猫田に小判 -新館 -

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No.105

陶磁器の町医者という話の補足

No. 105 :
#徒然なる日記 #金継ぎ

3つ前のログで、当時はあまりにも世の中の金継ぎに対する扱いが酷かったので、田舎に帰ったのを機に陶磁器の町医者みたいになれたら良いなと思って金継ぎ修理屋を始めたという話を書いたが、別に世のため人のためとか、何か役に立ちたいとか、そういう正義感みたいな殊勝な心掛けがあったわけではないというのは付け加えておかないといけないな、と急に気付いたので補足を書くことにした。文章を書いている時は必至だが、改めて読み直してみると何となく偉そうな物言いだった気がする。

陶磁器の町医者を目指したのは、あくまで、当時は陶磁器を真剣に直す事を考えていた人が居なそうだったから。つまり、見渡す限り誰もいないブルーオーシャンだったからという事と、ブルーオーシャンなら少なくとも人生退屈しなさそうだなと思ったからであって、それで世の中がどうこうなったり、人類が幸せになるとかは全く考えていなかった。栃木へ帰ってきたのは東京でリストラになり限界を感じたからで、今にして思えば都落ちというか落ち武者気分で結構、いつ死んでもいいかくらいに考えていたように思う。猫田さんが居たから死ぬつもりはなかったけども。
だから、金継ぎ修理屋はかなりの見切り発車だったし、今も見切り発車のままなので、金継ぎブームの波には全く乗れていないし、正直、確定申告は毎年還付請求ばかりだ。未来を見据えたりもしていないし、何か大きいことをやってやるみたいな夢も無いので個人事業主で一人で仕事していれば十分だと思っている。

まぁ、仕事の目安として、自分にとって「粋」か「無粋(野暮)」かという見極めだけは間違えないようにしたいというのは忘れないようにしているけれど。
例えば、元の陶磁器を差し置いて修理箇所が主張すること、元の陶磁器が全く違う物に見えてしまうことは、私にとって無粋。第三者が何と言おうと、器の持ち主が直して良かったと思う以上の事をするのは無粋。自分のイメージ以下の仕上がりは言うまでもなく無粋。そういう感じだ。だからいつも探り探りで不安しかない。

あなたにとって金継ぎとは何ですか?というのは、昔はよく聞かれた(今は聞く人がいるほど人付き合いが無いというだけだが)。
そういう時は必ずこう言っていた。

「自分でも何だかよく分からないんですよ。分からないから今、何となくやれてます。分かったら辛くなると思うので辞め時ってことでしょうね。」

〔 1030文字 〕 編集

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