猫田に小判 -新館 -

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全年全月7日の投稿(時系列順)3件]

2019年5月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

美人画っぽいのを書いてみる その7

No. 19 :

#美人画風

連休長くて時間があったので、久しぶりに書いてみた。
少し前に銭湯の壁絵を書くモデルさんの盗作疑惑のニュースあったけど、私は陶芸をやっているせいか○○に似ているというのには割と寛容。特に今、売っている器って誰が作ったか分からないくらい似てるからね、どれもこれも(笑)
件のモデルさんも、カッコいいなぁとか素敵だなぁと思ったから真似したっていう選択眼については評価しても良いんじゃないかなぁとは思う。ただネットで写真を見る限り、どれもオリジナルを越えようっていう気概みたいなものが感じられないというか、原本に追いつくのが精一杯で追い越す工夫がないので、そこは作り手として問題視されるべきかなと思ったりはする。
とか偉そうに書いてはいるけど、私の美人画のつもりで書いている絵もネットにあるファッション写真を完全に模写しているからね。人をどうこう言える資格はない。(実際に美人に書く画力があるかどうかは別として)美人に書こうと頑張ってはいるつもりだけども。

美人画風

〔 452文字 〕 編集

2019年11月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

息を止めて線を引くとはどういう事か

No. 30 :
#徒然なる日記 #金継ぎ #陶磁器修理

たかが線、されど線。細い線の引き方がよく分からないという質問はたびたび来る。息が長く、しなやかで、流れるような細い線はそれはそれは見ているだけ気持ち良い。だが、そういう線を引く事は実に実に難しい。更に、その線を引くために何が必要かを説明することはもっと難しい。今日はそういう難しいことを出来るだけ分かりやすく説明するという話。

細い線を引く時には、ゆっくりと筆先を動かすというのは基本だが、実はゆっくり動くためには、その前段階が重要になる。
ゆっくりと動くためには、まず「力が抜けていなければならない」。別な言い方をすると「力んではいけない」という事になる。
では、力まないためには、その前段階としては何をすれば良いのだろうか。

線を引く時に大切なのは、腕や指先が思った方向に自由に動かせるかどうかだ。
達人はよく、丹田に力を入れてと言ったりするので、いきなり下腹部に力を入れる初心者がいるが、下腹部に力を入れるだけでは何もならない。むしろ動きにの邪魔にしかならない。丹田に力を入れるというのは分かりやすく表現すると、上半身の力みを無くして安定させるという事だ。上半身の力みを下半身に移動するというイメージでも良いかもしれない。しかし余程の武術やスポーツの達人でないと意図して力みを移動させることは難しい。そこで、別な方向から、力みの移動を考えてみよう。

端的に言ってしまうと、上半身の力みを取るというのは「肺の動きを最小限に抑える事」だ。
一番良いのは肺を動かさない事、つまり完全に息をしない事だが、流石に作業中ずっと呼吸を止めたら酸欠で倒れてしまうので、動いていないくらい小さな肺の動きの呼吸をする。それが工芸作業的な息を止めるという事ではないかと思う。
では実際、どのようにすれば良いかというと、大抵は酸欠で息が苦しくならないよう思いっきり空気を吸い込んで息を止めて肺の動きを抑えようと考えてしまうが、息を吸って大きくした肺は動きにとっては邪魔でしかない。しかも肺に空気が入って肩が上がると、力みが発生して集中力も動きも鈍くなる。
実は逆だ。まず大きく息を吐いて肺を出来るだけ小さくする(とは言っても、肺はゴム風船のように大きく形が可変するわけではないので、あくまでも大小についてはイメージなのだが)。すると自然と肩が下がって余計な力みが抜けてくる。余計な力みが抜けるなると血行も良くなって一瞬、集中力が増す。あぁ、集中力上がってきたわぁというのを感じたところで筆をゆっくりと下ろして線を引き始めるわけである。

息を吐くことから全てが始まらなければいけない。息を吐ききったところで線を引き始める。その後で丹田に力を入れからゆっくりと息をすると、通常の呼吸から、肩の上がらない(=肺の運動を最小限に抑えた)複式呼吸への移行が可能になるわけだ。これにより上半身は力みを抜いた状態で安定し、腕や指を自由に動かすことが出来るようになる。何度か練習は必要だと思うが、ある瞬間、自分が想像していたよりもずっと線が長く引けるようになった事を実感すると思う。
それが、息を止めて線を引いているという状態だ。

〔 1342文字 〕 編集

2022年4月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

焼き継ぎには漆喰が使われているという話

No. 50 :
#焼き継ぎ #陶磁器修理 #徒然なる日記

以前に猫田に小判ブログ(旧館)でも書いて、noteのスピンオフでも書いたが、焼き継ぎは高温での固定剤として粘土が使われているという話。表面の接着に使われている溶けた白玉を取ると接着面に素焼きの粉と思われるものがあるのは確かなのだが、粘土に鉄分が含まれているため粉の色は茶色い。その他に白い部分もあり、白磁の粉でもここまで白くはならないため実は白いものが何なのかは謎だった。
それが一気に解明した(と思われる)ので書いておこうと思う。いずれ、焼き継ぎの完全再現が出来たら写真付きでnoteに書こうとは思っている。

