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	<title><![CDATA[ どのカテゴリにも属していない投稿［120件］ - 猫田に小判 -新館 - ]]></title>
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	<description><![CDATA[  ]]></description>
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	<title><![CDATA[ 「金継ぎ」に替わる言葉を探したいという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 「金継ぎ」に替わる言葉を探したいという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%99%b6%e7%a3%81%e5%99%a8%e4%bf%ae%e7%90%86" class="taglink" title="陶磁器修理">#陶磁器修理</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <br /><br />言葉というのは時代や地域によって変化していくものだという一般常識的な感覚は、もちろん私にもある。<br />日本で使われる「寿司」という言葉は、アメリカだとカリフォルニアロールのような海苔を内側に入れた巻き寿司の事を意味する。ちなみに日本の巻き寿司を「MAKI」、握り寿司を「NIGIRI」と呼び、それらの総称を「SUSI」と呼ぶわけではなく、あくまで「SUSI」は裏巻きの寿司というグループの名称という使い方だそうだ。<br /><br />金継ぎもKINTSUGIになった事で、受け取り方が多少は変わってくるだろうという感じはしていたが、金継ぎの場合に問題なのは金色である事以外は日本で行われてきた金継ぎのオリジナリティが壊滅的に無視されている事。無視された上に自己啓発やスピリチュアルでは、器の破壊行為が正当の範疇で行われている。もはや直しですらない単なる営利のための大量消費となっている。<br />しかも困った事に、日本でも金継ぎをするといえば、そうした消費活動だと考える人間が増えてきているという事実。金継ぎをすると言っている日本人の9割以上は、漆芸の歴史との兼ね合いを微塵も知らない状態ではないかという感じがしている。オリジナルを残しつつ変化している部分があるならまだしも、明らかにオリジナルが消滅し、残骸となりつつある。<br /><br />これは、自然や他人との関係やバランスを重視する日本に対し、最も優先されるのが個人の幸福であり、そのためには他人を説き伏せることが重要だという国外との世界観の違いによるものだろう。だから、自分と器の距離を考えながら時間を掛けて直す金継ぎと、自らの精神構築のために器を割り、出来るだけ早く組み立てる事を象徴的に捉えるKINTSUGIの違いが生まれることになる。KINTSUGIは金継ぎをリスペクトしていると言う人もいるが、その実は全く逆だったりする。<br /><br />これまで、金継ぎの歴史を調べてnoteに書いたり、漆芸の歴史から生まれた金継ぎと、現在の商業ベースで広まった金継ぎには凡そ伝統と呼べる接点は無いという事を言ったり書いたりしてきたが、正直、肌感としては完全に手の打ちようのない状態だと思う。もはや日本人が行ってきた金継ぎは濁流による崩壊を起こしてしまっている。<br /><br />それで考えたのは、所詮、金継ぎは昭和30年代に略称として生まれた若い言葉であり、そろそろ用語として新たなフェーズに移行する時期なのかもしれないという事。<br />「繕い」が「漆繕い」になり「金粉繕い」から「粉繕い」、「金粉継ぎ」から「金継ぎ」へと呼び名は変化を続けてきた。言葉は変わっても技法や気持ちとして受け継がれたものがあったと思うが、それすら無くなっているとしたら、それはもう別物だ。元来なら別物に対して新たな呼び名を考えるのが筋だと思うが、商業ベースで広まり拡散してしまった今となっては、それは叶わない願いだろう。<br />ならば、商業ベースの行為に「金継ぎ」という用語はくれてやって、縄文時代から続いた漆直しの源流を持った修理に別な用語を付けたら良いではないのではなかろうか。元来在るものという認識が生じればいいのだから、金継ぎという名称に執着する必要もない。執着しないのは禅の教えでもあるわけだし。<br /><br />というわけで、そんな意味を表す何か良い言葉は無いかとずっと考えていて、「侘数寄（わびすき）」という茶道用語を見て語呂が似ている<br /><br />「侘び継ぎ、侘継ぎ（わびつぎ）」<br /><br />というのはどうだろうと思い付いた。<br /><br />これならば金色である必要もないし、金色に執着する必要もない。銀でも良いし、漆だけでも良い。人と宅が入っている漢字の並びも良い。勿論、侘茶が持つ自然との接点みたいなものも感じられる、日本に根ざしたイメージが強く感じられそうな気がする、個人的には。<br /><br />これまでの金継ぎの名称の歴史的文脈から言えば「漆継ぎ（うるしつぎ）」を用いる方が自然ではあるが、漆継ぎはどうにも語呂が悪い。「し」と「つ」が並んでいたり、5音節なのが原因ではないかと思う。<br /><br />もっと良さげな言葉があれば、また書きたいと思うが、今のところ「侘継ぎ」は自分の中ではかなりしっくりきている。 -- Posted by 猫田に小判 〔1761文字〕 No.120 ]]></description>
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	<pubDate>Sat, 18 Apr 2026 21:20:09 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 金継ぎの料金を値上げすることにした話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 金継ぎの料金を値上げすることにした話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <br /><br />私が金継ぎ師や金継ぎ作家ではなく金継ぎ修理屋を自認自称しているのは、陶磁器の修理として金継ぎを捉えているからだ。<br />そして修理には、それに応じた妥当性というものが必要だろうと考えている。<br /><br />修理の値段はその中でも最初に苦慮した事で、私の金継ぎ修理はあくまでも美術工芸品ではなく庶民的に器を使い続ける事を目的としているから、使い続けられる「ギリギリ妥当なお足を頂く」ために分かりやすさを優先し、それまで通例とされてきた言い値による料金ではなく、計算方法を公開し価格を提示しするという方法を考えた。それが、基本料2000円と、技術料の接着1cmあたり100円。欠損1cm角あたり400円だ。当時は地元の画材屋から購入していた金粉が1gで1万円位だったから、修理に使用する金粉の標準量を0.01gとすると、まぁ妥当ではないかという判断だった。<br /><br />しかし、昨今の金の未曾有の高騰により、現在の金粉はネット店の直販でも1gで35000円はする。明らかに原価割れだ。<br />それでも、食費を削りエンゲル係数の爆上がりを実感しながら、庶民的な修理感覚としてその値段を維持してきたが流石に堪えられなくなった。<br />現状の金の高騰を鑑みれば、料金の値上げは3倍を超えるのが妥当なのは分かっているが、それでは庶民的な修理感覚を大きく逸脱してしまう。<br />なので、4月から頑張って頑張って頑張って金継ぎの技術料は、接着1cmあたり200円。欠損1cm角あたり800円にした。<br />少なくとも私にとって庶民感覚の修理はここが限界だ。これ以上なら修理を頼むことはしないと思う。<br /><br />焼継ぎは、修理の値段が新しい器を買う値段を上回ったことで絶滅する道を辿った。<br />本漆と本金を使った金継ぎも、いずれは焼継ぎと似たような衰退の道を辿るとは思う。庶民感覚の金継ぎは消えると思うが、ただし金継ぎそのものが完全に消えるかというと、たぶんそれはない。金継ぎは本来、武家や公家、豪商などが持っていた数百万円、数千万円を下らない（数億円クラスもあった）という茶器に対して行われていたもので、言い換えればそういう額の売買が出来る人間のためのものだった。そういう世界線では金継ぎは廃れることはないだろう。<br />カネは取れるところからはしっかり取るというのはビジネスとしては正しい。ただ、私はそれに付き合うつもりはない。あくまでも庶民感覚で可能な最大限の金継ぎを模索するだけだ。<br /><br />『The more you give Babe, the less you lose, yeah<br />運が悪けりゃ死ぬだけさ<br />死ぬだけさ』<br /><br />金継ぎ修理屋を始めた時に歌い続けた「男達のメロディー」は、今も心の真ん中にある。 -- Posted by 猫田に小判 〔1146文字〕 No.119 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Sun, 01 Feb 2026 09:49:45 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ note「金継ぎの歴史」全5章をAIに読ませて帯文を作っても… ]]></title>
	<description><![CDATA[ note「金継ぎの歴史」全5章をAIに読ませて帯文を作ってもらった話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <br /><br />金継ぎは侘び寂びなのか？という疑問に始まり、直しの用語の変遷などを調べていくうちに日本人の器物直しの歴史が見えてくると、そろそろ「金継ぎは馬蝗絆が～」の嘘は真面目に止めておかないとアカンな、と思い始め、金継ぎの歴史を「案外 書かれない金継ぎの話」で形にしておくことにした。<br /><br /><a class="url labeledlink" href="https://note.com/kintsugi_hontou/n/neeee156396e6" rel="noopener noreferrer" target="_blank">金継ぎの歴史１ 室町以前</a> <br /><a class="url labeledlink" href="https://note.com/kintsugi_hontou/n/n971bbfbfc90f" rel="noopener noreferrer" target="_blank">金継ぎの歴史２ 茶人と繕い</a> <br /><a class="url labeledlink" href="https://note.com/kintsugi_hontou/n/n16f30d1b5594" rel="noopener noreferrer" target="_blank">金継ぎの歴史３ 繕いの変化</a><br /><a class="url labeledlink" href="https://note.com/kintsugi_hontou/n/na95cf7776a16" rel="noopener noreferrer" target="_blank">金継ぎの歴史４ 名称の変化</a><br /><a class="url labeledlink" href="https://note.com/kintsugi_hontou/n/n005b65b5f83f" rel="noopener noreferrer" target="_blank">金継ぎの歴史５ 現代史</a><br /><br />で、書き終わったのだが、全5章はかなり長くて読むの大変だから短めに説明できないものかと考えていて、AIに読ませて本の帯文みたいなの書かせてみたらどうかと気付く。「5つのブログを読んで、仮にこれが書籍だとしたら、どんな帯文を作りますか？」と同じ質問を6つのAIにしてみた。少し誤読してそうなAIもいるが、概ね良さげな感じの推薦文を書いてくれて面白かったので紹介しようと思う。AIの帯文を見て、興味が沸いたら本編も読んでみてください。<br /><br /><br />その金継ぎ観、近代の創作かもしれない。<br />侘び・癒し・哲学、語られすぎた物語を、史料から静かにほどく。<br />縄文から現代まで――<br />史料と実例でたどる、日本の〈繕い〉文化史。【 ChatGPT 】<br /><br /><br />金継ぎへのイメージを刷新し、本質を突くスタイル<br />「金継ぎ」という言葉は、昭和の発明だった。<br />縄文の漆直しから、江戸の「焼継ぎ」ブーム、そして世界が熱狂する「KINTSUGI」へ。 <br />誰もが知る「日本の伝統」の、誰も知らなかった真実。 <br />文献に埋もれた「繕い」の記録を掘り起こし、日本人の美意識の変遷を辿る極上の文化史。【 Gemini 】<br /><br /><br />きれいごと抜きで語る、金継ぎのリアルな歴史。<br />そのひび割れは、いつから「美」になったのか。<br />SNSで語られない、金継ぎと焼継ぎのほんとうの話。<br />美談でもスピリチュアルでもない、実務としての金継ぎ史入門。【 Perplextiy 】<br /><br /><br />金継ぎブームの今だからこそ読むべき一冊。<br />史料に基づく緻密な検証が、私たちの思い込みを次々と覆していく。<br />「侘び」「禅」「サスティナブル」――<br />時代ごとに変容する金継ぎの意味を追い、日本人と器の関係史を浮き彫りにする、驚きと発見に満ちた文化史。<br />「あなたの知っている金継ぎの歴史は、ほとんどが創作かもしれません」【 Claude 】<br /><br /><br />金継ぎは侘び寂びの象徴？　――それは、昭和に生まれた幻想だった。<br />千利休も使わなかった“金”。“金継ぎ”という言葉が生まれたのは、わずか100年前――<br />史料で読み解く、本当の金継ぎ史。<br />ロマンチックなイメージを、丁寧に剥がす。ワークショップに行く前に、ぜひ読んでほしい一冊。<br />あなたの金継ぎ観が、180度変わる。【 Grok 】<br /><br /><br />あなたの知っている金継ぎは、金継ぎではない。<br />昭和に生まれた新しい言葉が、いつしか古典の顔をして語られてきた。<br />その誤解をほどき、金継ぎの歴史をゼロから組み直す。<br />言葉でつなぐのは文化の記憶。<br />忘れられた修理の名と、移り変わる価値観をたどる、金継ぎの静かな歴史散歩。