキモは距離感の認識なのかと初めて知った。
それにしても、いつになったらこの綿埃野郎は気にならなくなるのか。ギックリ腰とか痛風とか飛蚊症とか今年は結構、体にくるガタの程度が大きい。年寄りの体の話は詰まらないのが相場なので余り書きたくないわけだが、視界に関してはストレス大きいので言わずにいられなかった。ごめんなさい。