猫田に小判 -新館 -

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金継ぎ哲学の浅さに嫌気がさすという話

No. 110 :
#徒然なる日記 #金継ぎ #陶磁器修理

金継ぎパズルが話題らしい。最初に器がバラバラと崩れるビジュアルから始まるので、器を割ることから始めるのは金継ぎの精神に反すると批判する人もいるらしく、それに対し、ゲーム製作者(ポーランドの人)は金継ぎの哲学を理解していると製作意図のコメントを紹介したりと、相変わらず騒ぐの好きだねという感じで見ている。
製作者のコメント(日本語訳)を読んでみたが、あぁこの人も金継ぎ神話に騙されたのかと少し気の毒には感じた。

誰が金継ぎの哲学とやらを言い始めたのかは知らないが、そんなのが出てきたのはSDGsを企業やメディアが盛り上げたりコロナ禍でインドア趣味に活路を見出すビジネスが増えた辺りの何処かだと思う。店を始めた20年前にはそんな哲学の話など微塵もなかったし、金継ぎの店を始めますと陶器店を回っても1店を除いては話も上の空で聞いているのか聞いていないのか分からない状態。地方新聞や地方ラジオで取り上げられても問合せは数件で、「器にこんなことをされたら困る」と電話口で怒られたこともある。それくらい日本人ですら金継ぎは関心が薄く、どういうものかも分かっていない状態が普通だった。金継ぎ品を見て哲学性を感じる人は皆無と言ってもよく、骨董屋ですら直してあるから値下げしたと言って売るようなものが金継ぎ品だった。

2020年辺りを境に金継ぎが急に世間の注目を集めるようになったが、漆を使えば実用レベルで陶器を使い続けることが出来るという先達の発見への尊敬は極薄だったと思う。少なくともツイッターを見ていた限りにおいて、漆芸にかかわる人たちでも金継ぎには「漆芸に関心を持ってもらえる最初のツールにはなる」という見解が殆どで、直すことの本質を話している人は居なかったのではないかという感じがしている。
ところが、金継ぎ哲学という尾ビレが付いた途端、あれよあれよという間に金継ぎはサスティナブルだ、SDGsだ、日本人の精神だ、伝統的思想だ、ということになった。ビートルズではないが一夜にしてスターダムに上った感がある。

金継ぎ哲学はあまりにも修理後直ぐの派手な見てくれだけに執着していて、いかにも最近知った人が考えた感が拭えない。使い続けるうちに金が剥げてくることや、漆が劣化することついては一切触れない。金継ぎに哲学を加えて物語性を出すことでビジネスにしたアイディアには敬服するが、個人的には金継ぎ哲学はビジネス上必要だったというだけで、別に日本人の精神だとは思わない。
金継ぎにあるのは哲学というよりも、良くも悪くも「日本人の貧乏根性」ではないかと思う。良く言えばワンガリマータイ的な「勿体ない」とか茶の湯的には「わび」ということになるわけだが、要するに「明日の事なんて分からんけど、出来るだけのことはやっとくかな、知らんけど。」という程度がせいぜい金継ぎの持てる精一杯じゃないかと私は思っている。それ以上の、言葉を費やした美学や哲学は金継ぎの蒔絵の金と同じで加飾に過ぎない。多少の洒落っ気ではあっても別に崇高な精神性ではない。というか、そこを抑えておかないと、今ですら金継ぎは十分に歴史改ざんの憂き目に逢ったり、セラピーというお題目のもとに金継ぎという名で大量消費が行われているというのに、さらに金継ぎはどんどん取り返しがつかないレベルで曲解された挙げ句に見捨てられて終わってしまうような感じがしている。
誰かが考えた話に感動するのは自由だが、それは金継ぎのコンセプトとして組み込まれていたわけではなく、ビジネスの中から生まれたファンタジーだというのを理解して感動しないといけない。
金継ぎの認識が変わっていくのも時の流れだと言って切る捨てるのは簡単だが、出来ればもっと自然に見て、感じて、修理品と地味に長く付き合っていくようなものが金継ぎてあってほしいという一縷の望みを持っている。