【 Copilot 】<br /> -- Posted by 猫田に小判 〔1356文字〕 No.118 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Mon, 22 Dec 2025 09:28:17 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 『金継ぎ』という言葉はいつ生まれたのかという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 『金継ぎ』という言葉はいつ生まれたのかという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%99%b6%e7%a3%81%e5%99%a8%e4%bf%ae%e7%90%86" class="taglink" title="陶磁器修理">#陶磁器修理</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <br /><br />金継ぎは果たして侘び寂びなのかという事に端を発し、調べを続けていたら必然的に金継ぎの歴史をきちんと抑える必要があるだろうということになる。<br /><br />よく言われているのは、侘び茶の発生と金継ぎは同時期というもの（この説が急に拡大したのはコロナ禍だが）。しかし「侘び茶」とは本来、真の茶（唐物舶来の高価な道具をしつらえた茶の湯）に対し、草の茶（和漢混在の最小限の道具で嗜む事のできる茶）を行うために生まれた解釈であり、侘びとは端的に言えば財力が伴わず不足しているという意味を持つ。茶の湯のために作ったわけではない高麗雑器や、農家の種壺の和陶器を見立てとして茶の湯に用いるのは、そういった草の茶と侘びの約束事の理解があってのことだ。<br />名物を有し真の茶を行う「名人」、茶で身を立てる「数奇者」、名物は持たないが茶を嗜みたいと切磋する人が「侘び数奇」、という区分は利休の頃から有り、侘び数奇でも茶を嗜むのが「侘び茶」ということだから、そこに直しとはいえ金色の加飾が入る余地は本来無いわけだ。<br />要するに、金継ぎというのは侘び茶が持つ本来の様式とは相容れない関係なので、侘び茶と金継ぎが同時期に発生するとは考えにくい。<br /><br />という前提はあるにせよ、取り敢えず利休が存命中に行ったり参加した記録となる「茶会記」を当たることから始めてみた。<br />すると、「ツクロヒ」や「色ウルシ似ツクロヒ」という言葉は複数箇所に登場するが、金属製具を意味する「金（カネ）」として用いられることはあってもツクロイに付属して金という文字が出てくることがない。<br />金継ぎが用いられる前は金繕いという言葉が使われていたというのは、この仕事を始める前に調べていて分かっていたので、てっきり金繕いという言葉が出てくるかもしれないと思っていたが、そう簡単ではないらしい。<br />ということで、国立国会図書館デジタルコレクションのサイトを使い片っ端からそれらしい単語を見つけていくことになる。<br /><br />これがまぁ簡単な事ではないのだが、それを話すと長くなるため、その辺りの右往左往はツイッター（エックス)を見て楽しんで頂く事として、その結果分かった事を書く。<br />器の直しに相当すると思われる用語が最初に登場した西暦と、出版物は以下の通り。なお、室町、江戸については明治以降に出た出版物や全集を用いている場合、併記されている元本の発行年を調べたもの、茶会記については茶会開催年で記載している。<br /><br />＜金継ぎ名称変遷＞<br /><br />【室町（桃山）】<br />1555 ツクロイ（松屋会記）<br />1568 色うるしにてつくろヰ（天王寺屋会記）<br /><br />【江戸】<br />1690 うるしを以てぬりつぎて（人倫訓蒙図 継物師）<br />1724 黒ノ繕ヒ、金繕（槐記）<br />1727 金粉鎹ツクロイ（槐記）<br />1728 粉繕ヒ鎹アリ（槐記）<br />1837 漆を以て之補、金粉を粘す（守貞謾稿）<br />1864 粉つくろい（不二詣 織部焼 其角）<br /><br />【明治】<br />1893 イレバ（隠語通言略解）<br />1903 ふんづくろい（声色大会 新旧演劇）<br /><br />【大正】<br />1921 金粉繕い、金粉継合せ（大正名器鑑）<br /><br />【昭和】<br />1931 金繕（日本古美術案内 上巻）<br />1931 金繕ひ（茶道月報 251）<br />1931 金粉継ギ（故古谷辰四郎尋思録）<br />1936 金漆繕い（茶道月報 331）<br />1937 金継ぎ（私のこのごろ）<br />1938 金接ぎ（日本医事新報 816）<br /><br />修理箇所を金色にした事が明確に記載されるのは江戸中期の1700年以降である。<br />ただし、槐記にある「金繕」は、黒ノ繕に対して金ノ繕と書かないため個人的には「カネツクロイ」と呼んで「鎹（かすがい）」を表しているのではないかと推測している。というのも、槐記の場合のみ繕いは竹花入の説明に記載がされている。竹花入は経年で亀裂が広がるため漆の直しだけでは長期性が担保されない。そのため鎹を打って変形を抑制している。つまり「黒ノ繕」が漆であり「金繕」は鎹を表すと考える方が自然だと思う。<br />従って、明らかに金継ぎに相当するのは「金粉鎹ツクロイ」または「粉繕ヒ鎹アリ」ということになる。<br />明治に入ると「フンツクロイ」は金蒔きをした漆の繕いとして陶器辞典にも登場するので、槐記の「粉繕ヒ」は十中八九、金継ぎを表す用語だと考えられる。<br /><br />これを調べるまで「金継ぎ」という言葉は明治の近代数寄者または千家の復興によって広まったのではないかと予想していたが、昭和初期になって登場したのは意外だった。そして金継ぎ以前には金繕いが用いられていたという話だったが、江戸末期から明治は「粉ツクロイ」が主流で、大正に「金粉繕い」という用語が登場するが、「金繕い」（たぶん金粉繕いの省略形）としての登場は昭和だったりする。<br />あくまでも国立国会図書館のデジタル化した資料で分かる範囲なので、確実とは言えないかもしれないが、概ね当たらずとも遠からずだと思う。<br /><br />現在が2025年なので、それでも「金継ぎ」という言葉は100年弱は使われているわけだから長いと言えば長いけれど、1700年頃から始まった金加飾の歴史を考えると1930年頃に生まれた言葉は意外なほど短いとも言える。昭和生まれの自分からすれば、同じ時代に出来た言葉なのかよという感じがする。<br />また「金継ぎ」を用いる際に興味深いのは、例えとして用いられる事が多いという特徴がある。「金繕い」という言葉は明らかに茶事関連または骨董専門書で登場することが殆どだが、「金継ぎ」の場合は「金継ぎのような」として身体の具合など現状の言い換えに用いられている。何かの例えとして用いられるということは、書き手と読み手の双方に用語の理解があるという前提で使われるわけだから、金継ぎという言葉の一般への拡散は意外なほど早かったのではないかと思われる。<br />「継ぎ」という言葉は、ツギハギ（継ぎ接ぎ）という単語からも分かるように本来は異種の物の接合に使用される。これは茶器の直しも同様で、金継ぎが登場するまで異種物を用いた直しには「呼継ぎ」、同種物を用いた直しには「繕い」が割と厳密に用いられている。<br />本来の用い方のままであれば、金繕いで令和に定着する可能性もあったのに、何故、金継ぎと言い直されるようになったのか。理由は不明だが、1930年以降に何か原因があり、それが拡散加速に一役買っていたのかもしれない。（金繕いは、令和でも使われているので正確には併用されているわけだが、あまり多くはない。そして金継ぎ、金繕い意外の言葉は死語になっている。）<br /><br />ちなみに、金継ぎが「ふんつくろい」と呼ばれていた期間は意外に長い（江戸中後期～昭和）が、江戸末期に登場し明治に隆盛を極める事となる「焼継ぎ」もまた「ふんつくろい」と呼ばれているため、この辺りの見極めは非常に難しい。明治、大正は概ね陶磁器の修理全般を「ふんつくろい」という言葉で認識していたと思われる。<br />なお、焼継ぎについては、いろいろと興味深い事が他にも結構たくさん分かったので、それについてはまた別な機会にでも書こうと思う。 -- Posted by 猫田に小判 〔2942文字〕 No.117 ]]></description>
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	<pubDate>Fri, 07 Nov 2025 13:26:55 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 『侘び寂び』と『茶の湯』を分かりやすく説明するという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 『侘び寂び』と『茶の湯』を分かりやすく説明するという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <br /><br />侘び寂びはコミュニテFMの出演のために調べていたわけではないのだが、たまたま話の流れで考えていた事を喋ることになり結果的にラジオが先出しになった。<a class="url labeledlink" href="https://www.miyaradi.com/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">ミヤラジ</a> では急に話すことになったので纏まりに欠けていた感じがするから、改めてブログに整理して書いておこうと思う。<br /><br />まず侘び茶で出てくる『侘び寂び』とは何なのか。パーソナリティ鵜飼さんも、侘び寂びはふわっとしたものとしか考えてなかったので、侘びと寂びの違いについて考えていなかったとの事。恐らく江戸時代以降の日本人は同じ認識だろうし、私自身も調べる前は大した違いを認識していなかったので、明確に言葉にすることは難しいと思う。<br />しかし、『茶話指月集』『長闇堂記』『山上宗二記』『松屋会記』などの利休に関する江戸時代の書物（実際には弟子や孫が語るという感じなのだが、利休は不立文字（本当の事は文字には出来ないという事。人が確認した時点で粒子の挙動は変わってしまうという量子力学に通じる）を徹底していたので又聞きが主体になってしまうのは仕方がない）を読んでみると、そこには明確な違いを読み取ることが出来る。<br /><br />「侘び寂び」と一括りの単語として用いることが多いので、侘びが先、寂びが後という感じがするが、実際のところは「寂び」が先行する。<br /><br />「寂び」とは、自然の中で偶然に生じた実景から得られるエモーショナルな感覚の事を言う。<br />「寂れる」という言葉からも分かるように元来は物事が自分の予想する方へ向かわないネガティブな事象に対する用語だが、それを「無情で趣深い」とポジティブに捉えたのが、藤原俊成、藤原定家など平安時代の貴族である。そのルーツとして紹介されるのが<br />「見渡せば 花も紅葉も無かりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ（周りに綺麗だなぁと思う物が何も無い 浜に粗末な小屋があるだけの秋の夕暮れだよ）」<br />という和歌。今の日本人で言えば、演歌を聞いた時の感覚に近いのではないかと思う。<br />ちなみに「寂び」と名詞で使用するのは江戸中期の松尾芭蕉などからで、それまでは寂びた情景という使い方は有るが寂びという独立した感性ではなかったらしい。<br /><br />「侘び」というのは、寂びた情景を自分の周りに積極的に構築しようとする能動的事象を伴った感性を言う。<br />侘びもまた平安時代には生まれていて、元来は、自分の思い通りにならない事を悲しむネガティブな用語だ。万葉集には男女が会えない事の悲しみとして侘びは多く登場する。柿本人麻呂の和歌<br />「草枕 旅にしあれば侘びしくも 恋しきものか妹を思わねば（旅の途中で悲しくなってしまったよ、会えない恋人の事を思い出したものだから）」<br />は、侘びをよく表すとして紹介される。万葉集は益荒男振り手弱女振りの世界だから愛しい者が居ない寂しさのストレートな物言いで分かりやすい。<br />そして、この会えない時間、つまり大切なものが物理的に存在していないという事をポジティブに捉えてみようとしたのが茶の湯における「侘び」だ。何かが足りないという点において侘びは寂びと共通するが、侘びの場合は、寂びの情景を自らの周りに構築し続けるという積極性が加わり、自らもそうした寂びた自然と共通であるという認識を必要とする。それを実践したのが「侘び茶」であり、そのための下地となる思想が「禅の教え」という哲学だ。なので侘び茶には「茶禅一味（茶を飲むことと禅の修行は同じである）」という言葉を用いる。<br /><br />さて、侘び茶の成立に代表される人物として登場するのが「村田珠光（むらたじゅこう）」「武野紹鴎（たけのじょうおう）」「千利休（せんのりきゅう）」の3人である。<br />よく見る解説は、銀閣寺で有名な8代将軍の足利義政によって見出され、「和漢のさかいを紛らかす（和漢折衷）」という侘び茶の元を作ったのが村田珠光。その侘び茶に用いる道具を工夫し「侘び数奇」として進化させたのが武野紹鴎。それらを整理して完成させたのが千利休。という順番。<br /><br />とても分かりやすい並びになっていると思うが、そうした解説を見比べていて、ある時「あぁ、そういうことか」と気付いたのが、これって現代のスマホの成立過程とよく似ているという事。現代日本人の多くにはしっくりとくる例えではないかと思っている。<br />室町時代中期における茶の湯は、唐（中国）の手順や道具を用いており、それを理解することは難解であり、唐物（道具）は高価で貴重だった。だから茶の湯は貴族や将軍といった特権階級だけが扱える代物だった。<br /><br />この状況を例えば、こう考えてみる。<br /><br />外国からコンピュータというものが日本にやってきた。当時のコンピュータは非常に大型で取り回しが難しく高額だった。何より操作はすべて外国語を正確に記述できないといけない。よほど頭の良い人でなければ使えない。そこで、もう少し日本人が使いやすく出来ないものかと足利義政は考えた。<br />一方、村田珠光という人間は予てから外国製コンピュータに国産OSを乗せて動かすことが出来ないかと密かに考えていた。<br />その２つの考えは、偶然にも能阿弥という足利義政の配下の人間によって取り持たれることとなる。<br />謁見することとなった村田珠光は、足利義政にこう説明する「このコンピュータに禅言語を使った『侘び』というカーネル（OSの核となるプログラム）を用いた国産OSを入れる事が出来ます。表記は日本語化させる（和漢のさかいを紛らかす）から今までよりもずっと分かりやすく、多くの人が使う事が出来ます。私が国産OSを開発してみせましょう。」と。<br />こうして日本初の国産『侘びOS』を乗せたパーソナルコンピュータ（四畳半の茶室）が誕生する。<br /><br />『侘びOS』は日本人に最適化したOSで、非常に分かりやすく動作した。しかし、OSは日本語化しているが、使用するアプリケーション（茶道具）の多くが日本語に対応していなかった。