猫田に小判 -新館 -

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No.120, No.119, No.118, No.117, No.4件]

「金継ぎ」に替わる言葉を探したいという話

No. 120 :
#金継ぎ #陶磁器修理 #どうでもいい思い付き #徒然なる日記

言葉というのは時代や地域によって変化していくものだという一般常識的な感覚は、もちろん私にもある。
日本で使われる「寿司」という言葉は、アメリカだとカリフォルニアロールのような海苔を内側に入れた巻き寿司の事を意味する。ちなみに日本の巻き寿司を「MAKI」、握り寿司を「NIGIRI」と呼び、それらの総称を「SUSI」と呼ぶわけではなく、あくまで「SUSI」は裏巻きの寿司というグループの名称という使い方だそうだ。

金継ぎもKINTSUGIになった事で、受け取り方が多少は変わってくるだろうという感じはしていたが、金継ぎの場合に問題なのは金色である事以外は日本で行われてきた金継ぎのオリジナリティが壊滅的に無視されている事。無視された上に自己啓発やスピリチュアルでは、器の破壊行為が正当の範疇で行われている。もはや直しですらない単なる営利のための大量消費となっている。
しかも困った事に、日本でも金継ぎをするといえば、そうした消費活動だと考える人間が増えてきているという事実。金継ぎをすると言っている日本人の9割以上は、漆芸の歴史との兼ね合いを微塵も知らない状態ではないかという感じがしている。オリジナルを残しつつ変化している部分があるならまだしも、明らかにオリジナルが消滅し、残骸となりつつある。

これは、自然や他人との関係やバランスを重視する日本に対し、最も優先されるのが個人の幸福であり、そのためには他人を説き伏せることが重要だという国外との世界観の違いによるものだろう。だから、自分と器の距離を考えながら時間を掛けて直す金継ぎと、自らの精神構築のために器を割り、出来るだけ早く組み立てる事を象徴的に捉えるKINTSUGIの違いが生まれることになる。KINTSUGIは金継ぎをリスペクトしていると言う人もいるが、その実は全く逆だったりする。

これまで、金継ぎの歴史を調べてnoteに書いたり、漆芸の歴史から生まれた金継ぎと、現在の商業ベースで広まった金継ぎには凡そ伝統と呼べる接点は無いという事を言ったり書いたりしてきたが、正直、肌感としては完全に手の打ちようのない状態だと思う。もはや日本人が行ってきた金継ぎは濁流による崩壊を起こしてしまっている。

それで考えたのは、所詮、金継ぎは昭和30年代に略称として生まれた若い言葉であり、そろそろ用語として新たなフェーズに移行する時期なのかもしれないという事。
「繕い」が「漆繕い」になり「金粉繕い」から「粉繕い」、「金粉継ぎ」から「金継ぎ」へと呼び名は変化を続けてきた。言葉は変わっても技法や気持ちとして受け継がれたものがあったと思うが、それすら無くなっているとしたら、それはもう別物だ。元来なら別物に対して新たな呼び名を考えるのが筋だと思うが、商業ベースで広まり拡散してしまった今となっては、それは叶わない願いだろう。
ならば、商業ベースの行為に「金継ぎ」という用語はくれてやって、縄文時代から続いた漆直しの源流を持った修理に別な用語を付けたら良いではないのではなかろうか。元来在るものという認識が生じればいいのだから、金継ぎという名称に執着する必要もない。執着しないのは禅の教えでもあるわけだし。

というわけで、そんな意味を表す何か良い言葉は無いかとずっと考えていて、「侘数寄(わびすき)」という茶道用語を見て語呂が似ている

「侘び継ぎ、侘継ぎ(わびつぎ)」

というのはどうだろうと思い付いた。

これならば金色である必要もないし、金色に執着する必要もない。銀でも良いし、漆だけでも良い。人と宅が入っている漢字の並びも良い。勿論、侘茶が持つ自然との接点みたいなものも感じられる、日本に根ざしたイメージが強く感じられそうな気がする、個人的には。

これまでの金継ぎの名称の歴史的文脈から言えば「漆継ぎ(うるしつぎ)」を用いる方が自然ではあるが、漆継ぎはどうにも語呂が悪い。「し」と「つ」が並んでいたり、5音節なのが原因ではないかと思う。