〔 1629文字 〕 編集

飛蚊症がひどいという話

No. 109 :
#徒然なる日記

元々、飛蚊症になりやすいというか飛蚊が気になるタイプの人間ではあるので、以前に両目の散瞳検査をして一時的に眼鏡をしても視力が0.01程度になった時に日本の街は文字や記号で人の行動を示唆していることに気付いたという話は書いたはず(もしかしたら消えてしまった旧館の方だったかもしれない)。
その後も、ちょいちょい飛蚊症になってはいても翌日には消えるのであまり気にしなかったのだが、今年に入ってから眼鏡を拭いても何となく汚れが気になるなぁと思っていたら、少し前から左目にかなりデカい飛蚊が出て何日か待っても全く消えず。普通、飛蚊は視界の中をウロウロと動き回る小さい紐みたいな感じなのだが、今回は綿埃みたいに塊になっていて、視界中央に位置して画像がモヤっとしてしまいパソコンの画面や漆の細い線がよく見えない。たまたま顕微鏡を見た時にレンズを拭いても消えない皮膚組織の欠片みたいなものがずっと見えるので、あぁこれが眼球の中にあるから飛蚊が酷いのかもしれないと気付き、仕方がないので眼科へ行くことにした。

視力検査や散瞳検査をして(今の散瞳検査は目薬を差して瞳孔を開いた後に、ガラスのレンズを眼球に押し当てず高解像度のデジタル写真で解析できるのね。ガラスを眼球に押し当てられるの苦手だったから良かったよ。技術の進歩って凄いわね。)、医者曰く、老化で硝子体が縮小してきていて、その影響で焦点近くに黒い影が出ているからこれが原因だろうと。老化による硝子体の縮小は自然な事で、もう少し縮んだら焦点から影が移動するので気にならなくなるだろうという話。対処法は無いので、一応、1か月後に再検査するということで終了。

まぁ原因が分かったのは良いのだが、毎日、起きると目の前に黒いのがフラフラ居て、視界を遮っているのでテンションダダ下がりである。私は幽霊が見えたりする人間ではないのだが、たぶん幽霊が見えるっていうのはこういう感覚なのかもしれないと思ったりする。他人に説明は出来ても見せられないわけだからね。
完全に視界が見えないわけではなく、左目だけモヤっとしていて右目の視界は良好なので、脳で像を結実させれば何とか普段の生活は出来るが、一点を集中して見なければいけない状況(仕事の時とか万年筆で文字を書く時とか)だと、これが意外とストレスが溜まる。右目だけで見ればはっきりとした視界にはなるが片目なので距離感が掴めない。器の内側に線を引くのがとにかく難しい。器の内側に線を引く時のキモは距離感の認識なのかと初めて知った。

それにしても、いつになったらこの綿埃野郎は気にならなくなるのか。ギックリ腰とか痛風とか飛蚊症とか今年は結構、体にくるガタの程度が大きい。年寄りの体の話は詰まらないのが相場なので余り書きたくないわけだが、視界に関してはストレス大きいので言わずにいられなかった。ごめんなさい。

〔 1211文字 〕 編集

年末年始で勉強したという話

No. 108 :
#徒然なる日記

正直、私は頭が悪い。どれくらい頭が悪いかというと中学で1年浪人し、やっとのことで高校に入った経歴を持つ程度には悪い。
なので当然、高校でも成績は悪く、授業でも全く理解出来ずに喋っていたので外を走ってろと言われて結構な時間を外で過ごした記憶がある。

そんなわけで高校のテストの点は赤点を連発していたが、何故か大学で講義を聴いたり陶芸の本を読むのは好きだった。(美大なので講義内容が好きに選択出来たことは大きいと思う。)だから陶芸に関する鉱物学や化学式はそこそこ分かるようになった。
そんな状態で金継ぎ屋を始めたので、漆についての座学的な知識は今にして思えば皆無と言っても良い状態が長かったと断言しても良いだろう。経験則だけが武器だったようなものである。もっとも、あの頃はネットを見ても漆の情報なんて無かったし、田舎の本屋では書籍も見つからなかったから経験則しか武器が無いのも仕方がなかったのかもしれないが。とにかく20年を掛けて、やっとおぼろげに漆の少し専門的な話を理解出来る程度にはなったわけである。