OSはよく出来ているが、まだまだアプリケーション開発のノウハウやプログラマーが不足していた。<br />アプリケーションも自分たちで作れればもっと使いやすいだろうと考える『侘びOS』愛用者に武野紹鴎という人がいた。そこで武野紹鴎は、各地を周りアプリケーションになりそうなものを買い集め、組み合わせていった。<br />やがて国産OS『侘びOS』で動作するアプリケーションが徐々に生まれていくことになる。<br /><br />武野紹鴎のこうした動きと時を同じくして、村田珠光の『侘びOS』を愛用し、茶の湯に参入を試みていた若いエンジニアであり起業家に千利休が居た。<br />彼は思っていた。茶の湯は面白い。だが、この面白さを理解するには、まだまだパソコンは大きくて専門的過ぎる。もっと家電のような感覚で使えるよう改良が必要なはずだ。そのためには『侘びOS』の小型化が必要に違いない。村田珠光のカーネルを利用して、もっと小型に特化したOSを作れないだろうか。<br />そして、千利休は侘びOSを小型化した『侘び茶OS』を作り上げ、侘び茶OSを動かすためのデバイス（三畳、二畳、一畳の茶室）を構築し、更に侘び茶OSに合わせた国産アプリケーションの小型化や『楽（当時は楽という名称はなく今焼と言った）』『竹花入』などの新種開発にも着手し、アプリケーションの手順書も考えた。<br /><br />この開発によって、茶の湯人口は一気に増大し、優秀なプログラマーも生まれていく事となる。<br /><br />しかし、一つだけ不幸だったことがある。それは千利休が優秀過ぎたという事。<br />そのため、利休以後に生まれたプログラマーは、侘び茶OSを超えるOSを開発することが出来ず、アプリケーション開発にのみ専念した。<br />しかも、アプリケーションの乱立によってバッティングが発生したり、中にはOSに不正な書き込みをしてデバイスを起動不可能にするものも出てきてしまった。<br />それが江戸時代になって拡大する流派乱立、茶の湯の遊芸化だ。当時の出版本には、侘び茶OSの仕様を守ってアプリケーションは開発すべきという忠告も見られるが、そうそう上手くいかないのは人の世の常である。侘び茶OSを開発した千利休の流れを持つ流派もまた、アプリケーションを書き換える中で当初の目的を薄めていく部分も少なくない。<br />ちなみに、金継ぎ（漆直し金蒔絵）という直しは、こうした体流の中の末席で生まれたものではないかと個人的には考えている。<br /><br />今後、新たな国産OSは生まれるのか、それともアプリケーションが少しずつOSを書き換えていくことになるのか。<br />なかなかに興味深い事ではないかと思っている。 -- Posted by 猫田に小判 〔3520文字〕 No.116 ]]></description>
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	<pubDate>Sun, 21 Sep 2025 09:54:41 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 侘び寂びと金継ぎはどう関係してきたのか？という話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 侘び寂びと金継ぎはどう関係してきたのか？という話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <br /><br />noteの金継ぎ解説を一区切り付けたので、その後の暇つぶしで侘び寂びについて掘っている。<br />そこで気付いたのは、侘び茶が当時の外国被れに対するカウンターカルチャーだったのは間違いないとして、その起こりとなった精神的な部分は平安時代の国風文化なんだろうなぁという事。<br />無論、国風文化は貴族の文化だから、市井の民の暮らしぶりとは真逆な優雅さはあるわけだが、古文書に残る平安の言葉の概念と見比べると、思想的にはとてもよく似ている。国風文化から生まれた自然観に幾ばくかの切なさを含め、それを美と判断するセンスを室町後期では「寂びる」と表現したらしいが、敢えて「佗び（侘び）茶」という用語を選んだ辺りに、これはリスペクトであって真似ではないからな、そこんとこヨロシクという茶人の気骨を感じたりはする。だから寂び茶ではないのだろう。<br /><br />ちなみに現在、寂びは時間的な物憂げにある美、侘びは物質的な物憂げにある美とAIは解説したりするのだが、言語の変遷から定義すると、自然の中に発生する物憂げを見付ける審美眼が『寂び』、自らの生活スタイル（＝人生）で物憂げを肯定的に実践するのが『侘び』なんだそうな。自分の立ち位置とか心のベクトルが違うというのは意外と認知されていない。<br /><br />それと、あぁやっぱりそうなのか面白いなぁと思ったのは、侘び茶の考え方は時代によって表現方法の変遷があるということ。根底は同じなのだろうが、茶の真髄に侘び寂びという言葉を象徴的に使用するようになったのは利休死後1世紀の江戸初期（このとき制作された記念創作本が、茶道の話でよく出てくる『南方録』）と、それからずっと後の昭和における国文学研究との関連で登場。第二次世界大戦前は寂びが重要視され、大戦後は侘びが重要視されることとなり、そして、侘び寂びとして周知されたのは戦後って話。それ以外の時代は和敬静寂や簡素、質素などの言葉が多く使われている。和敬静寂は利休が自分から言ったという話になっているらしいから、そのまま和敬静寂を使えば良いような気もするけど、もうちょっとミステリアスでキャッチーな名詞が欲しかったのかね。<br /><br />それで、ずっと疑問だった、金継ぎは本当に侘び寂び発祥なのか？という点も何となく解決した。<br />そもそも、利休は秀吉と黄金茶室で喧嘩をしたり、金色を茶室で使う事自体を快く思っていなかったという伝書は多く、金襴の表具は愚か者の目を驚かすだけの痴人脅しとか言っているし、江戸時代に入るまで直しの記述や茶道具は有っても金が蒔かれた様子は無く、直しに「漆を以て之を補う 金粉を粘す（粘りつかせる）」という表現が登場するのは喜田川守貞の著『<a class="url labeledlink" href="https://dl.ndl.go.jp/pid/2592395/1/12" rel="noopener noreferrer" target="_blank">守貞謾稿</a> 』巻六の焼継ぎの説明中で、守貞漫稿の製作は江戸後期。つまり江戸中期に小規模で行われていた可能性はあるが、記述として残される程度に認知されたのは江戸後期になってからと思われる（ただし金継ぎや金繕いという名称はまだ登場していない）が、どう考えても侘び茶の発生と同時期ほど古くはない。<br />そこで先の話に出てくる「侘び寂びが茶の理念になるのは昭和まで確定しなかった」のくだり。それで合点が行った。やはり金継ぎは侘び茶と同時に発祥したのではなく、江戸になってから侘び茶が取り込んだのだろうな、と。<br /><br />ところで、発祥から通底されてきた質素清貧を旨とする佗び茶の世界観に、なぜ贅沢の極みとも言える金や銀を取り入れる事が出来たのか？それには、茶道具に金色が用いられることとなった歴史の転換点が関係するのかもしれない。<br />ここからは私の想像だが、恐らく小堀遠州の武家茶道『綺麗さび』の思想や、金森宗和を元とする公家茶が、それに大きく関わる。<br />利休・織部による室町時代の草庵式の佗び茶から、江戸文化（あえて言えば、貴族文化、武家文化、中国文化、南蛮文化など多様な文化の統合体）も取り込むことで考案された書院式の武家茶道が遠州流の綺麗さびだ。織部の侘び茶は堅苦しすぎると言い、佗び茶には無かった「華やかさ」という新たな軸を作り、それを肯定したのが綺麗さび（なお、当時は茶道の象徴的用語ではなく道具に対する形容として用いられており、遠州の象徴として固定されるのは昭和に入ってから）。一方、宗和流の始祖である金森宗和は、京焼の野々村仁清を重用した茶人であり、小堀遠州とも親交を持つ。公家との交友は深く、茶碗にも金彩の模様が用いられるようになった。そして、遠州は徳川将軍家の茶道指南役である。<br />こうしたネットワークの中から、金粉を粘した直しもまた茶道における寂びに含まれるというお墨付きが広まることとなったのではないかと思う。これを起点として江戸や堺の侘数寄者が直しに金継ぎを導入するようになり、後に千家も金継ぎを認めることとなる。そんな流れがあったのではないだろうか。<br /><br />金継ぎは侘び寂びではなく、江戸文化を取り込んだ綺麗さびのネットワークを発祥とする、と考えるといろいろと納得もできるような感じがする。 -- Posted by 猫田に小判 〔2092文字〕 No.115 ]]></description>
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	<pubDate>Thu, 21 Aug 2025 13:56:49 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 文化的充実とは何か、という話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 文化的充実とは何か、という話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <br /><br />note『案外 書かれない金継ぎの話』のネタが切れたので一段落ということにした話を前回書いて、最後のところでChatGPTで見やすい図解を作って差し替えるのはやりたいと言っていたのだが、予想より早く差し替えが完了した。無料だと画像生成は1日3回しかチャレンジが認められていないので、こりゃぁ先は長いだろうと思っていたが、プロンプトの指定をかなり細かくやっておくと大体1～2日、つまり6回あれば概ねこちらの意図を汲み取った事をやってくれるというのが分かり、殆どは6回掛からずに出来たので2週間くらいで元絵は出来上がって、そこから<a class="url labeledlink" href="https://www.photopea.com/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">フォトピー</a> で少しフォトレタッチなどでChatGPTの生成画像の不足分を補ったりして、これなら少なくとも手書き絵を貼っておくよりは良かろうというレベルになったのでOKにした。<br />で、図解の差し替えだけで十分だろうと思っていたのだが、図解に合わせて文章も少し修正が必要だったり、3、4年前の不勉強ゆえに間違えている部分もあったりして、結局、本で言うところの重版みたいな感じで割とあちこち推敲もやった。<br /><br />改めて自分が書いたnoteを読み直していて思い出したのが、自分が何故、修理することに拘っているのかという原点だった。<br /><br />店を始めたきっかけは、当時、実用陶磁器の直しをやっている人間が殆ど居なかったからというのは以前に書いた通りなのだが、栃木に帰って陶器の修理屋をやろうと決めた根っこの部分って、そういえば、文化の充実性みたいなものに気付いたからだった。<br />資本主義において社会の充実は、物質の『量』と『進歩』が最優先される。要するに、物がたくさん有り、そのたくさん有るものが常にブラッシュアップされていく状態を充実と認識する。しかし、本当にそうなのか？充実とは一方向に進むことなのか？その結果、大量生産と大量消費が加速し物を直せなくなっている事にも気付かないのは、むしろ退化ではないのか、と。本来は、作ったら使い続けることが大切で、使い続けるにはメンテナンスが不可欠なわけで、要するに『作る事と直す事』の両立があって物作りはバランスが取れた自然な状態であると言えるのではないだろうか。このバランスが取れていることが文化的充実なのではないかと思ったわけである。<br />そのためには、修理保証もなく生産され続けている陶磁器の直しの確立が不可欠だ。単に形が整っただけの一過性の作業ではなく、メンテナンスし続けられるだけの理論的で体系的な直しを考えなければいけない。そんな気持ちがあった。<br /><br />今の金継ぎブームを見ていると、どうも自分とは馴染まないと常々感じていたのだが、その根本原因は、ブームの金継ぎが『一点物』や投機的『アート』という生産方向だけに肥大している（というか、それしか考えていない）からなのだろう。見た目は直しだが、その実は『映え』でしかない。<br />もっと言ってしまえば、自分なら壊れた器をもっとブラッシュアップできるんだぜとか、何なら器よりも目立ちたいという既存の器に対する無意識な見下しというか、それまで使われてきた器が持つ時間や関係を目新しさだけで蔑ろにしている感じというか、要するに壊れた器をキャンバスや遊具にしか考えていない感じが、どうにもやりきれない。器の色は金のための下地ではなく、世に出せると器の創り手が判断した色の完成形であり、買い手が気に入って選び、使い続けてきたという歴史だ。その部分が完全に抜け落ちて、金色の新しいものを作ることにしか目が向いていない。<br />文化のバランスとして考えた場合にも、明らかにブームの金継ぎはバランスが悪い。金継ぎという名の消費が進んだだけな気がする。<br /><br />だが、もう、この流れは私一人が何かを言ったところでどうしようもないと思う。それくらい歪んだ構造の金継ぎっぽいものはメジャーになりすぎた。<br />だから、私はnoteを書く時、無意識に、ことさら修理に拘ったのだろう。そして、この考え方は今のブームの金継ぎをやっている人間には絶対に届かないとも思う。<br />それでもかまわぬ。noteの金継ぎ解説は、今のブームのために書いているのではない。ブームが去った後、100年後の修理屋のために書き残しておくことにする。映えは100年以内に詰むと思う。その時、どこかの修理屋がnoteの文章を見つけてくれれば、それが一番良いような気がしている。 -- Posted by 猫田に小判 〔1837文字〕 No.114 ]]></description>
