猫田に小判 -新館 -

Last Modified: 2024/04/14(Sun) RSS Feed

No.84

#徒然なる日記 #陶芸

陶芸の講習会をやっていると、講習会で作った器は壊れないのに高い値段の器は壊れるんですよ、とか、自分のカップを洗っている時に落としたことないのに夫のカップは何故か落とすんですよ、という話を聞くことがある。

大抵は、おっちょこちょいエピソードとか笑い話のまま原因を聞かれることもなく話が流れてしまうので、きちんとその理由を話す機会は無いのだが、注意しているのに落としてしまう事で悩んでいる人のために、陶芸屋視点で理由を書いておこうと思う。

結論を言うと、器が手に馴染んでいないから。言い換えると、反復学習の不足が原因だ。

上記でいえば、来客用の器は、普段使いの器よりも手にする機会が少ない。夫のカップはお茶を出す時と洗う時に触るだけで、(例えば口元まで近づけるといった)それ以外の動かし方をしていない。つまり、器の形や厚み、重さのバランスなどについて手が覚える(正確には脳が無意識に記憶するわけだが)時間が圧倒的に短いのだ。
風呂場で髪を洗う時に目をつぶったとして、自宅であればシャンプーや水道の位置は大体予想出来るし、シャンプーの蓋を開けたりお湯を出すことも出来るが、旅行先の温泉の浴場で目をつぶったら、自宅の風呂と同じようにはいかない。それと同じで、普段使いの器や自分が愛用しているカップというのは、日々の反復経験によって器から様々な情報を収得し記憶している。逆に、来客用の器や夫のカップというのは普段遣いの器や自分用のカップに比べ、受け取っている情報量が圧倒的に少ない。

つまり、来客用の器や夫のカップというのは、根本的に落とすリスクが大きい器なのだ。
これは新しく買ってきた器を使う時にも当然発生するリスクだったりする。
食器に限らず、道具などを買う時に、手で持ってみてしっくりくると感じた経験を持つ人は少なくないと思うが、あれは、これまでの反復経験と合致する情報が多いということを意味する。
器というのは、よっぽど奇抜な作家の新作でもないかぎり大体は似たような形をしているので、これまでの経験と同じ使い方をすれば同様に扱えるだろうと勘違いしがちだが、実は、似た形であっても微妙に厚みや重さやバランスは異なるので、使いこなすには反復練習が絶対条件だったりする。

新しく買った器をすぐチップさせてしまう人、高い器を割りやすい人、夫のカップを落としやすい人は、手が器の情報を取得するまで、言い換えると器が手に馴染むまでには結構な時間が必要だということを忘れないようにしておくといいと思う。

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