で、最近、金継ぎの漆の質問をされたり、年末年始が無茶苦茶暇だったこともあって、もう一度高校の有機化学を勉強し直そうという気になった。
別に受験をするわけではないので、テストの問題が解ける必要は無い。漆についての論文をもう少し理解出来る知識がほしいということで、ネットのサイトを読んだりYoutubeの高校の基礎化学の動画を何度も見たりしていた。

最初は何を言っているかさっぱり分からなかったが、繰り返し見ていると不思議なもので頭の中で知識が組み上がってくる。学生の頃のように浸み込む事は当然無いので、とにかく何度も見直す必要はあったわけだが、少なくとも高校の頃よりは知識が付いたというか、高校では組み上がらなかったパズルを組み上けることが出来るようになった。
しかも、自分でも驚くことに高校の基礎化学が分かると、ちゃんと漆の論文を読んでも8割くらいは理解が出来る。
漆の論文は(スペクトル分析の値が云々ってのは理屈は分かっても何となくしか理解出来ていないが、それ以外の骨子については)高校の基礎化学の知識があれば、結構ちゃんと読めるものだということが分かった。基礎化学って基礎というだけあって、やっぱり大切なのね。

いくつになっても勉強は出来るという言葉は、こういう事かと今更ながらに五臓六腑に染み渡った。
歳を取ってから放送大学とかで学びたいという大人が多いのは、この感覚なのかと若干目から鱗であった。

と、そんな事があったので、実はnoteの金継ぎ解説 の漆についての部分は少し加筆訂正をしたりしている。
本でも重版の際に修正したりってのがあるけど、まぁ、それと似たようなものだと思う。

〔 1175文字 〕 編集

時代のどこかで贅沢の逆転は起こるという話

No. 107 :
#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #金継ぎ

Youtubeを見てたら、お勧めに「【落合陽一×京都】日本文化の可能性と世界発信の戦略を考える。」という動画が出てきたので、面白そうだから見てみた。NewsPicksの呼び込み動画なので、冒頭17分の一番良いところで切れるため、その後の展開は分からないけれども(無料トライアルで見られるらしいが)、最後の部分で非常に興味深い会話があったので、ちょっと文字起こししてみる。最初の2つはゲストの言葉。それを受けてのオーナー落合陽一氏が返すという構成。

「サスティナビリティをSDGsっていう海外の解釈を入れたうえで真似るんじゃなくて、日本の文化に根差しながら上手くネットワークを張っていくだけでも、かなり魅力的なものになる。」
「日本は最先端をやってたし、今もやっているっていうことですよね。」

「多分それがね僕は誤解だと思っている。それ単純に言うとね、日本は貧しかっただけなんですよ。人類は適宜 京都の清貧さにね、清貧っていうことは素晴らしいことだって納得してきたっていう失敗があるんです。その失敗をいつも繰り返すんですけど、その源流には古代的なものの中からエッセンスを見付けてきて最先端の発展を作ろうっていう失敗があるんですよ。つまり今やっているのは20年30年40年前も毎回同じ事やってきた話と同じことをまた言われたって感じなの。でね、あれは絶対どこか間違ってる。俺はそれが何故か何か知りたくて今日この場があると思ってて。そこまで達せないとやった意味がない。」

で、これを見て急に思い出したのだが、前に、ブログかツイッターで「喫茶店でノートを開いて万年筆で文字を書くのは贅沢な時間だ。しかし元々はペンで文字を書くのが当たり前で、パソコンやスマホで文字を打つことは贅沢だったはずが、いつかどこかで逆転し、文字を打つことが当たり前で、文字を書く事の方が贅沢になった。文字を書くことが贅沢になったのはいつからだろう」という類のことを言ったな、という事。文字数的にはツイッターかもしれない。

金継ぎブームが来る前に書いたと思うんだけど、金継ぎに物語性を持たせてブームとして広まった根本は、恐らく、この贅沢の転換によるものなのだろう。
本来、物を直して使うというのは、選択肢の無い状態の中で生活を継続するための唯一の手段であって、要するに貧しいからやらざるを得ないという側面がほぼ全てと言っても良い。新たに物を求める事、買うことは贅沢であり、物を直すのは貧しさの継続に相違ない。江戸の焼き継ぎなんていうのは、貧しさ故の工夫そのものだ。
ただし極一部の数寄者だけが、茶席における直しに対して贅沢という感覚を持っていた。だから漆を使う。