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	<pubDate>Tue, 12 Aug 2025 17:36:55 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ noteを一段落させたという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ noteを一段落させたという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%99%b6%e7%a3%81%e5%99%a8%e4%bf%ae%e7%90%86" class="taglink" title="陶磁器修理">#陶磁器修理</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <br /><br />話をしたり書いたりする時、私は出来るだけ同じ切り口やネタは使わないようにしている。とはいえ、私の脳のキャパを考えれば無尽蔵にいろいろな視点や情報を持てるわけもないので、同じ話を使い回さなければいけないことは致し方がない。<br /><br />金継ぎの修理店をやって20年（金継ぎ自体はもっと長いけど）、その間に調べたり解決してきた知識も出し尽くし、noteに書く内容がダブってきている感じがするなぁと思っていたのと、金継ぎを始めた頃からず～っと気になっていた漆の酵素や、乾かす時の湿度の働きについての解説が割と見つけにくいという事の一応の取っ掛かりみたいなものは書けただろいうという気持ちもあり、自分の中でのみ、この辺でnoteでの解説を一段落つけることにした。とりあえず金継ぎについて後世への楔は打てたような気はしている。<br />店を始めてから直した器の総数は3500点を超えることもあり、いろいろな種類のものを直し、個々の直しについての細かいノウハウみたいなものはまだ書けると思うが、あまり細かいところを書くのはマニアック過ぎて話が難しくなるし、何より器とはいえ個人情報に触れる部分も出てしまうかもしれないので、それは私の文章を書くポリシーに反する。<br /><br />もし何年か仕事を続けることが出来て、それまでに疑問が出たり調べたりすることがあったら、忘れた頃に何か書くかもしれないので、最終回めいたことは何一つ書いていない。まぁ、そんな区切りの付け方があってもいいかなと思っている。<br /><br />それと、前回の記事の時、ChatGPTに自分が手書きした下書きを読み込ませて、いろいろ指示を出してお願いすると、かなり綺麗に清書して図解として使えるレベルのものを作ってくれることが分かったので、今まで書いた解説で図があった方が理解がしやすそうだと思ったところには、少しずつAIで清書した図解を付けていく作業はやろうと思っている。ただChatGPTは無料だと24時間で3枚しかお願い出来ず、再指定でやり直しさせても1カウント取るので、意外に進まない。まぁ、あまり読む人はいないから地道にやっても何か言われることはないと思うんだけども。 -- Posted by 猫田に小判 〔932文字〕 No.113 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Wed, 16 Jul 2025 13:56:11 +0900</pubDate>
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<item>
	<title><![CDATA[ 今の金継ぎの「不完全美」は不自然だろうという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 今の金継ぎの「不完全美」は不自然だろうという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%99%b6%e8%8a%b8" class="taglink" title="陶芸">#陶芸</a> <br /><br />金継ぎがブームになってから、やたらと持ち上げられるようになった不完全美。<br />利休が説いた茶の湯の精神『詫び』が不完全美を包括していることに間違いはないのだが、果たして金継ぎが不完全美を表しているかというと、これはかなり疑問視する必要があると個人的には考えている。<br /><br />少なくとも伝世品を見る限りにおいて、物を直すという習慣はあったにせよ、茶道具を漆で直し金や銀の加色までするという概念が当初から在ったのかは甚だ疑問である。<br />利休が所持していたと言われる伝世品の茶道具にはヒビのあるものが幾つかある。<br />「<a class="url labeledlink" href="https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=G5307" rel="noopener noreferrer" target="_blank">一重口水指 柴庵</a> 」<br />「<a class="url labeledlink" href="https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/540901" rel="noopener noreferrer" target="_blank">竹一重切花入 園城寺</a> 」<br />「<a class="url labeledlink" href="https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=SAMB1052" rel="noopener noreferrer" target="_blank">青磁鯱耳花入 砧花入</a> 」<br />「<a class="url labeledlink" href="https://fujita-museum.or.jp/topics/2020/06/12/970/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">古芦屋 春日野釜</a> 」<br />上記のうち、砧花入と春日野釜については鋦瓷(鎹（かすがい）による直し)を行っているが、加色などは行ってはいない。<br />また現存はしていないが、利休が初期の茶会で使ったと言われる「善好香炉」は、茶会記『松屋会記』に「ヒヽキ大小アリ」つまり大小の亀裂が生じていたと記録されている。<br /><br />利休の弟子とされる古田織部もまたヒビの入った伝世品があり、中でも有名なものが<br />「<a class="url labeledlink" href="https://www.gotoh-museum.or.jp/2020/10/07/02-094/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">古伊賀水指 破袋</a> 」<br />である。今後、これほどのものは出てこないだろうと書き置きしたという。<br /><br />また、古田織部に師事したとされる本阿弥光悦の楽茶碗には、特に制作途中で生じたヒビ（裂）のあるものが多く、陶芸家の加藤唐九郎はヒビの無い茶碗は光悦ではないとまで言っており、光悦が破袋を一つの完成形として見ていたであろうことは想像に難くない。<br />「<a class="url labeledlink" href="https://www.hatakeyama-museum.org/collection/teaset/000033.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">赤楽茶碗 雪峯</a> 」<br />「<a class="url labeledlink" href="https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/197863" rel="noopener noreferrer" target="_blank">楽焼黒茶碗 雨雲</a> 」<br />「<a class="url labeledlink" href="https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158938" rel="noopener noreferrer" target="_blank">黒楽茶碗 時雨</a> 」<br />「<a class="url labeledlink" href="https://turuta.jp/story/archives/6801" rel="noopener noreferrer" target="_blank">赤楽茶碗 乙御前</a> 」<br />「<a class="url labeledlink" href="https://www.miho.jp/booth/html/artcon/00000948.htm" rel="noopener noreferrer" target="_blank">赤楽茶碗 太郎坊</a> 」<br />雪峯は今や金継ぎの代名詞にもなっているが、本来は腰落ちによって生じた縦裂が元からあったヒビで、後に破損した際、縦裂にも金が塗られることになったわけでオリジナルの雪峯は最初から金が加色されてはいないだろう。（そもそも銘が雪峯なわけだし）<br /><br />これらの伝世品を見て分かるのは、ヒビそのものが茶器の「詫び」であり、直す事が必ずしも美徳となるわけではないという視点があるのではないかという事だ。<br />花入の円城寺には、水漏れする掛花入を床の間に飾るのは如何なものかと言われた利休が「水漏れすることがこの花入の良さだ（個性だ）」と返したというエピソードがあり、直さない事で詫びの境地を示すことも出来るという利休の考えをよく表しているのではないかと個人的には思ったりする。<br /><br />つまり、利休から始まる『詫び』が内包する不完全美とは茶器が持つヒビそのものの、もっと言えば茶席に現れるヒビそのものであり、ヒビを不自然に加色することはむしろ詫びから離れることになるのではないだろうか。<br />今の金継ぎブームは、殊更に組み立てる事や金などの加色を入れる事に意味があるとして、詫びだ不完全美だと声高に主張する傾向が強い。ブームの金継ぎは、どうにもビジネス的な物語臭が強く、本来の詫びをむしろ愚弄していると言ってもいいくらいではないかとさえ思ってしまう。<br />金色が美しいのではなく、それ以前から美しさというのは既に存在している。それが詫びの持つ不完全美の本来の意味なのではないだろうか。<br /><br />そして、これは完全に個人的見解なのだが、仮に金継ぎを不完全美として組み入れようとするなら、それは名器が持つヒビ（裂）の見立てという約束事の上で成立することが出来るものなのかもしれない。 -- Posted by 猫田に小判 〔1464文字〕 No.112 ]]></description>
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	<pubDate>Mon, 14 Apr 2025 20:04:47 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 金継ぎは修理痕を目立たせるためにやるのではないという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 金継ぎは修理痕を目立たせるためにやるのではないという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <br /><br />セラピー方面でおそらく火が付いて、すっかり定着してしまった感のある「金継ぎは壊れた事を受け入れるために、わざと修理箇所を目立たせている」という文言がある。<br />金継ぎした物を見てそこから何かを発想するという思考実験は美術鑑賞の基本だから、その考え方自体を否定する気は全く無いのだが、セラピー金継ぎで問題となるのは、自分が物を見て感じた一つの可能性という事を完全に無視して（というか意図的に隠して）、金継ぎが歴史的にそういう思想を元に行われ続けてきたと提示したことにある。<br />セラピーは基本的に心が弱っている人間、言い換えれば思考を巡らせるという能力が低下して藁をも掴みたい状態の人間を対象として行われる。そこに漬け込んで、有りもしない金継ぎの歴史で洗脳させるから、器を破壊することに躊躇が無くなったり、金色をダシにして法外な値段をふっかけられていることに気付かなくなったりする。更に酷いと金継ぎの技法を教える側の人間までが何の考えもなくセラピーの文言をワークショップの宣伝に使っていたりする。<br /><br />そもそも壊れたことを目立たせるという発想は、目立たせない修理の相対として成立するものなわけだが、漆を使って陶磁器を直すと間違いなく修理箇所は黒ずんで目立つ。漆自体が飴色な上に陶磁器に必ず含まれる鉄と反応するから、顔料を入れても色が黒ずむのは必然だ。<br />つまり昔から漆を使えば目立つという事が周知されており、だから基本的に完品よりも格下の道具というランク付けがされていた。そこから敢えて目立たせるという思考が生まれたりすることはない。目立たせるための直しという発想は、透明な合成接着剤で付けると跡が見えないという事を知っている人間から出てくるものだ。<br /><br />では、金継ぎに金蒔絵が導入されたのは、なぜか。金はあくまでも黒ずみを隠すための「虚飾」「見栄え」としての遊び心に過ぎない。<br />茶を飲む時に使える耐水耐熱性の修理剤として漆が用いられ、最初は修理箇所を気にしながら使っていたものが、江戸の文化が隆盛になる辺りで天才的な発想をする人間あるいは洒落た感覚の粋な人間が金属粉で黒ずみを被覆する蒔絵の手法を導入したのだろう（ちなみに江戸時代に金継ぎという言葉はまだ生まれていなかったようなので、金継ぎというジャンルとして成立したのはもっと後世の可能性もある）。つまり金色は目立たせるためではなく上手い隠し方が本意だと言って良い。そして、虚飾であった金属色には、後に「景色」という役割（約束事）が与えられたことで、やっと道具としての居場所を確保できるようになった。たぶんそんな経緯で金継ぎは認知されたのではないかと思う。<br /><br />だから、金継ぎされた物を見ていろいろと思考を巡らせるのは大いに結構だが、金継ぎを過度な救いを求める象徴としたり、救われるために平然と物を壊して金色に塗り直すような洗脳装置として使うことは、金継ぎに対する侮辱というか申し訳ないことをしているのではないかと個人的には思っている。 -- Posted by 猫田に小判 〔1279文字〕 No.111 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Thu, 06 Mar 2025 10:58:57 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 金継ぎ哲学の浅さに嫌気がさすという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 金継ぎ哲学の浅さに嫌気がさすという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%99%b6%e7%a3%81%e5%99%a8%e4%bf%ae%e7%90%86" class="taglink" title="陶磁器修理">#陶磁器修理</a> <br /><br />金継ぎパズルが話題らしい。最初に器がバラバラと崩れるビジュアルから始まるので、器を割ることから始めるのは金継ぎの精神に反すると批判する人もいるらしく、それに対し、ゲーム製作者（ポーランドの人）は金継ぎの哲学を理解していると製作意図のコメントを紹介したりと、相変わらず騒ぐの好きだねという感じで見ている。<br />製作者のコメント（日本語訳）を読んでみたが、あぁこの人も金継ぎ神話に騙されたのかと少し気の毒には感じた。