解決の糸口は、焼き継ぎされた皿のガラスを取って金継ぎにしてほしいという依頼から始まる。
ガラスを除去するとバラバラになるので、このままにしておいた方が良いと話をしたのだが、それでもやってくれという事なので仕方なく修理を受ける事にした。
皿には欠損の充填を行った部分が2か所あり、ガラスをルーターで慎重に削っていたら中から白い粉がボロボロと結構な量で出てきたのだ。2か所とも同じ粉が出てきたのだが、加熱されたはずなのに固まっていない事から明らかに粘土の素焼きではない。一体、何の粉だろうかと見ていて、昔、二水石膏は窯で焼いて無水石膏になるのかというのを確かめるために石膏を焼いたことがあるのだが、その時の石膏の粉に非常によく似ている事に気が付いた。
これはもしかして石膏、あるいはカルシウム粉ということなのかと思い、石膏が江戸時代に使われていたかどうかを調べたところ、医療分野で使われ始めてはいたが一般に石膏として広く使われてはいないと分かる。では、他にカルシウム紛で使われていたものはないのかと調べたら、江戸時代よりもっと昔から漆喰が壁や瓦屋根の瓦の接着として使われていたという事が分かった。
興味深いのは瓦の接着。耐水性耐候性が高く熱にも強いので最適な素材だそうな。つまり、昔から耐熱物として認知されていたという事になる。ということは、器の接着に使っても当然不思議ではない。
江戸時代の資料には焼き継ぎ屋が器を修理している図というのがあり、四角い箱の中に山盛りの何かが入っており、修理屋は菜箸のようなもので器に何かを塗っているところを書いてあって、研究者曰く白玉を塗っているところらしいのだが、菜箸で破損面に何かを塗るのは中国の紫泥の急須を作る時に行っているドベ付けと同じなので、おそらく箱に入っているものは漆喰、それを菜箸のような棒に付けて、破損断面に塗っているというのが正解ではないかと思われる。

早速、ホームセンターで漆喰を買ってきて、スサが邪魔なので茶こしで振るって粉だけにしたものに水を加えてみる。説明書には漆喰100に水60と書かれていたが、この混合比だとかなりもったりしていて陶器を綺麗に接着するのは無理なので更に水を加え、何とか器を接着する。漆喰は空気中の二酸化炭素と反応して硬化するそうなので暫く養生のために静置する。なお、漆喰だけで割れた破片を繋いでいくのはかなり大変なので、漆喰には海藻系の糊が入っているらしいが、器を継ぐためにはもっと強めのでんぷん糊などを混ぜた可能性が考えられる。
1日養生させたところ、まだ完全に固まってはいないかもしれないが持ち上げても取れたりすることはないので、白玉を塗れる程度には固定されていると判断し、水で溶いたフリットを筆で塗る。以前にも筆で綺麗に白玉を塗るのは難しいと思い、化粧のイッチンのようにスポイトとかシリンジでやった方が良いと考えたのだが面倒なので筆にしてしまった。

かなり昔に買ったフリットのため焼成適正温度が何℃なのか忘れてしまったため、とりあえず素焼きの窯(800℃)に入れて焼くことにした。
明らかに温度高めじゃないかなぁとは思ったのだが、今回は白玉を適正温度で熔かす事よりも、漆喰が焼成に耐えて器の形状を保てるのかという確認がメインなので焼き継ぎの見た目の再現が出来なくてもOKということでやってみた。

結果、フリットは綺麗に溶けて透明になり、ほとんど分からない状態まで平滑になってしまったが、漆喰はしっかりと破片を固定しており焼成中に接着がズレる事も無かった。しかも、かなり焼き継ぎの継ぎ目の白さに近似していた。

焼き継ぎの固定剤には漆喰を用いたというのは、かなり濃厚な線、というよりもほぼ確定と考えて良いのではないかと思われる。
焼き継ぎの接着面の考察をした資料というのがあって、そこには破損断面に白玉があると記載されているのだが、恐らく白玉ではなく漆喰のカルシウム分という事で間違いない。白い粉なので白玉の溶け残りと思われているのかもしれないが、表面の白玉が溶けているのだから破損面の白玉だけが溶け残るとは考えにくい。

ということで、焼き継ぎの固定剤は、粘土または漆喰が使われていたのであろう。
左官では、漆喰に粘土を入れて使う事もあるそうなので、粘土または漆喰というよりも、漆喰に粘土を混ぜて使ったのかもしれない。この辺は、焼き継ぎ屋による差または地方により漆喰の扱いの差という事になるのかもしれない。焼き継ぎ屋は左官屋から漆喰を買っていた可能性も考えられるので、その地方の建造物に使われている漆喰と、同地方で見つかった焼き継ぎの接着断面を比較すると、案外、同じ状態だったりするのかもしれない。
まぁ、この辺は、その手の歴史専門家にまかせるとしよう。

〔 2271文字 〕 編集

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