消費社会が少しずつ生活習慣として溶け込んでくると、庶民感覚の直しという行動は、買い直しへと転化する。直すという貧しい生活イメージからの逃避というよりは、時間の価値が高くなることで直す時間の消費を嫌ったということが大きいのかもしれない。しかし、更に消費が進んで身の回りから直す事が消え、直しに付随していた貧しさも忘れさられて直しそのものが希少性を持ち始めると、直しは贅沢の象徴として立ち上がってくるようになる。ここへ来て、直すことは貧しく、新しいものを買うことは贅沢、という価値観が完全に逆転する。
金継ぎブームが起こったのは、恐らく、そういうことがベースになっている。金継ぎは現代における贅沢のイコンという側面の方が大きい。

以前にこのブログでも、現代の金継ぎは直すという生活を選択した象徴として機能しているのだろうと書いたことがあるが、もっと分かりやすく言えば贅沢の標榜という事なのだろう。SNSに壊れた器や金継ぎした器を載せるのは、要するに自分の贅沢を確認するということだ。しかも漆ではなく接着剤、金ではなく真鍮粉の直しが多いのは、手っ取り早く贅沢のフラグを立てたいというファスト文化な確認の表れ(ある意味、この辺に貧しさの片鱗が残っていると言えなくもない)で一時的な贅沢の逆転によるものだという事を表していると思う。

人類が京都の清貧さを素晴らしいと思うのも、清貧さに贅沢というアイコンを重ね合わせるからなのかもしれない。つまり清貧なのではなく、清貧という贅沢に対するあこがれが、人類にはサイクルとして現れるということなのではないかと思う。それを失敗とするかは直ぐに決まるものではないのかもしれないが、個人的には失敗の割合は大きいと思うので落合氏の考え方と重なるところは大きく、贅沢の逆転が起るという事と逆転の起点を認識しないまま、ずっと同じ価値観が続いていると思い込んでいる事が失敗の繰り返しを誘発するのは間違いないような気がする。贅沢は循環する。その転換点が何故起こったのかを見極めることは結構大切だという事なのだろう。

〔 2033文字 〕 編集

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き #金継ぎ

金継ぎについて質問を受けたのがきっかけで、そこからウルシオールが酸化して固まるというのを改めて勉強して知識を整理しておかないとアカンかな。と痛感し、ネットで漆関連のサイトを見たり、ネットで見られる範囲の論文を読んだりしていて、漆が固まるのに湿度が必要つまり水蒸気が必要だという見解は共通して登場するものの、では実際に水蒸気がどういった使われ方をしているのかという具体的な話になると殆ど説明されていない感じがしなくね?という事実に気付く。

「酵素がウルシオールの酸化に水蒸気を利用している」とか、「水から酸素を取り出して使っている」という説明は見るのだが、では、H2つとО1つはどのように分解されて、それぞれがどういう経緯で使われたり放出されたりする等の、そういう話が見当たらない。結構、いろいろ見たのだが、カテコールが酵素の脱水素作用で繋がるとか、側鎖とカテコールが繋がるという話は多いのに、そこに水が介在するという話が出てこない。

漆は相対湿度が60%を下回ると恐ろしく乾かないというのは事実で、だから冬は漆風呂の管理とか大変なわけだから水蒸気が何かの役に立っていることは間違いない。だが、漆の方向から調べても結論が出ないということで、仕方がないから湿度と酸素の関係から更に検索範囲を広げてサイトをあたっていたところ、湿度が上がると酸素透過が高くなるという話を見付けた。アドレスから元をたどってみた所、三菱ケミカル株式会社が作成しているエチレン-ビニルアルコール共重合樹脂「ソアノール」という樹脂膜に関するサイトで、その中の、物を包む事についての基礎知識の8番の酸素透過係数の湿度依存性というPDFだった。

三菱ケミカル株式会社 ガスバリア講座のサイト
www.soarnol.com/jpn/solution/

8番だけ読んでも用語がよく分からないので1番から読み直してみたところ、要するに、ヒドロキシ基(OHのでっぱり)を持つ高分子は、相対湿度が60%を超えると高分子の隙間(穴っぽこ)に侵入した水分子が増えて隙間を広げる。そのため高分子膜は相対湿度が上がると酸素の透過度が高くなる。という事なのだそうだ。