<br /><br />誰が金継ぎの哲学とやらを言い始めたのかは知らないが、そんなのが出てきたのはSDGsを企業やメディアが盛り上げたりコロナ禍でインドア趣味に活路を見出すビジネスが増えた辺りの何処かだと思う。店を始めた20年前にはそんな哲学の話など微塵もなかったし、金継ぎの店を始めますと陶器店を回っても1店を除いては話も上の空で聞いているのか聞いていないのか分からない状態。地方新聞や地方ラジオで取り上げられても問合せは数件で、「器にこんなことをされたら困る」と電話口で怒られたこともある。それくらい日本人ですら金継ぎは関心が薄く、どういうものかも分かっていない状態が普通だった。金継ぎ品を見て哲学性を感じる人は皆無と言ってもよく、骨董屋ですら直してあるから値下げしたと言って売るようなものが金継ぎ品だった。<br /><br />2020年辺りを境に金継ぎが急に世間の注目を集めるようになったが、漆を使えば実用レベルで陶器を使い続けることが出来るという先達の発見への尊敬は極薄だったと思う。少なくともツイッターを見ていた限りにおいて、漆芸にかかわる人たちでも金継ぎには「漆芸に関心を持ってもらえる最初のツールにはなる」という見解が殆どで、根源的な直しについての話をしている人は居なかったのではないかという感じがしている。<br />ところが、金継ぎ哲学という尾ビレが付いた途端、あれよあれよという間に金継ぎはサスティナブルだ、SDGsだ、日本人の精神だ、伝統的思想だ、ということになった。ビートルズではないが一夜にしてスターダムに上った感がある。<br /><br />金継ぎ哲学はあまりにも修理直後の派手な見てくれだけに執着していて、いかにも最近知った人が考えた感が拭えない。使い続けるうちに金が剥げてくることや、漆が劣化することついては一切触れない。金継ぎに哲学を加えて物語性を出すことでビジネスにしたアイディアには敬服するが、個人的には金継ぎ哲学とやらは金継ぎをビジネスとして成立させるために必要だったというだけで、別に日本人の精神だとは思わない。<br />金継ぎにあるのは哲学というよりも、良くも悪くも「日本人の貧乏根性」ではないかと思う。良く言えばワンガリマータイ的な「勿体ない」とか茶の湯的には「わび」ということになるわけだが、要するに「明日の事なんて分からんけど、出来るだけのことはやっとくかな、知らんけど。」という程度がせいぜい金継ぎの持てる精一杯じゃないかと私は思っている。それ以上の、言葉を費やした美学や哲学は金継ぎの蒔絵の金と同じで加飾に過ぎない。多少の洒落っ気や味にはなるが別に崇高な精神性ではない。というか、そこを抑えておかないと、今ですら金継ぎは十分に歴史改ざんの憂き目に逢ったり、セラピーというお題目のもとに金継ぎという名で大量消費が行われているというのに、さらに金継ぎはどんどん取り返しがつかないレベルで曲解された挙げ句に見捨てられて終わってしまうような感じがしている。<br />誰かが考えた話に感動するのは自由だが、それは金継ぎのコンセプトとして組み込まれていたわけではなく、ビジネスの中から生まれたファンタジーだというのを理解して感動しないといけない。<br />金継ぎの認識が変わっていくのも時の流れだと言って切る捨てるのは簡単だが、出来ればもっと自然に見て、感じて、修理品と地味に長く付き合っていくようなものが金継ぎてあってほしいという一縷の望みを持っている。 -- Posted by 猫田に小判 〔1650文字〕 No.110 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Wed, 26 Feb 2025 09:33:30 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 飛蚊症がひどいという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 飛蚊症がひどいという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <br /><br />元々、飛蚊症になりやすいというか飛蚊が気になるタイプの人間ではあるので、以前に両目の散瞳検査をして一時的に眼鏡をしても視力が0.01程度になった時に日本の街は文字や記号で人の行動を示唆していることに気付いたという話は書いたはず（もしかしたら消えてしまった旧館の方だったかもしれない）。<br />その後も、ちょいちょい飛蚊症になってはいても翌日には消えるのであまり気にしなかったのだが、今年に入ってから眼鏡を拭いても何となく汚れが気になるなぁと思っていたら、少し前から左目にかなりデカい飛蚊が出て何日か待っても全く消えず。普通、飛蚊は視界の中をウロウロと動き回る小さい紐みたいな感じなのだが、今回は綿埃みたいに塊になっていて、視界中央に位置して画像がモヤっとしてしまいパソコンの画面や漆の細い線がよく見えない。たまたま顕微鏡を見た時にレンズを拭いても消えない皮膚組織の欠片みたいなものがずっと見えるので、あぁこれが眼球の中にあるから飛蚊が酷いのかもしれないと気付き、仕方がないので眼科へ行くことにした。<br /><br />視力検査や散瞳検査をして（今の散瞳検査は目薬を差して瞳孔を開いた後に、ガラスのレンズを眼球に押し当てず高解像度のデジタル写真で解析できるのね。ガラスを眼球に押し当てられるの苦手だったから良かったよ。技術の進歩って凄いわね。）、医者曰く、老化で硝子体が縮小してきていて、その影響で焦点近くに黒い影が出ているからこれが原因だろうと。老化による硝子体の縮小は自然な事で、もう少し縮んだら焦点から影が移動するので気にならなくなるだろうという話。対処法は無いので、一応、1か月後に再検査するということで終了。<br /><br />まぁ原因が分かったのは良いのだが、毎日、起きると目の前に黒いのがフラフラ居て、視界を遮っているのでテンションダダ下がりである。私は幽霊が見えたりする人間ではないのだが、たぶん幽霊が見えるっていうのはこういう感覚なのかもしれないと思ったりする。他人に説明は出来ても見せられないわけだからね。<br />完全に視界が見えないわけではなく、左目だけモヤっとしていて右目の視界は良好なので、脳で像を結実させれば何とか普段の生活は出来るが、一点を集中して見なければいけない状況（仕事の時とか万年筆で文字を書く時とか）だと、これが意外とストレスが溜まる。右目だけで見ればはっきりとした視界にはなるが片目なので距離感が掴めない。器の内側に線を引くのがとにかく難しい。器の内側に線を引く時のキモは距離感の認識なのかと初めて知った。<br /><br />それにしても、いつになったらこの綿埃野郎は気にならなくなるのか。ギックリ腰とか痛風とか飛蚊症とか今年は結構、体にくるガタの程度が大きい。年寄りの体の話は詰まらないのが相場なので余り書きたくないわけだが、視界に関してはストレス大きいので言わずにいられなかった。ごめんなさい。 -- Posted by 猫田に小判 〔1211文字〕 No.109 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Sat, 08 Feb 2025 10:47:57 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 年末年始で勉強したという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 年末年始で勉強したという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <br /><br />正直、私は頭が悪い。どれくらい頭が悪いかというと中学で1年浪人し、やっとのことで高校に入った経歴を持つ程度には悪い。<br />なので当然、高校でも成績は悪く、授業でも全く理解出来ずに喋っていたので外を走ってろと言われて結構な時間を外で過ごした記憶がある。<br /><br />そんなわけで高校のテストの点は赤点を連発していたが、何故か大学で講義を聴いたり陶芸の本を読むのは好きだった。（美大なので講義内容が好きに選択出来たことは大きいと思う。）だから陶芸に関する鉱物学や化学式はそこそこ分かるようになった。<br />そんな状態で金継ぎ屋を始めたので、漆についての座学的な知識は今にして思えば皆無と言っても良い状態が長かったと断言しても良いだろう。経験則だけが武器だったようなものである。もっとも、あの頃はネットを見ても漆の情報なんて無かったし、田舎の本屋では書籍も見つからなかったから経験則しか武器が無いのも仕方がなかったのかもしれないが。とにかく20年を掛けて、やっとおぼろげに漆の少し専門的な話を理解出来る程度にはなったわけである。<br /><br />で、最近、金継ぎの漆の質問をされたり、年末年始が無茶苦茶暇だったこともあって、もう一度高校の有機化学を勉強し直そうという気になった。<br />別に受験をするわけではないので、テストの問題が解ける必要は無い。漆についての論文をもう少し理解出来る知識がほしいということで、ネットのサイトを読んだりYoutubeの高校の基礎化学の動画を何度も見たりしていた。<br /><br />最初は何を言っているかさっぱり分からなかったが、繰り返し見ていると不思議なもので頭の中で知識が組み上がってくる。学生の頃のように浸み込む事は当然無いので、とにかく何度も見直す必要はあったわけだが、少なくとも高校の頃よりは知識が付いたというか、高校では組み上がらなかったパズルを組み上けることが出来るようになった。<br />しかも、自分でも驚くことに高校の基礎化学が分かると、ちゃんと漆の論文を読んでも8割くらいは理解が出来る。<br />漆の論文は（スペクトル分析の値が云々ってのは理屈は分かっても何となくしか理解出来ていないが、それ以外の骨子については）高校の基礎化学の知識があれば、結構ちゃんと読めるものだということが分かった。基礎化学って基礎というだけあって、やっぱり大切なのね。<br /><br />いくつになっても勉強は出来るという言葉は、こういう事かと今更ながらに五臓六腑に染み渡った。<br />歳を取ってから放送大学とかで学びたいという大人が多いのは、この感覚なのかと若干目から鱗であった。<br /><br />と、そんな事があったので、実は<a class="url labeledlink" href="https://note.com/kintsugi_hontou" rel="noopener noreferrer" target="_blank">noteの金継ぎ解説</a> の漆についての部分は少し加筆訂正をしたりしている。<br />本でも重版の際に修正したりってのがあるけど、まぁ、それと似たようなものだと思う。 -- Posted by 猫田に小判 〔1175文字〕 No.108 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Tue, 14 Jan 2025 13:43:05 +0900</pubDate>
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<item>
	<title><![CDATA[ 時代のどこかで贅沢の逆転は起こるという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 時代のどこかで贅沢の逆転は起こるという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <br /><br />Youtubeを見てたら、お勧めに「【落合陽一×京都】日本文化の可能性と世界発信の戦略を考える。」という動画が出てきたので、面白そうだから見てみた。NewsPicksの呼び込み動画なので、冒頭17分の一番良いところで切れるため、その後の展開は分からないけれども（無料トライアルで見られるらしいが）、最後の部分で非常に興味深い会話があったので、ちょっと文字起こししてみる。最初の２つはゲストの言葉。それを受けてのオーナー落合陽一氏が返すという構成。<br /><br />「サスティナビリティをSDGsっていう海外の解釈を入れたうえで真似るんじゃなくて、日本の文化に根差しながら上手くネットワークを張っていくだけでも、かなり魅力的なものになる。」<br />「日本は最先端をやってたし、今もやっているっていうことですよね。」<br /><br />「多分それがね僕は誤解だと思っている。それ単純に言うとね、日本は貧しかっただけなんですよ。人類は適宜 京都の清貧さにね、清貧っていうことは素晴らしいことだって納得してきたっていう失敗があるんです。その失敗をいつも繰り返すんですけど、その源流には古代的なものの中からエッセンスを見付けてきて最先端の発展を作ろうっていう失敗があるんですよ。つまり今やっているのは20年30年40年前も毎回同じ事やってきた話と同じことをまた言われたって感じなの。でね、あれは絶対どこか間違ってる。俺はそれが何故か何か知りたくて今日この場があると思ってて。そこまで達せないとやった意味がない。」<br /><br />で、これを見て急に思い出したのだが、前に、ブログかツイッターで「喫茶店でノートを開いて万年筆で文字を書くのは贅沢な時間だ。しかし元々はペンで文字を書くのが当たり前で、パソコンやスマホで文字を打つことは贅沢だったはずが、いつかどこかで逆転し、文字を打つことが当たり前で、文字を書く事の方が贅沢になった。文字を書くことが贅沢になったのはいつからだろう」という類のことを言ったな、という事。文字数的にはツイッターかもしれない。<br /><br />金継ぎブームが来る前に書いたと思うんだけど、金継ぎに物語性を持たせてブームとして広まった根本は、恐らく、この贅沢の転換によるものなのだろう。<br />本来、物を直して使うというのは、選択肢の無い状態の中で生活を継続するための唯一の手段であって、要するに貧しいからやらざるを得ないという側面がほぼ全てと言っても良い。新たに物を求める事、買うことは贅沢であり、物を直すのは貧しさの継続に相違ない。江戸の焼き継ぎなんていうのは、貧しさ故の工夫そのものだ。<br />ただし極一部の数寄者だけが、茶席における直しに対して贅沢という感覚を持っていた。だから漆を使う。<br /><br />消費社会が少しずつ生活習慣として溶け込んでくると、庶民感覚の直しという行動は、買い直しへと転化する。直すという貧しい生活イメージからの逃避というよりは、時間の価値が高くなることで直す時間の消費を嫌ったということが大きいのかもしれない。しかし、更に消費が進んで身の回りから直す事が消え、直しに付随していた貧しさも忘れさられて直しそのものが希少性を持ち始めると、直しは贅沢の象徴として立ち上がってくるようになる。ここへ来て、直すことは貧しく、新しいものを買うことは贅沢、という価値観が完全に逆転する。<br />金継ぎブームが起こったのは、恐らく、そういうことがベースになっている。金継ぎは現代における贅沢のイコンという側面の方が大きい。<br /><br />以前にこのブログでも、現代の金継ぎは直すという生活を選択した象徴として機能しているのだろうと書いたことがあるが、もっと分かりやすく言えば贅沢の標榜という事なのだろう。SNSに壊れた器や金継ぎした器を載せるのは、要するに自分の贅沢を確認するということだ。しかも漆ではなく接着剤、金ではなく真鍮粉の直しが多いのは、手っ取り早く贅沢のフラグを立てたいというファスト文化な確認の表れ（ある意味、この辺に貧しさの片鱗が残っていると言えなくもない）で一時的な贅沢の逆転によるものだという事を表していると思う。<br /><br />人類が京都の清貧さを素晴らしいと思うのも、清貧さに贅沢というアイコンを重ね合わせるからなのかもしれない。つまり清貧なのではなく、清貧という贅沢に対するあこがれが、人類にはサイクルとして現れるということなのではないかと思う。それを失敗とするかは直ぐに決まるものではないのかもしれないが、個人的には失敗の割合は大きいと思うので落合氏の考え方と重なるところは大きく、贅沢の逆転が起るという事と逆転の起点を認識しないまま、ずっと同じ価値観が続いていると思い込んでいる事が失敗の繰り返しを誘発するのは間違いないような気がする。贅沢は循環する。その転換点が何故起こったのかを見極めることは結構大切だという事なのだろう。 -- Posted by 猫田に小判 〔2033文字〕 No.107 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Thu, 05 Dec 2024 13:59:39 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 漆が乾くのに湿度が必要な理由って、実は分かってる人少ないんじ… ]]></title>
