No.72, No.71, No.70, No.69, No.68, No.67, No.66[7件]
尖底土器は意外と過小評価されていると思う話
No.
72
:
Posted at
2023年08月18日(金)
#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き#陶芸 #縄文時代
縄文式土器というと縄文中期の火炎型がやたら有名なのは、形の面白さから理解できるわけだが、私は縄文初期の丸底や尖底土器というのがかなり昔から気になっている。
というのも、先が尖った安定しない器というのは現代の陶芸感覚からすると非常に作り難い。今の感覚で作り方を考えるとすれば、粘土を山形に固めて少し乾かして先端が乾き始めたら中を削り、ひっくり返して口の方を作っていくというのが最も効率的なのかもしれない。なので結果的には外を先に仕上げる事になる。私自身は、ずっとそうやって作っているのだろうと考えていた。
しかし、ある時、気付いたのは、人間が土に穴を掘ったら半球や逆円錐形じゃね?という事。
つまり、尖底式土器は土に穴を掘り、その穴に粘土を付けて形を作ったのではないかという推測が出来る。
そもそも、縄文人は何故、焼いて固めた器なんてものを思い付いたのかという根源的なことを考えると、おそらく粘土質の土地を雨上がりに人が歩いたり、更に雨が降ったりして大地にくぼみが出来る。そこが干上がって土が乾き、どこかの誰かが、この乾いた土の形って良い感じの容器になるんじゃね?と思って火にかけてみたら硬くなったとか、あるいはそうしたくぼみで火をたいた後、偶然に土器になっていたのを見つけたとか、恐らくそんなところだと思うのだ。
ということは、土器はまず最初、大地を窪ませる、つまり穴を掘るところから始まっているはずだ。動物捕獲用の矢じりがついた矢みたいなものでカツカツと大地を掘ったら尖底土器の形になるはずで、ここに泥に近い柔らかい粘土をペタペタと塗っていき、ある程度乾かしたら粘土を付け足して口を成形した後、ゴソッと抜いて伏せてから外側を仕上げる、みたいな。最初はそんな感じで土器を作っていたのではないだろうか。
そのうち、土を掘るの面倒だから、もう少し粘土を乾かして可塑性出すようにすれば穴掘らなくても器作れるんじゃね?という事に気付いた人が、今度は穴を掘らずに地上で器の形を作ることを考え出して、底が平らな土器が主流になっていく。そういう流れだったんじゃないかと思う。
なので、尖底土器と、底が平らな土器では、極めて大きな技術革新というか思考の変化があったりすると思うのだ。
尖底土器は、もっと、どうやって作ったのかを深く推測する必要があると思う。縄文人の思考の根源に辿り着けるはずだから。
縄文式土器というと縄文中期の火炎型がやたら有名なのは、形の面白さから理解できるわけだが、私は縄文初期の丸底や尖底土器というのがかなり昔から気になっている。
というのも、先が尖った安定しない器というのは現代の陶芸感覚からすると非常に作り難い。今の感覚で作り方を考えるとすれば、粘土を山形に固めて少し乾かして先端が乾き始めたら中を削り、ひっくり返して口の方を作っていくというのが最も効率的なのかもしれない。なので結果的には外を先に仕上げる事になる。私自身は、ずっとそうやって作っているのだろうと考えていた。
しかし、ある時、気付いたのは、人間が土に穴を掘ったら半球や逆円錐形じゃね?という事。
つまり、尖底式土器は土に穴を掘り、その穴に粘土を付けて形を作ったのではないかという推測が出来る。
そもそも、縄文人は何故、焼いて固めた器なんてものを思い付いたのかという根源的なことを考えると、おそらく粘土質の土地を雨上がりに人が歩いたり、更に雨が降ったりして大地にくぼみが出来る。そこが干上がって土が乾き、どこかの誰かが、この乾いた土の形って良い感じの容器になるんじゃね?と思って火にかけてみたら硬くなったとか、あるいはそうしたくぼみで火をたいた後、偶然に土器になっていたのを見つけたとか、恐らくそんなところだと思うのだ。
ということは、土器はまず最初、大地を窪ませる、つまり穴を掘るところから始まっているはずだ。動物捕獲用の矢じりがついた矢みたいなものでカツカツと大地を掘ったら尖底土器の形になるはずで、ここに泥に近い柔らかい粘土をペタペタと塗っていき、ある程度乾かしたら粘土を付け足して口を成形した後、ゴソッと抜いて伏せてから外側を仕上げる、みたいな。最初はそんな感じで土器を作っていたのではないだろうか。
そのうち、土を掘るの面倒だから、もう少し粘土を乾かして可塑性出すようにすれば穴掘らなくても器作れるんじゃね?という事に気付いた人が、今度は穴を掘らずに地上で器の形を作ることを考え出して、底が平らな土器が主流になっていく。そういう流れだったんじゃないかと思う。
なので、尖底土器と、底が平らな土器では、極めて大きな技術革新というか思考の変化があったりすると思うのだ。
尖底土器は、もっと、どうやって作ったのかを深く推測する必要があると思う。縄文人の思考の根源に辿り着けるはずだから。
カッテージチーズの成分にカルシウムが入っている理由
No.