そうえいば、水というのは世界最強の濡れ、つまり隙間侵入能力を持っているから、とにかく接着の邪魔になるというのは接着剤の本で読んだことがある。そして、ウルシオールのカテコールはヒドロキシ基を2つ持っていて、そのうちの1つが酵素によって脱水素されて酸化するが、もう1個ヒドロキシ基が残っていれば、漆が乾き始めた時の表面って、ヒドロキシ基を持った高分子の極薄膜って事になるんじゃないのか?それが湿度60%を超えると、水蒸気によって隙間が広がり酸素が透過して、極薄膜の下の酵素が奪った水素と結合し水として放出することが可能になり、酵素が活性化する、と。そんな風に推測する事が出来る。

つまり、水蒸気は分解されたり結合に使われているわけじゃなく、耳鼻科で鼻の穴を広げて薬噴霧したりするときに使う医療用の拡張器具みたいなことに使われているという事なのか?!って話。

実際のところ、ウルシオールの薄膜がガスバリア講座の高分子膜と同じ扱いに出来るのかは私の頭では限界があって恥ずかしい所よく分からない。こういうのは専門家がお高い機材を使って調べたり、難しい計算をして統計的に妥当な値なのか導き出す必要がある分野なので、市井の金継ぎ屋がどうこう出来る話じゃないから、あくまで推測の域を出ないのだが、水蒸気の使われ方がほとんど見当たらない以上、期待値高めの推論にはなるような感じがする。

ちなみに、湿度と高分子の隙間と酸素透過の関連グラフを見ると、相対湿度30%前後が一番低く、酸素が透過しない。ということは、仮に水蒸気が漆膜の隙間に関与しているなら、相対湿度30%辺りで漆を保管すると最も酵素が酸素と結合しにくく適値だという事にもなる。湿度は低ければ低いほど保管に良いということにならないし、グラフ通りだったとしたら湿度0%で漆が乾く可能性も考えられるわけだから、これはこれで結構衝撃的な話になったりしそうな感じもする。

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〔 1794文字 〕 編集

陶磁器の町医者という話の補足

No. 105 :
#徒然なる日記 #金継ぎ

3つ前のログで、当時はあまりにも世の中の金継ぎに対する扱いが酷かったので、田舎に帰ったのを機に陶磁器の町医者みたいになれたら良いなと思って金継ぎ修理屋を始めたという話を書いたが、別に世のため人のためとか、何か役に立ちたいとか、そういう正義感みたいな殊勝な心掛けがあったわけではないというのは付け加えておかないといけないな、と急に気付いたので補足を書くことにした。文章を書いている時は必至だが、改めて読み直してみると何となく偉そうな物言いだった気がする。

陶磁器の町医者を目指したのは、あくまで、当時は陶磁器を真剣に直す事を考えていた人が居なそうだったから。つまり、見渡す限り誰もいないブルーオーシャンだったからという事と、ブルーオーシャンなら少なくとも人生退屈しなさそうだなと思ったからであって、それで世の中がどうこうなったり、人類が幸せになるとかは全く考えていなかった。栃木へ帰ってきたのは東京でリストラになり限界を感じたからで、今にして思えば都落ちというか落ち武者気分で結構、いつ死んでもいいかくらいに考えていたように思う。猫田さんが居たから死ぬつもりはなかったけども。
だから、金継ぎ修理屋はかなりの見切り発車だったし、今も見切り発車のままなので、金継ぎブームの波には全く乗れていないし、正直、確定申告は毎年還付請求ばかりだ。未来を見据えたりもしていないし、何か大きいことをやってやるみたいな夢も無いので個人事業主で一人で仕事していれば十分だと思っている。

まぁ、仕事の目安として、自分にとって「粋」か「無粋(野暮)」かという見極めだけは間違えないようにしたいというのは忘れないようにしているけれど。
例えば、元の陶磁器を差し置いて修理箇所が主張すること、元の陶磁器が全く違う物に見えてしまうことは、私にとって無粋。第三者が何と言おうと、器の持ち主が直して良かったと思う以上の事をするのは無粋。自分のイメージ以下の仕上がりは言うまでもなく無粋。そういう感じだ。だからいつも探り探りで不安しかない。