	<description><![CDATA[ 漆が乾くのに湿度が必要な理由って、実は分かってる人少ないんじゃないか説。という話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <br /><br />金継ぎについて質問を受けたのがきっかけで、そこからウルシオールが酸化して固まるというのを改めて勉強して知識を整理しておかないとアカンかな。と痛感し、ネットで漆関連のサイトを見たり、ネットで見られる範囲の論文を読んだりしていて、漆が固まるのに湿度が必要つまり水蒸気が必要だという見解は共通して登場するものの、では実際に水蒸気がどういった使われ方をしているのかという具体的な話になると殆ど説明されていない感じがしなくね？という事実に気付く。<br /><br />「酵素がウルシオールの酸化に水蒸気を利用している」とか、「水から酸素を取り出して使っている」という説明は見るのだが、では、Ｈ2つとО1つはどのように分解されて、それぞれがどういう経緯で使われたり放出されたりする等の、そういう話が見当たらない。結構、いろいろ見たのだが、カテコールが酵素の脱水素作用で繋がるとか、側鎖とカテコールが繋がるという話は多いのに、そこに水蒸気の水が介在するという話が出てこない。<br /><br />漆は相対湿度が60％を下回ると恐ろしく乾かないというのは事実で、だから冬は漆風呂の管理とか大変なわけだから水蒸気が何かの役に立っていることは間違いない。だが、漆の方向から調べても結論が出ないということで、仕方がないから湿度と酸素の関係から更に検索範囲を広げてサイトをあたっていたところ、湿度が上がると酸素透過が高くなるという話を見付けた。アドレスから元をたどってみた所、三菱ケミカル株式会社が作成しているエチレン-ビニルアルコール共重合樹脂「ソアノール」という樹脂膜に関するサイトで、その中の、物を包む事についての基礎知識の8番の酸素透過係数の湿度依存性というPDFだった。<br /><br />三菱ケミカル株式会社 ガスバリア講座のサイト<br /><a class="url" href="https://www.soarnol.com/jpn/solution/" rel="noopener noreferrer" target="_blank" title="https://www.soarnol.com/jpn/solution/">www.soarnol.com/jpn/solution/</a><br /><br />8番だけ読んでも用語がよく分からないので1番から読み直してみたところ、要するに、ヒドロキシ基（OHのでっぱり）を持つ高分子は、相対湿度が60％を超えると高分子の隙間（穴っぽこ）に侵入した水分子が増えて隙間を広げる。そのため高分子膜は相対湿度が上がると酸素の透過度が高くなる。という事なのだそうだ。<br /><br />そうえいば、水というのは世界最強の濡れ、つまり隙間侵入能力を持っているから、とにかく接着の邪魔になるというのは接着剤の本で読んだことがある。そして、ウルシオールのカテコールはヒドロキシ基を2つ持っていて、そのうちの1つが酵素によって脱水素されて酸化するが、もう1個ヒドロキシ基が残っていれば、漆が乾き始めた時の表面って、ヒドロキシ基を持った高分子の極薄膜って事になるんじゃないのか？それが湿度60％を超えると、水蒸気によって隙間が広がり酸素が透過して、極薄膜の下の酵素が奪った水素と結合し水として放出することが可能になり、酵素が活性化する、と。そんな風に推測する事が出来る。<br /><br />つまり、水蒸気は分解されたり結合に使われているわけじゃなく、耳鼻科で鼻の穴を広げて薬噴霧したりするときに使う医療用の拡張器具みたいなことに使われているという事なのか？！って話。<br /><br />実際のところ、ウルシオールの薄膜がガスバリア講座の高分子膜と同じ扱いに出来るのかは私の頭では限界があって恥ずかしい所よく分からない。こういうのは専門家がお高い機材を使って調べたり、難しい計算をして統計的に妥当な値なのか導き出す必要がある分野なので、市井の金継ぎ屋がどうこう出来る話じゃないから、あくまで推測の域を出ないのだが、水蒸気の使われ方がほとんど見当たらない以上、期待値高めの推論にはなるような感じがする。<br /><br />ちなみに、湿度と高分子の隙間と酸素透過の関連グラフを見ると、相対湿度30％前後が一番低く、酸素が透過しない。ということは、仮に水蒸気が漆膜の隙間に関与しているなら、相対湿度30％辺りで漆を保管すると最も酵素が酸素と結合しにくく適値だという事にもなる。湿度は低ければ低いほど保管に良いということにならないし、グラフ通りだったとしたら湿度0％で漆が乾く可能性も考えられるわけだから、これはこれで結構衝撃的な話になったりしそうな感じもする。<br /><br /><img class="embeddedimage " width="501" height="415" src="http://nekotani.lix.jp/diary2/images/20241119142746-admin.png" alt="20241119142746-admin.png"> -- Posted by 猫田に小判 〔1798文字〕 No.106 ]]></description>
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	<pubDate>Tue, 19 Nov 2024 13:51:23 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 陶磁器の町医者という話の補足 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 陶磁器の町医者という話の補足<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <br /><br />3つ前のログで、当時はあまりにも世の中の金継ぎに対する扱いが酷かったので、田舎に帰ったのを機に陶磁器の町医者みたいになれたら良いなと思って金継ぎ修理屋を始めたという話を書いたが、別に世のため人のためとか、何か役に立ちたいとか、そういう正義感みたいな殊勝な心掛けがあったわけではないというのは付け加えておかないといけないな、と急に気付いたので補足を書くことにした。文章を書いている時は必至だが、改めて読み直してみると何となく偉そうな物言いだった気がする。<br /><br />陶磁器の町医者を目指したのは、あくまで、当時は陶磁器を真剣に直す事を考えていた人が居なそうだったから。つまり、見渡す限り誰もいないブルーオーシャンだったからという事と、ブルーオーシャンなら少なくとも人生退屈しなさそうだなと思ったからであって、それで世の中がどうこうなったり、人類が幸せになるとかは全く考えていなかった。栃木へ帰ってきたのは東京でリストラになり限界を感じたからで、今にして思えば都落ちというか落ち武者気分で結構、いつ死んでもいいかくらいに考えていたように思う。猫田さんが居たから死ぬつもりはなかったけども。<br />だから、金継ぎ修理屋はかなりの見切り発車だったし、今も見切り発車のままなので、金継ぎブームの波には全く乗れていないし、正直、確定申告は毎年還付請求ばかりだ。未来を見据えたりもしていないし、何か大きいことをやってやるみたいな夢も無いので個人事業主で一人で仕事していれば十分だと思っている。<br /><br />まぁ、仕事の目安として、自分にとって「粋」か「無粋（野暮）」かという見極めだけは間違えないようにしたいというのは忘れないようにしているけれど。<br />例えば、元の陶磁器を差し置いて修理箇所が主張すること、元の陶磁器が全く違う物に見えてしまうことは、私にとって無粋。第三者が何と言おうと、器の持ち主が直して良かったと思う以上の事をするのは無粋。自分のイメージ以下の仕上がりは言うまでもなく無粋。そういう感じだ。だからいつも探り探りで不安しかない。<br /><br />あなたにとって金継ぎとは何ですか？というのは、昔はよく聞かれた（今は聞く人がいるほど人付き合いが無いというだけだが）。<br />そういう時は必ずこう言っていた。<br /><br />「自分でも何だかよく分からないんですよ。分からないから今、何となくやれてます。分かったら辛くなると思うので辞め時ってことでしょうね。」 -- Posted by 猫田に小判 〔1030文字〕 No.105 ]]></description>
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	<pubDate>Sun, 20 Oct 2024 19:20:08 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 柿渋は下手物ではないという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 柿渋は下手物ではないという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e6%9f%bf%e6%b8%8b" class="taglink" title="柿渋">#柿渋</a><br /><br />渋い梨をどうすれば食えるか調べているうち、渋柿に含まれるカテキン（渋柿ポリフェノール）に興味が出てきた。<br />だいぶ昔に柿渋を買ってはみたものの強烈な〇ンコ臭で断念したことを思い出したが、今は無臭の柿渋があるということで、またちょっと気になってきて無臭柿渋を買ってみたところ本当に無臭で驚いた。<br />せっかく買ったのでネットで柿渋の使い方を調べていて、もしかしたら陶胎漆器に塗ったら良い感じになったりするのかもしれないと閃く。<br />実は、少し前、試験的に日常使いしていた陶胎漆器の飯椀に米粒が固着していたため水を付けて爪でカリカリやっていたら、表面の漆が素地もろとも剥げるという基材破壊を起こしてしまい、やっぱりもう少し下地から何とかしないと安心して使うのは難しそうだと実感したので、それも兼ねて素焼き素地に柿渋を塗ったらどうかと気付くのは自然な流れであろう。<br /><br />テスト用の素焼き素地はたくさんあるので、柿渋を水で薄めて濃さを変えながら刷毛で塗ってみる。1回塗ってもほとんど吸い込まれてしまい表面に柿渋は残らない。瓶から出した状態の柿渋であれば2回塗ると表面に極薄い塗膜が出来て光沢が出てくるのだが、2倍に希釈すると5，6回塗ってやっと吸い込みは止まってくるが塗膜のような光沢が出ることはない。陶胎漆器の下地に使うなら希釈せず塗る方が良いのかなと思ったが、試しに素地を指で弾いてみたところ音が全く違う。希釈なしの2回塗りは塗っていない素地と似たような音だが、希釈して何度も塗ったものは明らかに音が高く、締まった素地の音がする。<br /><br />それで、柿渋というのは塗膜として使うものではなく、浸み込ませる事で素地を改善するという使い方をするものなのかと気付いた。<br />柿渋は漆と違い水性溶剤だ。それゆえによく浸透する。水分が無くなるとカテキンが酸化によって結合していく。その際に素地の成分も結び付けたりするのだろう。だから素地が締まった音になる。漆も柿渋もフェノール樹脂のオリゴマーが結びついてポリマーになるのは同じだが、結合する場所が違うというわけだ。<br /><br />昔から漆芸では、柿渋で作った下地を「渋下地（しぶしたじ）」と呼び、漆の下地の代用品とか、安価で作るための下手物とか、要するに見下される扱いをされてきた。<br />私も、そういうものなのかと信じ込まされていた節があるわけだが、いや、ちょっと待てよ。これは柿渋本来のポテンシャルを見誤った考え方なのではないかと気付いた。<br />どちらも塗料というジャンルで見ると、確かに漆に比べれば柿渋の塗膜は弱いし、撥水性はあるにせよ長時間の耐水性までは無いかもしれない。だがそれは塗膜という土俵においての話であって、柿渋は本来、漆のような厚い被膜を作る使い方ではなく、少しずつ浸透させ胎を作るという全く異なるジャンルでこそ実力を発揮するものではないかと思う。<br /><br />塗って浸透するまで待ってから、表面を布で乾拭きする。それを繰り返し、表面にうっすらと艶が出てきた状態で止める。塗膜にするのではなく、その前で完成とする。これが本来の渋下地のポテンシャルを最大限に発揮させる使い方という事になるような感じがする。<br />ちなみに、表面に艶が出ても止めずに塗り続けると、柿渋が弾かれて玉状になり斑が出て来るので見た目が汚いのと、著しく接着性が落ちて剥離し始めるからやらない方が良い。 -- Posted by 猫田に小判 〔1423文字〕 No.104 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Fri, 27 Sep 2024 18:15:49 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ コンポートという必殺技の話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ コンポートという必殺技の話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <br /><br />講習会をやっていると、たまに食材を頂くことがある。