71
:
Posted at
2023年08月14日(月)
金継ぎをカジュアルな美談にするのは止めないか?という話
No.
70
:
Posted at
2023年08月11日(金)
#徒然なる日記 #金継ぎ
金継ぎが世界的に取り上げられているとか、日本文化は物を大切にする文化だとか、日本の景色という美学は素晴らしいとか、世間で語られる99.9%は恐らく擦り倒された金継ぎ美談である。
これには見た目だけでなく内容にまで映えを気にする昨今の事情や、日本賛美を聞いて気持ち良くなるという日本人のオナニー好きが根底にあると思っていて、正直、そういう話はもう止めてくれないかと個人的には思っている。
今の金継ぎ解説は、あくまでも金がカジュアルに購入できるという時代からの視点であって、そもそも、何故、器を直す必要があったのか(直さなければならない事情があったのか、と言い換えても良い)、金という貴重な資源を使う必要があったのかという根本的な問題について、当時の御恩と奉公という武家社会の世情をきちんと考えた上から記されたものではない。
よく金継ぎの話は侘び寂びの範疇で語られたりするが、本来、千利休が目指した侘び茶は、虚飾を排し極限までありのままの単純化を繰り返し、そうした物と向き合う事で精神の根源に行き着くという哲学であって、だからこその「侘ぶ」なのであろう。当時の金が持つ意味合いや重要性からしても明らかに金と侘びは相性が悪い。そう考えると果たして千利休は茶碗に施された金を景色として見たのか、金であることを良しとしたのかも甚だ疑問である。もし百歩譲って金継ぎがアリだとしても、それは、見えてはいるが無いものとして扱う金(どの色にも属していない、つまり傷は無いという暗黙の了解)であり、景色として鑑賞する意味合いは無かった。かもしれない。
個人的には、始まりの頃の金継ぎは、取り繕いとしての結果であって、金継ぎの意味合いが詫び寂びに組み込まれたのは、利休死後かなり経過してからで、織部の頃よりも後、詫び寂びがかなり形骸化し、侘び寂びは解釈の仕方で各人が自由に定義しても構わないという意識が広まってからではないかと考えている。さらに現在の「勿体ない」と金継ぎが結び付くのは、おそらく昭和に入ってから(戦後もだいぶ過ぎて平和になってから)だろう。
物を直して使い続けるという習慣は決して悪いものではないと思うが、そのために金継ぎを歴史の美談として扱うこと、殊更それを日本の美徳とすることは、どうも懐疑的である。というか、正直、あまりにも商業主義的に走り過ぎた解説だけがあふれかえっていると思う。もっと冷静に金継ぎの歴史を検証し、語るべきではないだろうか。
金継ぎが世界的に取り上げられているとか、日本文化は物を大切にする文化だとか、日本の景色という美学は素晴らしいとか、世間で語られる99.9%は恐らく擦り倒された金継ぎ美談である。
これには見た目だけでなく内容にまで映えを気にする昨今の事情や、日本賛美を聞いて気持ち良くなるという日本人のオナニー好きが根底にあると思っていて、正直、そういう話はもう止めてくれないかと個人的には思っている。
今の金継ぎ解説は、あくまでも金がカジュアルに購入できるという時代からの視点であって、そもそも、何故、器を直す必要があったのか(直さなければならない事情があったのか、と言い換えても良い)、金という貴重な資源を使う必要があったのかという根本的な問題について、当時の御恩と奉公という武家社会の世情をきちんと考えた上から記されたものではない。
よく金継ぎの話は侘び寂びの範疇で語られたりするが、本来、千利休が目指した侘び茶は、虚飾を排し極限までありのままの単純化を繰り返し、そうした物と向き合う事で精神の根源に行き着くという哲学であって、だからこその「侘ぶ」なのであろう。当時の金が持つ意味合いや重要性からしても明らかに金と侘びは相性が悪い。そう考えると果たして千利休は茶碗に施された金を景色として見たのか、金であることを良しとしたのかも甚だ疑問である。もし百歩譲って金継ぎがアリだとしても、それは、見えてはいるが無いものとして扱う金(どの色にも属していない、つまり傷は無いという暗黙の了解)であり、景色として鑑賞する意味合いは無かった。かもしれない。