もっと良さげな言葉があれば、また書きたいと思うが、今のところ「侘継ぎ」は自分の中ではかなりしっくりきている。

〔 1761文字 〕 編集

金継ぎの料金を値上げすることにした話

No. 119 :
#金継ぎ #徒然なる日記

私が金継ぎ師や金継ぎ作家ではなく金継ぎ修理屋を自認自称しているのは、陶磁器の修理として金継ぎを捉えているからだ。
そして修理には、それに応じた妥当性というものが必要だろうと考えている。

修理の値段はその中でも最初に苦慮した事で、私の金継ぎ修理はあくまでも美術工芸品ではなく庶民的に器を使い続ける事を目的としているから、使い続けられる「ギリギリ妥当なお足を頂く」ために分かりやすさを優先し、それまで通例とされてきた言い値による料金ではなく、計算方法を公開し価格を提示しするという方法を考えた。それが、基本料2000円と、技術料の接着1cmあたり100円。欠損1cm角あたり400円だ。当時は地元の画材屋から購入していた金粉が1gで1万円位だったから、修理に使用する金粉の標準量を0.01gとすると、まぁ妥当ではないかという判断だった。

しかし、昨今の金の未曾有の高騰により、現在の金粉はネット店の直販でも1gで35000円はする。明らかに原価割れだ。
それでも、食費を削りエンゲル係数の爆上がりを実感しながら、庶民的な修理感覚としてその値段を維持してきたが流石に堪えられなくなった。
現状の金の高騰を鑑みれば、料金の値上げは3倍を超えるのが妥当なのは分かっているが、それでは庶民的な修理感覚を大きく逸脱してしまう。
なので、4月から頑張って頑張って頑張って金継ぎの技術料は、接着1cmあたり200円。欠損1cm角あたり800円にした。
少なくとも私にとって庶民感覚の修理はここが限界だ。これ以上なら修理を頼むことはしないと思う。

焼継ぎは、修理の値段が新しい器を買う値段を上回ったことで絶滅する道を辿った。
本漆と本金を使った金継ぎも、いずれは焼継ぎと似たような衰退の道を辿るとは思う。庶民感覚の金継ぎは消えると思うが、ただし金継ぎそのものが完全に消えるかというと、たぶんそれはない。金継ぎは本来、武家や公家、豪商などが持っていた数百万円、数千万円を下らない(数億円クラスもあった)という茶器に対して行われていたもので、言い換えればそういう額の売買が出来る人間のためのものだった。そういう世界線では金継ぎは廃れることはないだろう。
カネは取れるところからはしっかり取るというのはビジネスとしては正しい。ただ、私はそれに付き合うつもりはない。あくまでも庶民感覚で可能な最大限の金継ぎを模索するだけだ。

『The more you give Babe, the less you lose, yeah
運が悪けりゃ死ぬだけさ
死ぬだけさ』

金継ぎ修理屋を始めた時に歌い続けた「男達のメロディー」は、今も心の真ん中にある。

〔 1146文字 〕 編集

#金継ぎ #どうでもいい思い付き #徒然なる日記

金継ぎは侘び寂びなのか?という疑問に始まり、直しの用語の変遷などを調べていくうちに日本人の器物直しの歴史が見えてくると、そろそろ「金継ぎは馬蝗絆が~」の嘘は真面目に止めておかないとアカンな、と思い始め、金継ぎの歴史を「案外 書かれない金継ぎの話」で形にしておくことにした。

金継ぎの歴史1 室町以前
金継ぎの歴史2 茶人と繕い
金継ぎの歴史3 繕いの変化
金継ぎの歴史4 名称の変化
金継ぎの歴史5 現代史

で、書き終わったのだが、全5章はかなり長くて読むの大変だから短めに説明できないものかと考えていて、AIに読ませて本の帯文みたいなの書かせてみたらどうかと気付く。「5つのブログを読んで、仮にこれが書籍だとしたら、どんな帯文を作りますか?」と同じ質問を6つのAIにしてみた。少し誤読してそうなAIもいるが、概ね良さげな感じの推薦文を書いてくれて面白かったので紹介しようと思う。AIの帯文を見て、興味が沸いたら本編も読んでみてください。


その金継ぎ観、近代の創作かもしれない。
侘び・癒し・哲学、語られすぎた物語を、史料から静かにほどく。
縄文から現代まで――
史料と実例でたどる、日本の〈繕い〉文化史。【 ChatGPT 】


金継ぎへのイメージを刷新し、本質を突くスタイル
「金継ぎ」という言葉は、昭和の発明だった。
縄文の漆直しから、江戸の「焼継ぎ」ブーム、そして世界が熱狂する「KINTSUGI」へ。
誰もが知る「日本の伝統」の、誰も知らなかった真実。
文献に埋もれた「繕い」の記録を掘り起こし、日本人の美意識の変遷を辿る極上の文化史。【 Gemini 】


