猫田に小判 -新館 -

Last Modified: 2026/07 RSS Feed

No.122, No.121, No.120, No.119, No.4件]

New 金継ぎレクチャー界隈の最大の問題点という話

No. 122 :
#金継ぎ #陶磁器修理 #徒然なる日記

金継ぎの手順やワークショップの様子を記載した記事は水の泡沫のごとくネットに登場する。
記事を書くということ自体に問題があるわけではないが、とにかく内容が薄いか、明らかにやったらダメな事をしているか、間違えた説明をしている。コロナでブームに火が付いて、猫も杓子も金継ぎを教えるようになってそろそろ5年くらい経つと思うが、正直、その内容は全く変化がない。というか今のブームの前、昭和の末から平成にかけて雑誌などに書かれた内容とも、ほぼほぼ同じで進歩がない。

金継ぎを教える人間が増えるのだから、それに伴って何かしらの変化があっても良さそうに思うが、何故、ここまで変化がないのだろうと考えて、そういう事かと気付いたのは、要するに根性論のスポーツ習得と構造的には同じなのだ。
教える側に学問的な知識は勿論、学問的な素養自体が存在していないし、その事にすら気付かず人が集まれば良いと思っている節がある。「今日は◯◯をしました。真剣にやっています。上手く出来ました。楽しく出来ました。」そんな内容ばっかである。

これは、バットで玉を打つ原理や力学も教えず、100回素振りをすれば上達する、自分もそう教わって100回素振りをしてきたのだ、と言っているのと大差ないわけで、漆がどういう理屈で固まるのか、陶磁器を接着するにはどういう理論が必要になるのか、個々の陶磁器に対して適切な工法と判断するために何を知っていれば良いのか、そういった内容を教えている側が全く理解していないか、相当にうろ覚えでも器が形になれば良い程度の判断しかしていない。
勝てば官軍、負けたらグランド10周、そんな旧態依然とした構造が今の金継ぎレクチャーの99%だと思う。しかも、それを変だと思う人が出てこない。流行りで突貫工事的に作った資格・認定のビジネスが、より状態を悪化させていると思う。
まだまだ金継ぎは甘く見られている。金継ぎは漆芸とも呼べないお遊びに過ぎないと言われていた時代と、教えている人間の意識が大差ないのだから、そこから出てくるネット情報も変わり映えしないのは仕方がないのかもしれない。

単に繰り返せば上手くなるのではなく、もっと貪欲に、直すためにはどんな学びが不足しているのか、何を取り入れないといけないのか、ということを真剣に考える人が出てきて欲しいんだけどな、と思っている。

〔 1023文字 〕 編集

#金継ぎ #侘継ぎ #陶磁器修理

AIはネット上に存在する既存の内容については、割とちゃんとした答えを出すが、未知の領域に対する推測的な回答は95%役に立たない。数学では未解決問題を解いたりするようだが、少なくとも金継ぎに関して言えば、これまでに何度か質問を投げかけてきたが、結局、やってみるとAIの回答通りになった例はない。

伝統的に用いられている絞漆を元に、接着剤の添加材として有効性のある順番をAIに並べさせると卵白はランキングが低くなる。成分が水溶性であること、乾燥するとクラックを発生して脆化すること、などが理由だと言う。
確かに卵白は水溶性だし、ガラス板に塗って乾かすと乾燥するに従い塗膜にクラックを作りボロボロと取れてしまうので、現象としてAIの言うことに間違いはない。
だが、問題は、それを漆と混ぜた場合。更に、卵白のタンパク質を展開処理して漆と混ぜた場合は、AIの言う事は否である。まず絞漆にする場合、卵白は漆との混合層になるため水溶性であることは塗膜に大きく影響はしないし、漆の塗膜に卵白を塗るとクラックは生じるが、混ぜた場合にはクラックは生じない。更に、卵白の球状タンパク質を展開させて漆と混ぜるという事例がネット上には存在しない(たぶん)。だからAIは展開卵白と漆の混合についてはハルシネーションしか言わない。

自分でテストをしたところ、卵白の展開タンパク質は漆と結合し、接着剤として極めて優秀な結果をもたらすという事が分かった。最初にこの結果を見たときには、正直、自分でも信じられず何度もテストをやりなおしてみたが、やはり優秀な結果を出すことは変わらなかった。
どの辺が優秀なのかは、noteに纏めておいた ので読んで頂くとして、ここではnoteに書いていない話を少しする。