スーパーで食材を買っていると粗方、買う物が固定されてくるので、こういう頂き物は自分の範疇外だったりして案外新鮮なものだ。頂いたのは、けっこう大きめな梨。<br />そろそろ梨の季節かぁと思いながら冷蔵庫で冷やし、剥いて食ってみたら、これがかなり渋い。渋柿ほどではないが、全く甘さが無い上に口の中がシブシブで喉もちょっとイガイガする。私はメロンやキウイを食うと喉がイガイガするのだが、梨でこうなるのは初めてである。<br /><br />捨てるのは勿体無いし、いや、そもそも渋い梨などというものは存在するのか？とネットで調べたら、やはり渋い梨というのは存在するらしい。<br />そして、甘く煮ると食えるようになるのだそうだ。コンポートというお洒落な調理名も付いていると知る。コンポートというと果物を乗せる器しか知らなかったのだが（器馬鹿）、あれは料理名なのか。<br />しかし、焦げないように火加減を調整したり時間もかかるし、結構面倒そうなのでどうしたものかなと思いながら、もう少し簡単にどうにか出来る方法はないのかと調べたら、砂糖を掛けてレンジでチンするだけでコンポートを作れることが分かり、やってみることにした。<br /><br />梨を剥いて適当に小さく切り、耐熱容器に入れたら梨1個に砂糖大さじ1～1.5を掛けて、ラップをしてレンジで加熱。それだけ。<br />酸化防止でレモン汁を入れたりするみたいだが、そのためにレモンやレモン汁を買うのも何だし、元々が渋い梨なのでカテキン豊富だから酸化防止はしなくてもいいだろうと加えたのは砂糖のみ。<br /><br />600Wで5分くらい加熱すると梨から水が出てきて勝手にシロップに浸かったコンポートになる！あぁなるほど、梨の缶詰というのはコレかと、なかなかに感動する。<br /><br /><img class="embeddedimage " width="2048" height="1536" src="http://nekotani.lix.jp/diary2/images/20240906103424-admin.jpg" alt="20240906103424-admin.jpg"><br /><br />ちなみに、取り出して梨が半透明になっていない時は加熱不足なので追加で加熱するように。<br />あとは、粗熱を取ってから冷蔵庫で冷やすと完成なのだが、このとき閃いた。<br /><br />冷やすのではなく、冷凍したら、ガリガリ君の梨味になるのではないだろうか？<br /><br />シロップごと冷凍するとカッチカチの固まりになって食うのが大変なのは明白なので、梨だけ取り出して冷凍し、翌日に食ってみた。<br /><br />『完全にガリガリ君の梨味である』。<br /><br />冷凍すると甘みを感じにくくなるのでコンポート用だと少し甘味が足りない感じもするが、まごうことなきガリガリ君である。ジップロックに入れて冷凍し、少しずつ消費することにした。<br /><br /><img class="embeddedimage " width="2048" height="1536" src="http://nekotani.lix.jp/diary2/images/20240906103345-admin.jpg" alt="20240906103345-admin.jpg"><br /><br />自分の閃きは大したものだと思うと同時に、ガリガリ君の梨味を開発した赤城乳業の凄さも感じずにはいられない。ちなみに、シロップは薄めて美味しく飲みました。梨風味でこれも旨かった。<br /><br />そんなわけで、図らずも梨からガリガリ君の梨味を作る方法を知ってしまった。<br />果物はそのまま食うのが一番旨いと思うが、もう少し日持ちさせたいとか、そのまま食うのはちょっと、という時はガリガリ君にするというのも一考だと思う。 -- Posted by 猫田に小判 〔1264文字〕 No.103 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Fri, 06 Sep 2024 09:37:27 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ スタンスを確認する、という話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ スタンスを確認する、という話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%99%b6%e7%a3%81%e5%99%a8%e4%bf%ae%e7%90%86" class="taglink" title="陶磁器修理">#陶磁器修理</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <br /><br />古いブログには書いてあったが消えてしまったので、改めて金継ぎ修理のスタンスについて書き残しておこうと思う。というのは、金継ぎがブームになるにつれ、私の立ち位置は意外なほど世間の一般認識の金継ぎと乖離しているんだな、と気付いたからだ。<br /><br />元々、金継ぎというのは漆芸という世界の端の端の端に在るか無いかもはっきりしないような感じで存在していたもので、頼まれたからやってあげるけど自発的にやる類のものではないという考え方がベースとして有ったというのはどこかで話したように思う。安価な器の金継ぎは断るという考え方は割とスタンダードだったし、その割には、やり方は適当で、漆芸家でも漆を使うの勿体ないし時間を掛けるのも面倒だから石膏とか接着剤で形にして金色に見えるように上辺だけ着彩しておけば良いじゃんという感じだったり、下地から漆を使っても木材主体で長期的に実用出来る想定の直しではなく見た目重視の装飾として行われていた。漆じゃ強度が足りない時はエポキシを使いますと公言していた漆芸家も居た。そもそも金継ぎについて質問しても答えが非常に偏っていて、基本的にはそういう風にやっているからと言われるだけで理論的な回答は殆ど無かったと言ってもいい。大都会の東京でも金継ぎはそんな感じの扱われ方をしていたというのが30年くらい前の話。<br />20年前に田舎へ帰ってくるのを機に、もうちょっとちゃんと使えるように陶磁器を直すことを考える人が居ても良いんじゃないか、と思って店をやることにした。<br /><br />で、その時に「陶磁器の町医者」という基本コンセプトを考えた。だから、薄ピンク色の十字を真ん中にシンボルとして置いて、その周りに「本当に大切なものと 少しでも長く一緒にいたい そんな想いのために」とキャッチコピーを記述したチラシを作って陶器店を周ったりした。「ほん陶」という店の名前は、このキャッチコピーをもじったもので、本当にちゃんと直しているんだよ、という意味も込められている。ホームページにも同じ文言を付けていたが、長いので今は「いつまでも大切に使いたい想いのために」と短くしているが、気持ちは変わっていないつもり。<br /><br />そんなわけで、私にとって金継ぎというのはあくまでも修理というか、治療みたいなスタンスだ。<br />実際にお医者さんがどういう考えで病院をやっているのかは知らないが、私は、入院した人が、元の生活に戻れるように最善を尽くすのが医者じゃないのかと思っていて、陶磁器の町医者も同じだろうと考えている。<br />入院した人が以前と同じ毎日を続けられるようなったら退院OKなわけで、患者をアスリートや天才になる英才教育を施して退院させる必要はないと考えている。だから、金継ぎはアートや自己表現行為だとか、直した器は付加価値の付いた作品だとは考えていない。当然、患者様である器の情報や写真は外部には一切出さない守秘義務も厳守している。<br />個人的な理想としては「わぁ～金継ぎがしてある！」と思われるよりも「言われてみれば金継ぎしてあるね」程度に気付いてもらえるくらいが御の字だろうと思っている。大切なのは金継ぎした事ではなく、器が少しでも長く以前と同じ毎日が続けられるようになること、元の器にとってベストであること、それをするのが陶磁器の町医者の仕事じゃないかなと思う。（怪我してないのに顔に絆創膏付けて可愛さアピールするヤンキー文化って昔あったね、そういえば。あんまり関係ないけど急に思い出した。）<br /><br />というわけで、私自身は金継ぎで表現者になる気は無いし、自分の事を金継ぎ師とか金継ぎ作家と名乗った事は全くない（＆今後も名乗る予定はない）のだが、かと言って、ヤブ医者だと思われるのは嫌だし、民間療法じみた事に似非科学で色を付けた医者気取りにもなりたくないので、地味でもちゃんとした治療が出来る陶磁器の医者ではいたいよなぁと常々思ってはいる。<br />とはいえ、実際は分からない事も多いし、毎回、本当にこれで良かったのかと思いながら器を返却しているのが実情で、個人的な理想を盾にお客様の大切な器に私が手を入れちゃってすみませんと心の中では思ってます、はい。<br />こんなスタンスでやっているので、最近、結構暇なんです。世間のブームとは隔絶された陶磁器修理屋でございますが、ご縁を感じる時がございましたらどうぞ気軽にお声掛け下さい。よろしくお願いいたします。 -- Posted by 猫田に小判 〔1838文字〕 No.102 ]]></description>
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	<pubDate>Tue, 03 Sep 2024 19:19:24 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 錆漆のキモは水だったという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 錆漆のキモは水だったという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%82%ac%e3%83%a9%e3%82%b9%e7%94%a8%e6%bc%86" class="taglink" title="ガラス用漆">#ガラス用漆</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <br /><br />古いブログを削除してしまったため、いつから使っていたか正確には言えないのだが、店を始めたかなり初期の頃にどこかのサイトでシランカップリング剤を漆に入れるとガラスに良く密着するようになるという話を見付け、サイトの主にメールを出したところ、ガラス用漆というのを売っている店があると教えて頂いた。内容物が全く記載されていないため、サイトで記述したようなシランカップリング剤を入れた漆か確証はないとの事だったが、東京の陶芸教室で仕事をしていた頃に「液体セラミック」というシランモノマー液を目止め剤として使っており、今は説明が省かれているが、昔は容器のラベルにコンクリートなどに浸透してポリマー化しシリカと結びついて防水効果を発揮する。アメリカの衛生法取得した安全性の高い薬剤といった内容の説明書きがされていて、シランがどんな物なのかは何となく分かっていたし、全く異なる方法でガラスと漆を結び付けるとも考えにくく、当たらずとも遠からずな漆なのだろうと試しに購入。陶磁器も鉱物粉をガラスで焼き固めている物質なのだから、通常の漆よりは間違くなく結合力は高かろうということで金継ぎに使う事にした。<br />実際、錆漆に使う砥の粉の成分はほぼ100％シリカ（二酸化ケイ素）なのでガラス用漆で作った錆漆は非常に硬く丈夫であり、スライドガラスに付けて乾かすと水に浸けてもちょっとやそっとでは取れないから、まぁ間違いなくシランカップリングが作用していると思われる。（その後、いつからか陶磁器にも使えるとか、金継ぎに使えるという説明書きが付くようになっていた）<br /><br />そんなわけで、その時に見付けたガラス用漆を20年近くは使っていたわけだが、シランカップリング剤や漆の高騰でガラス用漆もやたら値段が高くなってしまい購入するのにも勇気が必要になってきたため、他の漆屋のサイトをいくつか見て、値段が3割くらい安いガラス用漆を購入してみた。今まで使っていたものよりも少し粘り気が強いかなという感じはしたが、多少の差こそあれ何処で買っても大差はないだろうと甘く見ていたのが仇になる。<br />これまでと同じ砥の粉、配合で錆を作るも、なかなか混じらない上に、作った錆が全く固まらない。漆だけならば問題なく固まるが、錆にすると何故か固まらない。配合の問題かと思って漆と水と砥の粉の割合を変えてみても、表面は僅かに乾くことはあれど押すとプニプニして中まで固まる気配なし。<br /><br />同じガラス用漆だと思っていたが、よもや全く違うものなのかもしれないと思いながら、もしかしたらと水をpH試験紙で測定したところ青色に変色。pH8のアルカリ性だった。水道水はずっと中性（pH7）と疑わずにいたのだが、調べたら意外と塩素の量をまめに調整しているらしく、水道水というのはpH5.8以上8.6以下と幅があると知る。<br />今年は暑いから雑菌繁殖抑制のために塩素多目で調整されているのかもしれない。だから、うちの水道水はpH8～8.6になっているのか。<br /><br />すぐさまドラッグストアで精製水を購入し、それで錆を作ってみたところ以前のガラス用漆よりも時間は掛かるものの同じように固まったことで、原因が水のpHだと確信。<br />pHの問題ということならば、アルカリ性の水道水もクエン酸で調整してpH7にすれば固まるのではないか？と試してみたところ、やはり時間は掛かるが中まで固まった。ただし、爪を立てると硬くはなっているし、爪の跡が付くほどではないのだが職人の勘レベルで硬さに違いがあるような感じがする。同じpH値ではあっても、精製水のように不純物がほぼほぼゼロのpH7と、塩素やクエン酸が入ったpH7では、硬化に差が出るということなのかもしれない。<br /><br />錆漆は水を入れた本堅地は硬度が低く、無水の堅地こそが最も硬度が高いというのは昔から言われている事なのだが、私が昔、鉛筆硬度法で調べた限り大きな差は無かったため加水の有無は関係しないのではないかと考えてきた。<br />で、思い出したのだが、硬さを調べていた頃は確か当時最も不純物を除去できるとされていたフィルタの国産浄水器を使って濾過した水を使っていた。<br />フィルターの値上がりが半端ないので何年か前から飲料用は外国の浄水ポットを使うようになり、更にフィルタはサードパーティーの中国製にして、金継ぎ用はそれも使わず水道水をそのまま使うようになっていた。<br />それでも以前に使っていたガラス用漆は頑張って固まってくれていたわけだが、以前のものよりも安めのガラス用漆（それでも通常の素黒目漆よりは高いのだが）は顕著に水の違いに反応してしまったという事なのか、と目から鱗である。<br /><br />錆漆の硬度、言い換えれば漆の硬化なわけだが、それは水の質に大きく影響を受ける。<br />pHの影響が一番大きいのは言うまでもないが、たとえ同じpHであっても、精製水のように限りなく純粋なH2Oに近いものほど錆漆は硬く、不純物が増えるほど硬度は落ちる。そういう事なのだ。<br />私は陶芸視点で錆を見るため、錆はあくまでも可塑性のある粘土であり、粘土の粘りを生むには水が必須であり加水は当然であった。だが、塗料を塗り重ねるという漆芸の視点では、水を抜いて鉱物と混ぜるという発想が生まれるのだろう。塗料は塗るための接着性と乾いた後の硬さは必要だが可塑性はむしろ邪魔になるし、水という不安定要素は排除する方が賢明だということで、加水しない方が硬いという言い方が生まれたのではないかとも考えられる。<br /><br />当然と言えば当然なのだが、私にとっては完全な盲点であった。<br /><br />なお、最終的に、安い方のガラス用漆を配合から調整し直して仕事に使うのは流石に時間も掛かるし面倒ということで、良い勉強になりましたと言って冷蔵庫で眠りについて頂く事にして、以前に使っていたガラス用漆を買い直す事にした。痛い出費ではあるが致し方ない。<br />それと、今後、錆漆を作る時には精製水を使うと決めた。精製水はドラッグストアで安価に購入出来るのは、せめてもの救いである。 -- Posted by 猫田に小判 〔2501文字〕 No.101 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Fri, 23 Aug 2024 21:14:28 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ たこ焼きとお好み焼きの違いで、錆漆の硬さの違いに気付くという… ]]></title>