あなたにとって金継ぎとは何ですか?というのは、昔はよく聞かれた(今は聞く人がいるほど人付き合いが無いというだけだが)。
そういう時は必ずこう言っていた。

「自分でも何だかよく分からないんですよ。分からないから今、何となくやれてます。分かったら辛くなると思うので辞め時ってことでしょうね。」

〔 1030文字 〕 編集

柿渋は下手物ではないという話

No. 104 :
#どうでもいい思い付き #徒然なる日記 #柿渋

渋い梨をどうすれば食えるか調べているうち、渋柿に含まれるカテキン(渋柿ポリフェノール)に興味が出てきた。
だいぶ昔に柿渋を買ってはみたものの強烈な〇ンコ臭で断念したことを思い出したが、今は無臭の柿渋があるということで、またちょっと気になってきて無臭柿渋を買ってみたところ本当に無臭で驚いた。
せっかく買ったのでネットで柿渋の使い方を調べていて、もしかしたら陶胎漆器に塗ったら良い感じになったりするのかもしれないと閃く。
実は、少し前、試験的に日常使いしていた陶胎漆器の飯椀に米粒が固着していたため水を付けて爪でカリカリやっていたら、表面の漆が素地もろとも剥げるという基材破壊を起こしてしまい、やっぱりもう少し下地から何とかしないと安心して使うのは難しそうだと実感したので、それも兼ねて素焼き素地に柿渋を塗ったらどうかと気付くのは自然な流れであろう。

テスト用の素焼き素地はたくさんあるので、柿渋を水で薄めて濃さを変えながら刷毛で塗ってみる。1回塗ってもほとんど吸い込まれてしまい表面に柿渋は残らない。瓶から出した状態の柿渋であれば2回塗ると表面に極薄い塗膜が出来て光沢が出てくるのだが、2倍に希釈すると5,6回塗ってやっと吸い込みは止まってくるが塗膜のような光沢が出ることはない。陶胎漆器の下地に使うなら希釈せず塗る方が良いのかなと思ったが、試しに素地を指で弾いてみたところ音が全く違う。希釈なしの2回塗りは塗っていない素地と似たような音だが、希釈して何度も塗ったものは明らかに音が高く、締まった素地の音がする。

それで、柿渋というのは塗膜として使うものではなく、浸み込ませる事で素地を改善するという使い方をするものなのかと気付いた。
柿渋は漆と違い水性溶剤だ。それゆえによく浸透する。水分が無くなるとカテキンが酸化によって結合していく。その際に素地の成分も結び付けたりするのだろう。だから素地が締まった音になる。漆も柿渋もフェノール樹脂のオリゴマーが結びついてポリマーになるのは同じだが、結合する場所が違うというわけだ。

昔から漆芸では、柿渋で作った下地を「渋下地(しぶしたじ)」と呼び、漆の下地の代用品とか、安価で作るための下手物とか、要するに見下される扱いをされてきた。
私も、そういうものなのかと信じ込まされていた節があるわけだが、いや、ちょっと待てよ。これは柿渋本来のポテンシャルを見誤った考え方なのではないかと気付いた。
どちらも塗料というジャンルで見ると、確かに漆に比べれば柿渋の塗膜は弱いし、撥水性はあるにせよ長時間の耐水性までは無いかもしれない。だがそれは塗膜という土俵においての話であって、柿渋は本来、漆のような厚い被膜を作る使い方ではなく、少しずつ浸透させ胎を作るという全く異なるジャンルでこそ実力を発揮するものではないかと思う。

塗って浸透するまで待ってから、表面を布で乾拭きする。それを繰り返し、表面にうっすらと艶が出てきた状態で止める。塗膜にするのではなく、その前で完成とする。これが本来の渋下地のポテンシャルを最大限に発揮させる使い方という事になるような感じがする。
ちなみに、表面に艶が出ても止めずに塗り続けると、柿渋が弾かれて玉状になり斑が出て来るので見た目が汚いのと、著しく接着性が落ちて剥離し始めるからやらない方が良い。

〔 1423文字 〕 編集

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