猫田に小判 -新館 -

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No.117

#金継ぎ #陶磁器修理 #徒然なる日記 #どうでもいい思い付き

金継ぎは果たして侘び寂びなのかという事に端を発し、調べを続けていたら必然的に金継ぎの歴史をきちんと抑える必要があるだろうということになる。

よく言われているのは、侘び茶の発生と金継ぎは同時期というもの(この説が急に拡大したのはコロナ禍だが)。しかし「侘び茶」とは本来、真の茶(唐物舶来の高価な道具をしつらえた茶の湯)に対し、草の茶(和漢混在の最小限の道具で嗜む事のできる茶)を行うために生まれた解釈であり、侘びとは端的に言えば財力が伴わず不足しているという意味を持つ。茶の湯のために作ったわけではない高麗雑器や、農家の種壺の和陶器を見立てとして茶の湯に用いるのは、そういった草の茶と侘びの約束事の理解があってのことだ。
名物を有し真の茶を行う「名人」、茶で身を立てる「数奇者」、名物は持たないが茶を嗜みたいと切磋する人が「侘び数奇」、という区分は利休の頃から有り、侘び数奇でも茶を嗜むのが「侘び茶」ということだから、そこに直しとはいえ金色の加飾が入る余地は本来無いわけだ。
要するに、金継ぎというのは侘び茶が持つ本来の様式とは相容れない関係なので、侘び茶と金継ぎが同時期に発生するとは考えにくい。

という前提はあるにせよ、取り敢えず利休が存命中に行ったり参加した記録となる「茶会記」を当たることから始めてみた。
すると、「ツクロヒ」や「色ウルシ似ツクロヒ」という言葉は複数箇所に登場するが、金属製具を意味する「金(カネ)」として用いられることはあってもツクロイに付属して金という文字が出てくることがない。
金継ぎが用いられる前は金繕いという言葉が使われていたというのは、この仕事を始める前に調べていて分かっていたので、てっきり金繕いという言葉が出てくるかもしれないと思っていたが、そう簡単ではないらしい。
ということで、国立国会図書館デジタルコレクションのサイトを使い片っ端からそれらしい単語を見つけていくことになる。

これがまぁ簡単な事ではないのだが、それを話すと長くなるため、その辺りの右往左往はツイッター(エックス)を見て楽しんで頂く事として、その結果分かった事を書く。
器の直しに相当すると思われる用語が最初に登場した西暦と、出版物は以下の通り。なお、室町、江戸については明治以降に出た出版物や全集を用いている場合、併記されている元本の発行年を調べたもの、茶会記については茶会開催年で記載している。

<金継ぎ名称変遷>

【室町(桃山)】
1555 ツクロイ(松屋会記)
1568 色うるしにてつくろヰ(天王寺屋会記)

【江戸】
1690 うるしを以てぬりつぎて(人倫訓蒙図 継物師)
1724 黒ノ繕ヒ、金繕(槐記)
1727 金粉鎹ツクロイ(槐記)
1728 粉繕ヒ鎹アリ(槐記)
1837 漆を以て之補、金粉を粘す(守貞謾稿)
1864 粉つくろい(不二詣 織部焼 其角)

【明治】
1893 イレバ(隠語通言略解)
1903 ふんづくろい(声色大会 新旧演劇)

【大正】
1921 金粉繕い、金粉継合せ(大正名器鑑)

【昭和】
1931 金繕(日本古美術案内 上巻)
1931 金繕ひ(茶道月報 251)
1931 金粉継ギ(故古谷辰四郎尋思録)
1936 金漆繕い(茶道月報 331)
1937 金継ぎ(私のこのごろ)
1938 金接ぎ(日本医事新報 816)

修理箇所を金色にした事が明確に記載されるのは江戸中期の1700年以降である。
ただし、槐記にある「金繕」は、黒ノ繕に対して金ノ繕と書かないため個人的には「カネツクロイ」と呼んで「鎹(かすがい)」を表しているのではないかと推測している。というのも、槐記の場合のみ繕いは竹花入の説明に記載がされている。竹花入は経年で亀裂が広がるため漆の直しだけでは長期性が担保されない。そのため鎹を打って変形を抑制している。つまり「黒ノ繕」が漆であり「金繕」は鎹を表すと考える方が自然だと思う。
従って、明らかに金継ぎに相当するのは「金粉鎹ツクロイ」または「粉繕ヒ鎹アリ」ということになる。
明治に入ると「フンツクロイ」は金蒔きをした漆の繕いとして陶器辞典にも登場するので、槐記の「粉繕ヒ」は十中八九、金継ぎを表す用語だと考えられる。

これを調べるまで「金継ぎ」という言葉は明治の近代数寄者または千家の復興によって広まったのではないかと予想していたが、昭和初期になって登場したのは意外だった。そして金継ぎ以前には金繕いが用いられていたという話だったが、江戸末期から明治は「粉ツクロイ」が主流で、大正に「金粉繕い」という用語が登場するが、「金繕い」(たぶん金粉繕いの省略形)としての登場は昭和だったりする。
あくまでも国立国会図書館のデジタル化した資料で分かる範囲なので、確実とは言えないかもしれないが、概ね当たらずとも遠からずだと思う。

現在が2025年なので、それでも「金継ぎ」という言葉は100年弱は使われているわけだから長いと言えば長いけれど、1700年頃から始まった金加飾の歴史を考えると1930年頃に生まれた言葉は意外なほど短いとも言える。昭和生まれの自分からすれば、同じ時代に出来た言葉なのかよという感じがする。
また「金継ぎ」を用いる際に興味深いのは、例えとして用いられる事が多いという特徴がある。「金繕い」という言葉は明らかに茶事関連または骨董専門書で登場することが殆どだが、「金継ぎ」の場合は「金継ぎのような」として身体の具合など現状の言い換えに用いられている。何かの例えとして用いられるということは、書き手と読み手の双方に用語の理解があるという前提で使われるわけだから、金継ぎという言葉の一般への拡散は意外なほど早かったのではないかと思われる。
「継ぎ」という言葉は、ツギハギ(継ぎ接ぎ)という単語からも分かるように本来は異種の物の接合に使用される。これは茶器の直しも同様で、金継ぎが登場するまで異種物を用いた直しには「呼継ぎ」、同種物を用いた直しには「繕い」が割と厳密に用いられている。
本来の用い方のままであれば、金繕いで令和に定着する可能性もあったのに、何故、金継ぎと言い直されるようになったのか。理由は不明だが、1930年以降に何か原因があり、それが拡散加速に一役買っていたのかもしれない。(金繕いは、令和でも使われているので正確には併用されているわけだが、あまり多くはない。そして金継ぎ、金繕い意外の言葉は死語になっている。)

ちなみに、金継ぎが「ふんつくろい」と呼ばれていた期間は意外に長い(江戸中後期~昭和)が、江戸末期に登場し明治に隆盛を極める事となる「焼継ぎ」もまた「ふんつくろい」と呼ばれているため、この辺りの見極めは非常に難しい。明治、大正は概ね陶磁器の修理全般を「ふんつくろい」という言葉で認識していたと思われる。
なお、焼継ぎについては、いろいろと興味深い事が他にも結構たくさん分かったので、それについてはまた別な機会にでも書こうと思う。

〔 2942文字 〕 編集

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