きれいごと抜きで語る、金継ぎのリアルな歴史。
そのひび割れは、いつから「美」になったのか。
SNSで語られない、金継ぎと焼継ぎのほんとうの話。
美談でもスピリチュアルでもない、実務としての金継ぎ史入門。【 Perplextiy 】


金継ぎブームの今だからこそ読むべき一冊。
史料に基づく緻密な検証が、私たちの思い込みを次々と覆していく。
「侘び」「禅」「サスティナブル」――
時代ごとに変容する金継ぎの意味を追い、日本人と器の関係史を浮き彫りにする、驚きと発見に満ちた文化史。
「あなたの知っている金継ぎの歴史は、ほとんどが創作かもしれません」【 Claude 】


金継ぎは侘び寂びの象徴? ――それは、昭和に生まれた幻想だった。
千利休も使わなかった“金”。“金継ぎ”という言葉が生まれたのは、わずか100年前――
史料で読み解く、本当の金継ぎ史。
ロマンチックなイメージを、丁寧に剥がす。ワークショップに行く前に、ぜひ読んでほしい一冊。
あなたの金継ぎ観が、180度変わる。【 Grok 】


あなたの知っている金継ぎは、金継ぎではない。
昭和に生まれた新しい言葉が、いつしか古典の顔をして語られてきた。
その誤解をほどき、金継ぎの歴史をゼロから組み直す。
言葉でつなぐのは文化の記憶。
忘れられた修理の名と、移り変わる価値観をたどる、金継ぎの静かな歴史散歩。【 Copilot 】

〔 1356文字 〕 編集

#金継ぎ #陶磁器修理 #徒然なる日記 #どうでもいい思い付き

金継ぎは果たして侘び寂びなのかという事に端を発し、調べを続けていたら必然的に金継ぎの歴史をきちんと抑える必要があるだろうということになる。

よく言われているのは、侘び茶の発生と金継ぎは同時期というもの(この説が急に拡大したのはコロナ禍だが)。しかし「侘び茶」とは本来、真の茶(唐物舶来の高価な道具をしつらえた茶の湯)に対し、草の茶(和漢混在の最小限の道具で嗜む事のできる茶)を行うために生まれた解釈であり、侘びとは端的に言えば財力が伴わず不足しているという意味を持つ。茶の湯のために作ったわけではない高麗雑器や、農家の種壺の和陶器を見立てとして茶の湯に用いるのは、そういった草の茶と侘びの約束事の理解があってのことだ。
名物を有し真の茶を行う「名人」、茶で身を立てる「数奇者」、名物は持たないが茶を嗜みたいと切磋する人が「侘び数奇」、という区分は利休の頃から有り、侘び数奇でも茶を嗜むのが「侘び茶」ということだから、そこに直しとはいえ金色の加飾が入る余地は本来無いわけだ。
要するに、金継ぎというのは侘び茶が持つ本来の様式とは相容れない関係なので、侘び茶と金継ぎが同時期に発生するとは考えにくい。

という前提はあるにせよ、取り敢えず利休が存命中に行ったり参加した記録となる「茶会記」を当たることから始めてみた。
すると、「ツクロヒ」や「色ウルシ似ツクロヒ」という言葉は複数箇所に登場するが、金属製具を意味する「金(カネ)」として用いられることはあってもツクロイに付属して金という文字が出てくることがない。
金継ぎが用いられる前は金繕いという言葉が使われていたというのは、この仕事を始める前に調べていて分かっていたので、てっきり金繕いという言葉が出てくるかもしれないと思っていたが、そう簡単ではないらしい。
ということで、国立国会図書館デジタルコレクションのサイトを使い片っ端からそれらしい単語を見つけていくことになる。

これがまぁ簡単な事ではないのだが、それを話すと長くなるため、その辺りの右往左往はツイッター(エックス)を見て楽しんで頂く事として、その結果分かった事を書く。
器の直しに相当すると思われる用語が最初に登場した西暦と、出版物は以下の通り。なお、室町、江戸については明治以降に出た出版物や全集を用いている場合、併記されている元本の発行年を調べたもの、茶会記については茶会開催年で記載している。

<金継ぎ名称変遷>

【室町(桃山)】
1555 ツクロイ(松屋会記)
1568 色うるしにてつくろヰ(天王寺屋会記)