個人的には、始まりの頃の金継ぎは、取り繕いとしての結果であって、金継ぎの意味合いが詫び寂びに組み込まれたのは、利休死後かなり経過してからで、織部の頃よりも後、詫び寂びがかなり形骸化し、侘び寂びは解釈の仕方で各人が自由に定義しても構わないという意識が広まってからではないかと考えている。さらに現在の「勿体ない」と金継ぎが結び付くのは、おそらく昭和に入ってから(戦後もだいぶ過ぎて平和になってから)だろう。
物を直して使い続けるという習慣は決して悪いものではないと思うが、そのために金継ぎを歴史の美談として扱うこと、殊更それを日本の美徳とすることは、どうも懐疑的である。というか、正直、あまりにも商業主義的に走り過ぎた解説だけがあふれかえっていると思う。もっと冷静に金継ぎの歴史を検証し、語るべきではないだろうか。
珈琲ドリップは「ミルカフェ、一投式、ステア」という話
No.
69
:
Posted at
2023年08月08日(火)
#徒然なる日記 #珈琲 #どうでもいい思い付き
修理でご贔屓頂いているお客様から、ミルカフェ(Mille Cafe) というデンマークのポリプロピレン製ドリップフィルタを頂いた。1000回ドリップできるフィルタで、紙を無駄にしないからエコらしいが、そのぶん洗浄で水を多めに使うのでエコかどうかは懐疑的だが、そこは置いておくとして、試しに使ってみたら珈琲のフレーバーが一段上になるというか、この豆ってこんな味だったのかと驚いた。ペーパードリップの際には、紙の臭いがしないという酸素漂白のアバカ珈琲フィルタを使っていて結構満足していたが、ミルカフェと比較してみると、やっぱり微妙に紙の感じが珈琲に影響するというか、かなり珈琲の旨い部分を削られてしまっているように思う。
ところで、バリスタ世界チャンピオンの粕谷哲さんのYoutubeで蒸らし無しの一投式ドリップ というのを紹介していて、やってみたところ複数回に分けてお湯を注ぐ方式と味は違うけれど、これはこれで非常に旨い。そして何より朝に眠気眼でやるには丁度良い手順だったので、最近はずっと一投式で入れていたのだが、ミルカフェでも出来るかなとやってみたら、これがかなり旨い。
更に、一投式は複投式に比べると少し味が軽めなになるのだが、お湯を入れてステアしてみたらどうかなと気付いてやったら、一気に味が複雑になって重みが出た。無茶苦茶旨い。
というわけで、今は、ミルカフェに細挽きの粉を入れて、既定のお湯を一気に注いだ後、スプーンを3回軽く上下させてステア。という手順で落ち着いている。
修理でご贔屓頂いているお客様から、ミルカフェ(Mille Cafe) というデンマークのポリプロピレン製ドリップフィルタを頂いた。1000回ドリップできるフィルタで、紙を無駄にしないからエコらしいが、そのぶん洗浄で水を多めに使うのでエコかどうかは懐疑的だが、そこは置いておくとして、試しに使ってみたら珈琲のフレーバーが一段上になるというか、この豆ってこんな味だったのかと驚いた。ペーパードリップの際には、紙の臭いがしないという酸素漂白のアバカ珈琲フィルタを使っていて結構満足していたが、ミルカフェと比較してみると、やっぱり微妙に紙の感じが珈琲に影響するというか、かなり珈琲の旨い部分を削られてしまっているように思う。
ところで、バリスタ世界チャンピオンの粕谷哲さんのYoutubeで蒸らし無しの一投式ドリップ というのを紹介していて、やってみたところ複数回に分けてお湯を注ぐ方式と味は違うけれど、これはこれで非常に旨い。そして何より朝に眠気眼でやるには丁度良い手順だったので、最近はずっと一投式で入れていたのだが、ミルカフェでも出来るかなとやってみたら、これがかなり旨い。
更に、一投式は複投式に比べると少し味が軽めなになるのだが、お湯を入れてステアしてみたらどうかなと気付いてやったら、一気に味が複雑になって重みが出た。無茶苦茶旨い。
というわけで、今は、ミルカフェに細挽きの粉を入れて、既定のお湯を一気に注いだ後、スプーンを3回軽く上下させてステア。という手順で落ち着いている。
漆に悪くなった水を加えてはいけないという話
No.