前回、今の金継ぎは縄文時代から続いた漆直しの文脈を逸脱し修正が不可能な状態まで変化し拡散してしまったから、本来の文脈に近い定義を残した新しい直しの用語を考えてみたらどうだろうという事で『侘継ぎ(わびつぎ』を提唱した。
侘継ぎは、余計な思想や主張を持ち込まず、ただ直すことだけに集中・特化した修理を言う。
これは千家侘茶の「喫茶去」と同じだ。ただ茶を点てる者、飲む者、という人と人の対峙。それ以上でもそれ以下でもなく、だから必要な最小限の設えしか行わない。そうすることで寂びと繋がり、世界の無限を感じることになる。それが茶の湯の真髄であろう。
侘継ぎもそれと同じで、ただ器と持ち主のために直す、それ以上でもそれ以下でもない。何なら金蒔きも要らない。持ち主に必要な最小限にして最強、そして永続することが可能な修理方法が侘びた直しというものだと思う。

この直しを行うために最適な接着剤が変性卵白漆だと、私は今のところ思っている。指で触っても接着誤差が分からないほどの薄層。この薄層の接着の美しい佇まいは、この上に蒔絵をして失ってしまうことが惜しいと思えるほどの風情がある。しかも、接着するだけで1か月水没させても脆化しない耐水性と耐衝撃性を持ち、この強度は接着から3週間で得られる。
乾酪漆(カゼイン漆)も、接着強度は相当強い。元からデンプンを含まないためカッテージチーズの状態でも強いのだが、お湯でドリップして脂質を溶かし出した後にアンモニアで展開したカゼイングルーを混ぜた漆は、恐らく金継ぎ用接着剤の中でもトップ強度だと思う。だが、如何せん接着前に半乾き層を作る必要性から生まれた接着の質実剛健な姿は、卵白漆の薄層の美しさほどではない。厚みの差で言えば0.0数ミリの違いだと思うが、その僅かな差で、やはり乾酪漆は蒔絵があって成立する接着剤だと感じてしまう。

変性卵白漆については、もう少しテストをしてからでないと実践投入は難しいと思うが、たぶんいずれは侘継ぎの主力として接着剤に起用することになると思う。勿論、言われれば金蒔き加飾はするが、しなくても十分な強度と耐水性、そして繊細な美しさを有しているという安心感は、何物にも代え難いのではないかと思っている。

〔 1709文字 〕 編集

「金継ぎ」に替わる言葉を探したいという話

No. 120 :
#金継ぎ #陶磁器修理 #どうでもいい思い付き #徒然なる日記

言葉というのは時代や地域によって変化していくものだという一般常識的な感覚は、もちろん私にもある。
日本で使われる「寿司」という言葉は、アメリカだとカリフォルニアロールのような海苔を内側に入れた巻き寿司の事を意味する。ちなみに日本の巻き寿司を「MAKI」、握り寿司を「NIGIRI」と呼び、それらの総称を「SUSI」と呼ぶわけではなく、あくまで「SUSI」は裏巻きの寿司というグループの名称という使い方だそうだ。

金継ぎもKINTSUGIになった事で、受け取り方が多少は変わってくるだろうという感じはしていたが、金継ぎの場合に問題なのは金色である事以外は日本で行われてきた金継ぎのオリジナリティが壊滅的に無視されている事。無視された上に自己啓発やスピリチュアルでは、器の破壊行為が正当の範疇で行われている。もはや直しですらない単なる営利のための大量消費となっている。
しかも困った事に、日本でも金継ぎをするといえば、そうした消費活動だと考える人間が増えてきているという事実。金継ぎをすると言っている日本人の9割以上は、漆芸の歴史との兼ね合いを微塵も知らない状態ではないかという感じがしている。オリジナルを残しつつ変化している部分があるならまだしも、明らかにオリジナルが消滅し、残骸となりつつある。

これは、自然や他人との関係やバランスを重視する日本に対し、最も優先されるのが個人の幸福であり、そのためには他人を説き伏せることが重要だという国外との世界観の違いによるものだろう。だから、自分と器の距離を考えながら時間を掛けて直す金継ぎと、自らの精神構築のために器を割り、出来るだけ早く組み立てる事を象徴的に捉えるKINTSUGIの違いが生まれることになる。KINTSUGIは金継ぎをリスペクトしていると言う人もいるが、その実は全く逆だったりする。

これまで、金継ぎの歴史を調べてnoteに書いたり、漆芸の歴史から生まれた金継ぎと、現在の商業ベースで広まった金継ぎには凡そ伝統と呼べる接点は無いという事を言ったり書いたりしてきたが、正直、肌感としては完全に手の打ちようのない状態だと思う。もはや日本人が行ってきた金継ぎは濁流による崩壊を起こしてしまっている。