【江戸】
1690 うるしを以てぬりつぎて(人倫訓蒙図 継物師)
1724 黒ノ繕ヒ、金繕(槐記)
1727 金粉鎹ツクロイ(槐記)
1728 粉繕ヒ鎹アリ(槐記)
1837 漆を以て之補、金粉を粘す(守貞謾稿)
1864 粉つくろい(不二詣 織部焼 其角)

【明治】
1893 イレバ(隠語通言略解)
1903 ふんづくろい(声色大会 新旧演劇)

【大正】
1921 金粉繕い、金粉継合せ(大正名器鑑)

【昭和】
1931 金繕(日本古美術案内 上巻)
1931 金繕ひ(茶道月報 251)
1931 金粉継ギ(故古谷辰四郎尋思録)
1936 金漆繕い(茶道月報 331)
1937 金継ぎ(私のこのごろ)
1938 金接ぎ(日本医事新報 816)

修理箇所を金色にした事が明確に記載されるのは江戸中期の1700年以降である。
ただし、槐記にある「金繕」は、黒ノ繕に対して金ノ繕と書かないため個人的には「カネツクロイ」と呼んで「鎹(かすがい)」を表しているのではないかと推測している。というのも、槐記の場合のみ繕いは竹花入の説明に記載がされている。竹花入は経年で亀裂が広がるため漆の直しだけでは長期性が担保されない。そのため鎹を打って変形を抑制している。つまり「黒ノ繕」が漆であり「金繕」は鎹を表すと考える方が自然だと思う。
従って、明らかに金継ぎに相当するのは「金粉鎹ツクロイ」または「粉繕ヒ鎹アリ」ということになる。
明治に入ると「フンツクロイ」は金蒔きをした漆の繕いとして陶器辞典にも登場するので、槐記の「粉繕ヒ」は十中八九、金継ぎを表す用語だと考えられる。

これを調べるまで「金継ぎ」という言葉は明治の近代数寄者または千家の復興によって広まったのではないかと予想していたが、昭和初期になって登場したのは意外だった。そして金継ぎ以前には金繕いが用いられていたという話だったが、江戸末期から明治は「粉ツクロイ」が主流で、大正に「金粉繕い」という用語が登場するが、「金繕い」(たぶん金粉繕いの省略形)としての登場は昭和だったりする。
あくまでも国立国会図書館のデジタル化した資料で分かる範囲なので、確実とは言えないかもしれないが、概ね当たらずとも遠からずだと思う。

現在が2025年なので、それでも「金継ぎ」という言葉は100年弱は使われているわけだから長いと言えば長いけれど、1700年頃から始まった金加飾の歴史を考えると1930年頃に生まれた言葉は意外なほど短いとも言える。昭和生まれの自分からすれば、同じ時代に出来た言葉なのかよという感じがする。
また「金継ぎ」を用いる際に興味深いのは、例えとして用いられる事が多いという特徴がある。「金繕い」という言葉は明らかに茶事関連または骨董専門書で登場することが殆どだが、「金継ぎ」の場合は「金継ぎのような」として身体の具合など現状の言い換えに用いられている。何かの例えとして用いられるということは、書き手と読み手の双方に用語の理解があるという前提で使われるわけだから、金継ぎという言葉の一般への拡散は意外なほど早かったのではないかと思われる。
「継ぎ」という言葉は、ツギハギ(継ぎ接ぎ)という単語からも分かるように本来は異種の物の接合に使用される。これは茶器の直しも同様で、金継ぎが登場するまで異種物を用いた直しには「呼継ぎ」、同種物を用いた直しには「繕い」が割と厳密に用いられている。
本来の用い方のままであれば、金繕いで令和に定着する可能性もあったのに、何故、金継ぎと言い直されるようになったのか。理由は不明だが、1930年以降に何か原因があり、それが拡散加速に一役買っていたのかもしれない。(金繕いは、令和でも使われているので正確には併用されているわけだが、あまり多くはない。そして金継ぎ、金繕い意外の言葉は死語になっている。)

ちなみに、金継ぎが「ふんつくろい」と呼ばれていた期間は意外に長い(江戸中後期~昭和)が、江戸末期に登場し明治に隆盛を極める事となる「焼継ぎ」もまた「ふんつくろい」と呼ばれているため、この辺りの見極めは非常に難しい。明治、大正は概ね陶磁器の修理全般を「ふんつくろい」という言葉で認識していたと思われる。
なお、焼継ぎについては、いろいろと興味深い事が他にも結構たくさん分かったので、それについてはまた別な機会にでも書こうと思う。

〔 2942文字 〕 編集

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