	<description><![CDATA[ たこ焼きとお好み焼きの違いで、錆漆の硬さの違いに気付くという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <br /><br />何年か前に光コラボのプロバイダーが酷かったので乗り換えた話をした。<br />前回は訳も分からず契約して失敗したので、今回はしっかりと内容を吟味し、切り替えたのは「enひかり」というプロバイダ。enひかりは安いし速度低下も無いので極めて良心的なプロバイダーで全く不満が無い事に加え、毎年夏にお中元が届くという律義さでもう頭が上がらない。<br /><br />去年は素麺だったが、今年は素麺にタコ焼きの粉のセットであった。<br />粉もん文化圏の人間ではないので、家にタコ焼きプレートは無いし、そもそもたこ焼きを食うのは2年に1回あるかないか。これを機会にタコ焼きプレートを買うのもなぁと思って袋の裏を見たら、同じ粉でお好み焼きも作れるとレシピが書かれていた。粉を溶いた汁って同じものだったのか。知らなかった。<br />お好み焼きは、最近、カット野菜と卵を混ぜてレンジで加熱してから、かつお節とソースとマヨネーズを掛けるとお好み焼きモドキが作れると分かり、昼飯に何度か作っていたので、これに粉汁を入れたら多分出来るのだろうという予測は出来る。<br />というわけで、カット野菜を使ってレシピ通りの分量の粉汁を混ぜてレンジで加熱してみたところ、それっぽいお好み焼きになった。<br /><br />粉は4人分あり、まだ何回かお好み焼きを作る事が出来るので、毎日、昼はお好み焼きを食べる事にしたのだが、計量が面倒なのでカット野菜も水もレシピを見ずに適当に混ぜたら、お好み焼きというよりもデカいタコ焼きを食っているような感じになった。それで気付いたのだが<br /><br />「お好み焼きは粉汁を繋ぎとして具材を固めた料理で、タコ焼きは粉汁に具材を入れて固めた料理だ」<br /><br />お好み焼きは焼き物だが、タコ焼きは膜で覆われた煮物。つまり具材は似ていても、料理のアプローチが全く違う。タコ焼きの中トロというのは、汁気の多い煮物だからなのか。<br />お好み焼きは鉄板、タコ焼きは特殊形状という道具の違いも、こういう理由からなのかと妙に納得した。<br /><br />すると、頭の中で急に結びついた事がある。錆漆の扱いだ。<br /><br />金継ぎのやり方のハウツーを見ていると、錆漆には非常に柔らかいものを作って重ねる方法と、硬めのものを作って厚めに盛る方法の2つがあって、同じ錆漆でもかなり混ぜる比率に幅がある。<br />個人的に金継ぎで使う錆漆は硬めの方が良いと思っているので、何故、柔らかいものを使うのか不思議だったのだが、これって料理の違いと同様でアプローチの違いなのではないだろうかと。<br /><br />では、どういうアプローチなのかと考えた結果、恐らく胎の違いによるものだろうと推測出来た。<br />私は金継ぎから漆を扱うようになったので、陶磁器ファーストで漆の扱い方を決めてきたため錆は粘土の延長線上にある。だから「鉱物粉を漆で繋ぐ」という考え方で砥の粉と水と漆以外は使わず、粘りが出るまでしっかりと錬ることで硬めの錆にするのだが、漆器を作ってきた人は、木製品ファーストで漆の扱い方を決めてきたため「厚塗りが出来る硬めの塗料」というアプローチで練り数が少ない柔らかい錆を使っている。練り数が少ないため可塑性として米糊を入れる。<br />このように、同じ錆でも、胎に対するアプローチの違いで硬さに違いが出るのだと思われる。<br /><br />漆単体よりも早く凹みを埋めるという目的は同じでも、こうやって違いが生まれるのかと妙に納得した。 -- Posted by 猫田に小判 〔1432文字〕 No.100 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Mon, 05 Aug 2024 11:09:23 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 金色にしてどうするの？という話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 金色にしてどうするの？という話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a> <br /><br />エアコンが無い部屋は日中30℃を超える。<br />人間、30℃を超える部屋でずっと仕事をしているとどうなるかというと、先の事を考えられなくなる代りに昔の事をやたらと思い出すようになる。<br />次に何をするか、次に何が起こるのかという事を考える不確定要素の選択は、暑さで神経系統にダメージがあると難しいという事なのだろう。<br />前にどこかで書いたかもしれないが、私は過去（特に自分の過去）に興味がない人間なので、昔の事を思い出すというのは懐かしさは微塵もなく、ただただ苦痛だったりする。まぁ、それはさておき、そんなわけで目の前の錆を削る動作だけを何とかして続けていると、昔の記憶がポツポツと池に沸く泡のように関連も無く出ては消えるを繰り返すのだが、そこで急に思い出したのは、私が金継ぎ仕事を始めた20年くらい前は「器を修理したいが、直したところを金とか銀にして何が良いのか？」という問い合わせがやたらと多かったという事（依頼主さんが直した器を家で見せたら、金色は余計じゃないかと家族に言われて凹んだというのも本当によく聞く話だった）。それと、外国の人は黒楽や瀬戸黒の茶碗のように真っ黒な器は、日本人で言うところの「ケ（ハレとケのケ）」に相当するので全然好きじゃない。更にそこに修理が入っていたら、それが金色でもお話にならない器なのだという話。<br />そうだった。あの頃の金継ぎの認知なんて、その程度のものだった。金継ぎに概念とか哲学なんていうものは影も形も無かった。骨董趣味な人が「見立て」として多少楽しんでいる程度のことだった。<br /><br />それで気付いたのだが、今の金継ぎを褒める文脈って、要するに日本人や外国人に「売り込むための物語」という必要性から出てきたものなんだろう、十中八九。<br />ここ何年かで急に金継ぎに意味を持たせたり、歴史改竄まがいな話で祭り上げるようになっていて、これは一体、どうしたことなのかと疑問だったのだが、やっぱり売り込むために創作した文脈なんだというのが、なにかはっきりした。ような感じがする。 -- Posted by 猫田に小判 〔886文字〕 No.99 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Tue, 23 Jul 2024 20:18:39 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ 金継ぎの意味合いという話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ 金継ぎの意味合いという話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e9%87%91%e7%b6%99%e3%81%8e" class="taglink" title="金継ぎ">#金継ぎ</a> <a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e3%81%a9%e3%81%86%e3%81%a7%e3%82%82%e3%81%84%e3%81%84%e6%80%9d%e3%81%84%e4%bb%98%e3%81%8d" class="taglink" title="どうでもいい思い付き">#どうでもいい思い付き</a><br /><br />金継ぎが「壊れたことを隠さず美しく装飾して目立たせる」という話は昔からの思想みたいに言われているが、私が仕事を始めた頃に金継ぎのそんな解釈は聞いたことが無かったし、昔の書物にそういう話も出てこないので（そもそも金継ぎは修理跡を隠すために蒔絵をしているわけだし）、恐らくこの思想もどきは、明治維新に茶道が陥落して茶道具が二束三文で市中に出回った後、割れ物を少しでも高値で売るための方便としてあった話を掘り返してきたか、SDGsで一発当てようと考えた人が作った江戸しぐさみたいなものだろうと思っている。金継ぎ自体は現象や結果であって、そこに良い悪いや上下は無いと思うが、変な思想とセットになって善行として勘違いが広まっていくのは困ったもんだなとは思う。<br /><br />まぁ、困ったことはさておき、では、現代において金継ぎの思想って一体何なのかと考えていて気付いたのは、金継ぎって意外とロックと同じ立ち位置だったりするのではないかという事。金継ぎがロックなわけではなく、あくまでも立ち位置ね。<br />ロックは音楽ではなく人生だとか言ったりするけれど、要するにロックな生き方を選ぶ、その結果、ロックという歌が形として現れてくるという事なのだと思う。<br />金継ぎもそれに似ているような気がして、では、金継ぎはどんな生き方に対して現れてくるものなのかというと、突き詰めれば「手入れをしていく」という生き方なのだと思う。手元にある物に対して手を入れてくという生き方を選んだ。それを表すものとして金継ぎした物というのが出てくるのではないかと思う。<br /><br />圧倒的に物が足りない時代であれば、手入れをするのは仕方が無いというか、それ以外の選択が無いので生き方とは違うものだと思うわけだが、物が多過ぎる現代においての手入れは、選択的生き方の一つということになるのだろう。消費を繰り返すという生き方に対して、手入れを繰り返すという生き方、みたいなのが金継ぎの意味合いとしては一番大きいのかもなぁと考えている。 -- Posted by 猫田に小判 〔868文字〕 No.98 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Mon, 01 Jul 2024 12:15:08 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ どうも改ざんのターゲットにされたっぽい話 その2 ]]></title>
	<description><![CDATA[ どうも改ざんのターゲットにされたっぽい話 その2<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <br /><br />また不正侵入された。<br />分かったのは、index.htmlファイル名を index.html.oldに書き換えて、index.phpファイルを生成しているという事。どうも週一でアタックかけられているような感じ。<br />index.html.oldのファイル名をindex.htmlに直し、index.phpファイルを削除する手順で使えるようになるのは分かったので、とりあえずレンタルサーバに報告しておいた。 -- Posted by 猫田に小判 〔234文字〕 No.97 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Fri, 14 Jun 2024 16:46:36 +0900</pubDate>
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	<title><![CDATA[ どうも改ざんのターゲットにされたっぽい話 ]]></title>
	<description><![CDATA[ どうも改ざんのターゲットにされたっぽい話<br /><a href="http://nekotani.lix.jp/diary2/tegalog.cgi?tag=%e5%be%92%e7%84%b6%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%97%a5%e8%a8%98" class="taglink" title="徒然なる日記">#徒然なる日記</a> <br /><br />困ったことに、またサイトが改ざんされてアクセス出来なくなっていた。<br /><br />どうやらindex.htmlファイルを削除してフィッシングサイトに飛ばすWordpressのindex.phpのファイルを置くという手法と思われる。一度成功すると巡回先に登録され、定期的に同じ処置をしていくプログラム動作なのかもしれない。<br />幸いにというか、Wordpress関連は全て削除してあるのでプログラムの途中でエラーが出てフィッシングサイトに飛ばす被害までは出ていなかったようだが、その代わりにindex.htmlが削除されているのでサイトにはずっとindex.phpのエラー表示が出ていた模様。<br /><br />こんな事を言うのも何だけど、登録先が過疎地かどうかの判定も入れて巡回断念するA.I.も併せて作ってもらえたら、たぶん、ここに来ることは無くなるだろうしお互いにウィンウィンなんだがな。いや、根本的にそういう事をするのが消滅してくれたほうが嬉しいけど、それは無理でしょうから。 -- Posted by 猫田に小判 〔456文字〕 No.96 ]]></description>
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	<category>tegalog</category>
	<pubDate>Sat, 08 Jun 2024 10:27:40 +0900</pubDate>
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