68
:
Posted at
2023年08月05日(土)
#金継ぎ #陶磁器修理 #陶芸
陶芸の粘土に使う水は、水道水よりも雨水を溜めたものが良いというのは昔から言われている。何ならボウフラや水苔が混ざっていて、寝かせる間にカビが生えるような粘土が良いという話もある(流石に生き物を練り込んでしまうのは可愛そうなので私はやったことは無い。)
実際、粘土を練って柔らかくする際には井戸水や雨水を使うと水道水よりも混ぜやすいし粘りも早く戻る感じはする(個人の感想です)。粘土が墨汁を拭き取った後の雑巾みたいな臭いになるので個人用では使ったりもするが、講習会用の粘土は水道水を無加工で入れて練っているけども。
そんなわけで天然の物に水を加える際には水の鮮度ということは余り考えたことが無かったわけだが、どうも近ごろ錆漆の乾きが悪いというか乾きが遅いような気がして、エアコンの無い作業場の暑さ(大体30~32℃)で錆漆の漆の酵素が失活しているとか、いや、まさかな。と原因が分からずにいたのだが、昨日、加水する為に使っている洗浄瓶の底に緑色のカビが発生していたことに気付く(雨水ではなく普通の水道水だが2週間くらい入れ替えていないと思う)。上に書いたように、水の鮮度に無頓着だったので水カビごときで漆の乾きは左右されないだろうと、その時は思ったわけだが一応カビを取り除いてアルコールで滅菌させてから新しい水道水を入れ直して錆を作ったら、今日、ちゃんと硬くなっていた。
で、気付いたわけですよ。生漆は夏に水球の水が腐って酵素が失活し固まらなくなるのだから、錆を作る時の水もカビが発生した水を使ったらダメじゃんか、と。
漆作業で加える水は、粘土と違って鮮度の管理は大切だったんだなぁ。
そういえば、日本では漆芸に使う水は全て軟水だと思うけど、硬水が原因で錆漆の乾きが悪いとかいうのもあったりするのかなぁ。国によっては石灰を混ぜたりフッ素を混ぜたりすることもあるし。そういうところの漆の扱いってどうなっているんだろうか。
陶芸の粘土に使う水は、水道水よりも雨水を溜めたものが良いというのは昔から言われている。何ならボウフラや水苔が混ざっていて、寝かせる間にカビが生えるような粘土が良いという話もある(流石に生き物を練り込んでしまうのは可愛そうなので私はやったことは無い。)
実際、粘土を練って柔らかくする際には井戸水や雨水を使うと水道水よりも混ぜやすいし粘りも早く戻る感じはする(個人の感想です)。粘土が墨汁を拭き取った後の雑巾みたいな臭いになるので個人用では使ったりもするが、講習会用の粘土は水道水を無加工で入れて練っているけども。
そんなわけで天然の物に水を加える際には水の鮮度ということは余り考えたことが無かったわけだが、どうも近ごろ錆漆の乾きが悪いというか乾きが遅いような気がして、エアコンの無い作業場の暑さ(大体30~32℃)で錆漆の漆の酵素が失活しているとか、いや、まさかな。と原因が分からずにいたのだが、昨日、加水する為に使っている洗浄瓶の底に緑色のカビが発生していたことに気付く(雨水ではなく普通の水道水だが2週間くらい入れ替えていないと思う)。上に書いたように、水の鮮度に無頓着だったので水カビごときで漆の乾きは左右されないだろうと、その時は思ったわけだが一応カビを取り除いてアルコールで滅菌させてから新しい水道水を入れ直して錆を作ったら、今日、ちゃんと硬くなっていた。
で、気付いたわけですよ。生漆は夏に水球の水が腐って酵素が失活し固まらなくなるのだから、錆を作る時の水もカビが発生した水を使ったらダメじゃんか、と。
漆作業で加える水は、粘土と違って鮮度の管理は大切だったんだなぁ。
そういえば、日本では漆芸に使う水は全て軟水だと思うけど、硬水が原因で錆漆の乾きが悪いとかいうのもあったりするのかなぁ。国によっては石灰を混ぜたりフッ素を混ぜたりすることもあるし。そういうところの漆の扱いってどうなっているんだろうか。
良い話は好きになれないという話
No.