それで考えたのは、所詮、金継ぎは昭和30年代に略称として生まれた若い言葉であり、そろそろ用語として新たなフェーズに移行する時期なのかもしれないという事。
「繕い」が「漆繕い」になり「金粉繕い」から「粉繕い」、「金粉継ぎ」から「金継ぎ」へと呼び名は変化を続けてきた。言葉は変わっても技法や気持ちとして受け継がれたものがあったと思うが、それすら無くなっているとしたら、それはもう別物だ。元来なら別物に対して新たな呼び名を考えるのが筋だと思うが、商業ベースで広まり拡散してしまった今となっては、それは叶わない願いだろう。
ならば、商業ベースの行為に「金継ぎ」という用語はくれてやって、縄文時代から続いた漆直しの源流を持った修理に別な用語を付けたら良いではないのではなかろうか。元来在るものという認識が生じればいいのだから、金継ぎという名称に執着する必要もない。執着しないのは禅の教えでもあるわけだし。

というわけで、そんな意味を表す何か良い言葉は無いかとずっと考えていて、「侘数寄(わびすき)」という茶道用語を見て語呂が似ている

「侘び継ぎ、侘継ぎ(わびつぎ)」

というのはどうだろうと思い付いた。

これならば金色である必要もないし、金色に執着する必要もない。銀でも良いし、漆だけでも良い。人と宅が入っている漢字の並びも良い。勿論、侘茶が持つ自然との接点みたいなものも感じられる、日本に根ざしたイメージが強く感じられそうな気がする、個人的には。

これまでの金継ぎの名称の歴史的文脈から言えば「漆継ぎ(うるしつぎ)」を用いる方が自然ではあるが、漆継ぎはどうにも語呂が悪い。「し」と「つ」が並んでいたり、5音節なのが原因ではないかと思う。

もっと良さげな言葉があれば、また書きたいと思うが、今のところ「侘継ぎ」は自分の中ではかなりしっくりきている。

〔 1761文字 〕 編集

金継ぎの料金を値上げすることにした話

No. 119 :
#金継ぎ #徒然なる日記

私が金継ぎ師や金継ぎ作家ではなく金継ぎ修理屋を自認自称しているのは、陶磁器の修理として金継ぎを捉えているからだ。
そして修理には、それに応じた妥当性というものが必要だろうと考えている。

修理の値段はその中でも最初に苦慮した事で、私の金継ぎ修理はあくまでも美術工芸品ではなく庶民的に器を使い続ける事を目的としているから、使い続けられる「ギリギリ妥当なお足を頂く」ために分かりやすさを優先し、それまで通例とされてきた言い値による料金ではなく、計算方法を公開し価格を提示しするという方法を考えた。それが、基本料2000円と、技術料の接着1cmあたり100円。欠損1cm角あたり400円だ。当時は地元の画材屋から購入していた金粉が1gで1万円位だったから、修理に使用する金粉の標準量を0.01gとすると、まぁ妥当ではないかという判断だった。

しかし、昨今の金の未曾有の高騰により、現在の金粉はネット店の直販でも1gで35000円はする。明らかに原価割れだ。
それでも、食費を削りエンゲル係数の爆上がりを実感しながら、庶民的な修理感覚としてその値段を維持してきたが流石に堪えられなくなった。
現状の金の高騰を鑑みれば、料金の値上げは3倍を超えるのが妥当なのは分かっているが、それでは庶民的な修理感覚を大きく逸脱してしまう。
なので、4月から頑張って頑張って頑張って金継ぎの技術料は、接着1cmあたり200円。欠損1cm角あたり800円にした。
少なくとも私にとって庶民感覚の修理はここが限界だ。これ以上なら修理を頼むことはしないと思う。

焼継ぎは、修理の値段が新しい器を買う値段を上回ったことで絶滅する道を辿った。
本漆と本金を使った金継ぎも、いずれは焼継ぎと似たような衰退の道を辿るとは思う。庶民感覚の金継ぎは消えると思うが、ただし金継ぎそのものが完全に消えるかというと、たぶんそれはない。金継ぎは本来、武家や公家、豪商などが持っていた数百万円、数千万円を下らない(数億円クラスもあった)という茶器に対して行われていたもので、言い換えればそういう額の売買が出来る人間のためのものだった。そういう世界線では金継ぎは廃れることはないだろう。
カネは取れるところからはしっかり取るというのはビジネスとしては正しい。ただ、私はそれに付き合うつもりはない。あくまでも庶民感覚で可能な最大限の金継ぎを模索するだけだ。

『The more you give Babe, the less you lose, yeah
運が悪けりゃ死ぬだけさ
死ぬだけさ』

金継ぎ修理屋を始めた時に歌い続けた「男達のメロディー」は、今も心の真ん中にある。

〔 1146文字 〕 編集

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