猫田に小判 -新館 -

Last Modified: 2024/04/14(Sun) RSS Feed

全年全月18日の投稿(時系列順)3件]

2017年4月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

『 冬のガラス用漆ってどうなのよ 』

No. 1 :

#金継ぎ #ガラス用漆

3ヶ月ぶりにこんにちは。最初に書いておきますと、ガラス用漆その後の話です。

いい加減に冬も終わりというか、日中は夏日になってガリガリ君を食べたりしている4月。予報では今日の午後は30度になるそうで。ちなみに、現在は深夜2時ですが寒くてファンヒーター付けていたりする。6月だと、そういう日もあるけど4月じゃん、まだ。
まぁ、それはともかく、もう、真冬の状態にはならないと思うので、以前に、冬場のガラス用漆のリポート書くという約束を果たそうと思う。

話の前提として、私が仕事をしている場所を書いておく必要があるだろう。栃木のほぼほぼ中心。ここは内陸性気候に区分されている。11月を過ぎると日中の気温が10度以下、夜〜明け方は氷点下になり、水を入れて外に出したバケツには1cm前後の氷が張る。そんな感じの土地だ。しかも、それだけ寒いなら冷気が入らないしっかりした建物を作るべきだと思うが、残念ながら、当家は家の中でも吐く息が白いという状態。当然、仕事場もそういう環境だ。加えて、冬は湿度が30%まで下がる。しかも絶対に50%を超えない。いや、40%も超えるのを見ることすら稀だ。部屋が寒くなるということは、当然、気密性もあまり高くないわけで、常時、湿度30%位のところで生きている。
と、長々書いたが、要するに冬は漆作業に向かない環境だ。部屋に置いた漆は1ヶ月置いても全く硬化しない。だが、逆に、全く漆が硬化しない環境ゆえ、硬化条件を細かく調べることも出来ると言える。

そういうわけで、ガラス用漆の硬化条件はどの辺りなのか調べてみた。いよいよ本題へ入る。
結論を書くと、ガラス用漆が硬化する最低温度は18度、湿度48%だった。ただし、この条件だと硬化まで5日かかる。これよりも温度、湿度のどちらかが下がると全く硬化しなくなる。ちょっと数値が下がるのだから、時間を置けば硬化しそうなものだが、硬化しなくなる。なので、最低温湿度で漆を扱うのは非常に危ない。仕事として成立するのは、温度が20度、湿度が50%まで上げる必要があり、これだと3日で硬化する。
つまり、気温20度、湿度50%の状態を3日キープ出来る漆ムロがあれば、ガラス漆の金継ぎ仕事は出来ることになる。実際、それでやってるし、私。

それから、漆を硬化させるには、気温25度以上、湿度80%以上が必要というのは、必ず漆ハウツー本に書いてある呪文だ。しかし上に記載したように、そこまでの温度と湿度は必要ない。というか、ガラス漆の硬化を調べていて気付いたのだが、呪文は最も早く漆が硬化する条件であって、実は、仕事として考えると、漆は呪文よりも下の数値で硬化させた方が結果的に扱いやすい。というのも、最適化条件に近づくほど皺も出やすくなる、つまり作業がシビアになってくる。勿論、適切な塗り方であれば問題ないし、プロなら仕事をする時の温度と湿度を見て、厚みを調整して塗るのが当たり前だが、趣味で漆塗りをする人はそこまで経験値が上がらないことが多いし、加えて、大抵、厚く塗る。その時、最速硬化条件の温湿度(特に湿度が大切)だと皺が出てしまう。もっとゆるやかに硬化させた方が結果的に失敗しにくくなる。
温度が20〜25度、湿度が50〜80%の範囲であれば硬化するので、あとは、各自の塗り癖に従って調整したら良い。と突き放すと文句を言われそうなので、大体の目安として書くと、温度が25度。湿度が60%辺り、中1日置いて作業出来る程度で作業を進めていくと、間違って少し厚塗りをしてもそこそこ皺が出にくいので、非常に仕事しやすい(だから厚く塗っても良いという事ではないので、そこは取り違えないように)。

ってことで、冬の状態からのガラス用漆の扱いについて。でした。
また気になったことがあったら、追加していきたいと思いますので。

〔 1618文字 〕 編集

2023年8月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #どうでもいい思い付き#陶芸  #縄文時代