67
:
Posted at
2023年08月04日(金)
#徒然なる日記
ゴーストバスターズのような成り上がり映画は好きだ。ロッキー1のように最後は負けてしまうけどそれまでにカタルシスがある映画も好きである。
作り物の話だけでなく、もうこの世に存在しない人や物がどうやって世間に認知されるようになったのかという実話や成功譚も好きなのだったりする。
だが、今がんばっている人が認知され成功譚として紹介されている話というのは、どうしても好きになれない。
具体的に言うと、私はラジオが好きなのだが、ニッポン放送のラブ&メロディーの10時のグッドストーリーというコーナーや、TOKYO FMのSUNDY'S POSTという番組内容はどうにも好きになれないところがある。
理由は複数考えられるが、1番は、現在進行形の成功譚は運が良かった話であるはずなのに、やたら原因と結果と必然をワンセットで語ろうとするところにある。言うなれば、針の上でバランスを取っている〝やじろべえ〟のはずのものを、針の上ではなく大ステージの上に置いてスポットライトを当ててしまっている違和感ではないかと思う。
無論、この歳になっても、んなことを考えずに素直に感動してやれない自分は小さいやつだし、ひねくれ者だよなという事は理解していて、だから世間とズレたままなのだろうなぁと思っていたのだが、最近、そう思っているうちは気持ちが無意識に生き続けようと考えている事なのかもしれないと気付いて、まぁ、このままの自分で良いかと思うようになった。
たぶん、良い話に感動し始めたら生命エネルギーが枯渇していて、そろそろヤバい状態だということなのかもしれない。このブログで良い話に感動したという発言が増えた時は、そろそろ脳が思考停止して人生末期症状だなと考えて頂いて間違いないと思われる。
ゴーストバスターズのような成り上がり映画は好きだ。ロッキー1のように最後は負けてしまうけどそれまでにカタルシスがある映画も好きである。
作り物の話だけでなく、もうこの世に存在しない人や物がどうやって世間に認知されるようになったのかという実話や成功譚も好きなのだったりする。
だが、今がんばっている人が認知され成功譚として紹介されている話というのは、どうしても好きになれない。
具体的に言うと、私はラジオが好きなのだが、ニッポン放送のラブ&メロディーの10時のグッドストーリーというコーナーや、TOKYO FMのSUNDY'S POSTという番組内容はどうにも好きになれないところがある。
理由は複数考えられるが、1番は、現在進行形の成功譚は運が良かった話であるはずなのに、やたら原因と結果と必然をワンセットで語ろうとするところにある。言うなれば、針の上でバランスを取っている〝やじろべえ〟のはずのものを、針の上ではなく大ステージの上に置いてスポットライトを当ててしまっている違和感ではないかと思う。
無論、この歳になっても、んなことを考えずに素直に感動してやれない自分は小さいやつだし、ひねくれ者だよなという事は理解していて、だから世間とズレたままなのだろうなぁと思っていたのだが、最近、そう思っているうちは気持ちが無意識に生き続けようと考えている事なのかもしれないと気付いて、まぁ、このままの自分で良いかと思うようになった。
たぶん、良い話に感動し始めたら生命エネルギーが枯渇していて、そろそろヤバい状態だということなのかもしれない。このブログで良い話に感動したという発言が増えた時は、そろそろ脳が思考停止して人生末期症状だなと考えて頂いて間違いないと思われる。
カゼイン漆は混ぜ方がポイントなのかもしれないという話
No.
