陶芸と集中

またブログ放置しっぱなしになったので、短いやつを。(というか短いやつをまめに書くべきなのかもしれないが。閲覧数上げたいという欲がないから、まぁいいか。そんなにこまめにしなくても。と心のどこかで思っている。)
前から気になっていて、最近も似たような記事を見つけて「うきー!」となってしまったのだが、陶芸(たぶんロクロ)をやって集中力を高める訓練していますという話。
で、記事を書いている人も、そうなんだよねぇ、陶芸って集中するんだよねぇと思って書いているのだろうから、その他大勢の人もきっと勘違いしているのではないかと思うわけだが、陶芸で集中しているなぁと自分で思ってる人、それはたぶん集中じゃなくて単なる夢中だから。
と言いたいわけである。
集中と夢中って何が違うのかと思うかもしれないが、全くの正反対のベクトルだと私は思う。それは単に思うというよりも、体感的にそう感じている。
夢中というのは、ひとつのことに熱中して他が見えない状態だ。例えば、音楽をかけながらロクロを挽いていても音楽が全く耳に入らない状態。あるいは、ロクロを挽いて、まだ10分くらいしか経っていないと思ったら1時間以上経っていた。みたいな状態。余分な情報を排して、特定の情報のみ脳で処理するシステムで、パソコンでいうならシングルタスク。
集中というのは真逆で、意識が上がれば上がるほど、あらゆる情報を処理できる状態になることだと思うのだ。
脳が膨大な情報を瞬時に並列処理する。パソコンで言えばマルチタスク。
だから、ロクロを弾きながらでも、どんな音楽が流れているかは分かるし、外の音も聞き取れる。自分の指先を見ながら、全体の形の変化や、挽いている指先の反対側の土の動きもよく分かる。当然、時間を気にすることもできる(というか、ロクロは早く作ることが最大のポイントなので時間を気にすることが大切)。それを特に難しいとも思わず同時にやっているのが集中だと思うし、実際、私はロクロを挽いている時にはそうなる。たぶん、これは注意が散漫なわけではないだろう。
もう少し分かりやすく言うと、サッカーの選手が、目の前のボールのことしか気にしていないのが夢中。
ボールを気にしながらコート全体の選手の動きを瞬時に捉えて、次にどんな動作をすれば良いかまで判断できるのが集中。
ということではないかと思うのだ。
だから、もし仮に、陶芸で集中力の訓練をするのなら、夢中にならないという訓練を本来はしないといけない。
気づいたら時間が経っていたなんていうのは、もってのほかだ。
これまでも、陶芸に関する世間の勘違いはいろいろとブログに書いてきたが、今週は、この勘違いがものすごく気になったので、さらっと書いてみた。

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