縄文式土器というと縄文中期の火炎型がやたら有名なのは、形の面白さから理解できるわけだが、私は縄文初期の丸底や尖底土器というのがかなり昔から気になっている。
というのも、先が尖った安定しない器というのは現代の陶芸感覚からすると非常に作り難い。今の感覚で作り方を考えるとすれば、粘土を山形に固めて少し乾かして先端が乾き始めたら中を削り、ひっくり返して口の方を作っていくというのが最も効率的なのかもしれない。なので結果的には外を先に仕上げる事になる。私自身は、ずっとそうやって作っているのだろうと考えていた。

しかし、ある時、気付いたのは、人間が土に穴を掘ったら半球や逆円錐形じゃね?という事。
つまり、尖底式土器は土に穴を掘り、その穴に粘土を付けて形を作ったのではないかという推測が出来る。

そもそも、縄文人は何故、焼いて固めた器なんてものを思い付いたのかという根源的なことを考えると、おそらく粘土質の土地を雨上がりに人が歩いたり、更に雨が降ったりして大地にくぼみが出来る。そこが干上がって土が乾き、どこかの誰かが、この乾いた土の形って良い感じの容器になるんじゃね?と思って火にかけてみたら硬くなったとか、あるいはそうしたくぼみで火をたいた後、偶然に土器になっていたのを見つけたとか、恐らくそんなところだと思うのだ。

ということは、土器はまず最初、大地を窪ませる、つまり穴を掘るところから始まっているはずだ。動物捕獲用の矢じりがついた矢みたいなものでカツカツと大地を掘ったら尖底土器の形になるはずで、ここに泥に近い柔らかい粘土をペタペタと塗っていき、ある程度乾かしたら粘土を付け足して口を成形した後、ゴソッと抜いて伏せてから外側を仕上げる、みたいな。最初はそんな感じで土器を作っていたのではないだろうか。

そのうち、土を掘るの面倒だから、もう少し粘土を乾かして可塑性出すようにすれば穴掘らなくても器作れるんじゃね?という事に気付いた人が、今度は穴を掘らずに地上で器の形を作ることを考え出して、底が平らな土器が主流になっていく。そういう流れだったんじゃないかと思う。

なので、尖底土器と、底が平らな土器では、極めて大きな技術革新というか思考の変化があったりすると思うのだ。
尖底土器は、もっと、どうやって作ったのかを深く推測する必要があると思う。縄文人の思考の根源に辿り着けるはずだから。

〔 1049文字 〕 編集

2023年9月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

#徒然なる日記 #陶芸

江戸時代の文献に、掻いた生漆は「くるみ油」と「濃く煎じた茶汁」の混合液の上に垂らすと漆が焼けないという記述があって(ここでの「漆が焼けない」という解釈が、漆が酸化して赤くならないという事なのか、それとも漆被れを起こさないという事なのかは考える必要はあるけれども)、くるみ油と茶汁の混合液には、どういう効果が有るのだろうと調べていて、ふと、そういえば大学や東京の陶芸教室で働いていた頃は、下絵具を茶汁で溶くのは割と通説的に、タンニン酸が弁柄を細かくするから絵具の伸びが良くなるとか言われていたけど、個人的には水で溶くのと違いが分からないまま、理由については深く考えもせずに放置していたけど、実際のところはどうなのかと思ってネットで検索してみたら、下絵具を茶汁で溶くという話そのものが全く出て来ない。
まあ、30年位前の常識だから徐々に薄まってきているという事は考えられるが、よもや、今は、茶汁で溶くという話すら検索出来ないほど消えてしまったらしい。と結構驚いた。

それと、ネットでの検索結果というのは、食に偏りが大きいという事もちょっとした発見ではあった。くるみ油も茶汁も、健康に云々という記事が山のように出てくるが、くるみ油の塗料としての内容や、茶汁で何かを溶くという話に関しては、本当にヒット数が少ない(と思う。私の調べ方が悪いのかもしれないが)。

〔 612文字 〕 編集

■全文検索:

■インフォメーション

猫田に小判 -新館- は、猫田に小判(使用していたCGIの開発が終了してしまったため更新を停止)の続きでやっているブログです。
気分次第の不定期更新です。3ヶ月に1回くらいで見に来て頂くと、更新している可能性が高いです。
ちなみに当ブログとほぼほぼ関連性の無い事か、ブログに纏める前のアイディア程度の浅い内容しか書きませんが、Twitterはこちら
コメント欄の無いブログCGIなので、ブログについてのご意見はTwitterのリプライやDMでお願いいたします。

編集

■日付検索:

▼現在の表示条件での投稿総数:

3件

ランダムに見る