66
:
Posted at
2023年08月02日(水)
#金継ぎ #陶磁器修理 #どうでもいい思い付き
カゼイン漆の水没試験をしてみて分かったのは、カゼイン漆は固まるのが遅いという事だ。いや、固まるのが遅いというのは語弊がある。糊漆や接着用錆漆と同じタイミングで接着をすると2ヵ月経っても芯まで乾かず、水没試験で接着強度が落ちる。糊漆や接着用錆は2か月で耐水強度が出るのに。
最近は全く麦漆を使っていないが、そういえば麦漆も直ぐに接着すると芯まで乾かないことを思い出したので、タンパク質の入った漆は接着のタイミングが早すぎるとアカンのだなと気付いた。
そもそも硬化した漆というのは、どれくらい酸素を透過するのか?ポリエチレンなどは水を通さずとも空気は通す膜だが、漆の塗膜はどうなんだろう?何となくナイロンのように酸素を透過させなさそうな気がする。調べてみたが漆の塗膜の酸素透過率の話は全く見つからず。
例えば5mm厚の磁器を接着した場合、接着面は5㎜厚の塗膜みたいなものだ(左右から乾いていくから2.5mmの塗膜を表裏に塗ったと考える方が適切かもしれないが)。もし、平面に5mm厚で塗ったとしたら、間違いなく表層が乾いたら中は乾かない。もし漆の塗膜が酸素を透過させるとすれば、この状況でも酸化は行われて少しずつ硬くなるように思うが、そうはならないだろう。
麦漆は接着断面に塗った後、少し養生して酵素によるカテコールの結合が始まったのを確認してから張り合わせるわけなので、カゼイン漆もそういう張り合わせ方が必要なのかもしれない。
だが性質上、カゼイン漆は薄く塗り伸ばすのが難しいので、だとしたら、塗る前の漆とカゼインを混ぜる時点で、手動のクロメをする時のように出来るだけゆっくりと練り合わせ、カテコールを結合し始めてから接着断面に塗る方が良いのかもしれない。
いずれにせよ、混ざったのと、使える状態に混ぜたのは明確に違うということで、扱い方に注意が必要ということなんだろう。
カゼイン漆の水没試験をしてみて分かったのは、カゼイン漆は固まるのが遅いという事だ。いや、固まるのが遅いというのは語弊がある。糊漆や接着用錆漆と同じタイミングで接着をすると2ヵ月経っても芯まで乾かず、水没試験で接着強度が落ちる。糊漆や接着用錆は2か月で耐水強度が出るのに。
最近は全く麦漆を使っていないが、そういえば麦漆も直ぐに接着すると芯まで乾かないことを思い出したので、タンパク質の入った漆は接着のタイミングが早すぎるとアカンのだなと気付いた。
そもそも硬化した漆というのは、どれくらい酸素を透過するのか?ポリエチレンなどは水を通さずとも空気は通す膜だが、漆の塗膜はどうなんだろう?何となくナイロンのように酸素を透過させなさそうな気がする。調べてみたが漆の塗膜の酸素透過率の話は全く見つからず。
例えば5mm厚の磁器を接着した場合、接着面は5㎜厚の塗膜みたいなものだ(左右から乾いていくから2.5mmの塗膜を表裏に塗ったと考える方が適切かもしれないが)。もし、平面に5mm厚で塗ったとしたら、間違いなく表層が乾いたら中は乾かない。もし漆の塗膜が酸素を透過させるとすれば、この状況でも酸化は行われて少しずつ硬くなるように思うが、そうはならないだろう。
麦漆は接着断面に塗った後、少し養生して酵素によるカテコールの結合が始まったのを確認してから張り合わせるわけなので、カゼイン漆もそういう張り合わせ方が必要なのかもしれない。
だが性質上、カゼイン漆は薄く塗り伸ばすのが難しいので、だとしたら、塗る前の漆とカゼインを混ぜる時点で、手動のクロメをする時のように出来るだけゆっくりと練り合わせ、カテコールを結合し始めてから接着断面に塗る方が良いのかもしれない。
いずれにせよ、混ざったのと、使える状態に混ぜたのは明確に違うということで、扱い方に注意が必要ということなんだろう。