猫田さんのこと

このブログ「猫田に小判」は、元々、私が飼っていた猫(猫田さん)について、東京で知り合った人たちに近況報告をするために開設したものだ。途中から金継ぎの話が多くなったが、本来は猫のためのブログなのだ。たぶん、今は誰も読んでいないと思う。でも、猫田さんの最期のことまで、きちんと書くべきだろう。
猫田さんは、私が東京の陶芸教室に勤めていた時に、その陶芸教室のプレハブ倉庫の下で拾った猫だ。
じつは、猫田さんに会う前に、ウントモくん(正式な名前は幻太郎くん)という猫を飼っていた。倉庫の下から猫の鳴き声がすると言われ、覗き込んだらうずくまって死にそうなボロボロの猫が居たので引きずり出して病院へ連れて行った。すでに腎臓がほとんど機能していないので、長くても1週間くらしか生きられないだろうと獣医さんに言われ、最期くらいは雨風が凌げる場所で死ぬのが良いだろうと思い、ペット不可のマンションだったが連れ帰って世話をすることにしたら、結局5年も生きて永眠した。
それから、おそらく1ヶ月後くらいだったと思う。同じ小屋の下から、また猫の鳴き声がすると言われ、覗いたら、今度はガリガリに痩せて、ほとんど毛が抜けた肌色の生き物が居たので「猫さん、猫さん」と呼んだら自分から出てきた。それが猫田さんだ。病院へ連れて行って血液検査をしたところ「この猫は強い子だねぇ」と先生が言うほど体は健康だった。毛が抜けているのは蚊やノミにさされたアレルギー反応だそうで、清潔にしておけば生えてくるとのこと。ただ、生まれてすぐに高熱を出したらしく、その影響で右目が変になっていた。
ペット不可のマンションで猫を飼うのは心臓に悪いし、この猫は見た目に反して元気らしいので陶芸教室で世話をすることにした。とにかく元気であちこちウロウロする。たまに居なくなったりするのだが、それでもきちんと帰ってきた。そして、どういうわけか私に異様に懐いてくれた。猫さんと呼ぶと返事をするので、名前は猫田さんにした。
そんな状態が1年くらい(いや2年だったか?)続いた頃、訳あって私は陶芸教室を退職し田舎へ帰ることになる。元々、私が拾って勝手に陶芸教室で世話をしたわけだし、やはり責任として連れていくべきだろうということで、田舎で正式に飼うことにした。そういう経緯の猫だ。
このブログは引越し直前の2004年から始まっているので、猫田さんが田舎で住み始めてからは、かれこれ11年。陶芸教室で2年弱は飼っていたので、13年弱の付き合いだった。なので、少なくとも猫田さんは13歳以上ということになる。拾った時すでにキャットフードを食べることが出来たから、実際には15歳くらいなのではないかと思う。
猫田さんは、とにかく優しい猫だった。こんなに優しい猫に出会ったのは初めてだった。ちょっと撫でるだけですぐにゴロゴロ言うし、抱けばいつでも腕を舐めてくれるし、爪切りも、お尻拭きも絶対に抵抗しない。だから13年間で一度も引っかかれたり噛まれたりしたことはない。そして、手で扉を絶対に開けないというちょっと頭の悪いところもあり、お馬鹿だけど凄く優しいという、昭和後期の漫画に登場する理想の彼女のモデルになりそうな猫だった。
ただし、とんでもなくよく鳴く。よく声が枯れないねと思うほどに鳴く。寝ている時と飯を食っている時とトイレの時以外は常時鳴いているんじゃないかというレベルで鳴いた。そして一人で居るのが本当に嫌なようで、私がトイレに行くだけで物凄い剣幕で鳴いた。鳴くというより泣くと書いた方が良いくらいボエーボエーと鳴く。腹が減った時や、遊んでほしい時にはニャーだが(そのニャーにもかなりバリエーションがある)、私の姿が見えなくなるとボエーと鳴く。何を考えているかは分からないが、間違いなく猫には繊細で豊かな感情が存在することは、猫田さんと付き合って良く分かった。
猫田さんは優しくて寂しがりやの猫だったので、私は絶対に猫田さんを叱らないと決めた。ニャーニャー鳴いて仕事の邪魔をしても、へんなところにウンチをしても、絶対に怒ったり叱ったりしない。鳴いたら抱きしめて撫でる。ウンチをしたら片付けてから撫でる。そして、猫田さんが悲しまないように出来る限り外出はせず、外出しても早く帰る。だから11年間外泊をしたことは1度もない。もちろん帰ったら必ず撫でる。それが私に爪を立てない猫田さんへの感謝の気持ちだと自分では勝手に思っていた。
そういうわけで、そんな生活が続いていた8月20日の夜7時。猫田さんがパソコンの前で座った。夕方まではキャットフードをむさぼり食って元気だったが、一度も座ったことのない場所に座った。
どうして、それに気づいたのか、なぜ、そう思ったのかは自分でも分からないが、これは異常事態かもしれないという直感が働いて、すぐに仕事の手を止めて猫田さんを抱き上げた。抱き上げたら猫田さんの足が痙攣していた。そして二度目の直感がきた。これは死ぬかもしれない、と。正直、当たってほしくはなかったし、そんなはずはないと自分に言い聞かせながら、猫田さんの足をマッサージする。すると猫田さんはウミャウミャウミャと初めて聞く声を出した。間違いなく普通ではないと三度目の直感がきた。
そしてマッサージを始めてから30分、猫田さんが私の足に失禁をする。ウントモくんが死んだ日も、そんな感じだったと思い出した。ウントモくんは朝、具合が悪くなり、私が夜に仕事から帰ってきて直ぐに寝床で失禁をして病状が悪化した。猫田さんも同じだった。失禁して直ぐに、体の痙攣がひどくなり、口で呼吸を始めた。直感は確信に変わり、もし、ウントモくんと同じなら、間違いなく長くない。病院へ連れていく前に死ぬかもしれない。死ぬならこの部屋で、私の腕の中で死んでほしい。そんな風に思った。だから、とにかく抱いて体を撫でて声をかけ続けた。「ここに居るからね。一緒に居るからね。」と。
それから猫田さんの病状は一進一退を繰り返しながら、午前4時。息を引き取った。
猫田さんが死ぬまでの経過は、非常にウントモくんと良く似ていた。しかし、一つだけ違ったことがある。深夜0時過ぎには、もう完全に首が落ちてしまって自力で上げることが出来なくなり、手足にも力が入らなくなった。植物状態というやつだろう。ただただ口から唾液を流しながら呼吸をし、時々、喉に溜まった唾液を吐いた。だが、どういうわけか死ぬ少し前に猫田さんは私の腕の中で走るような動きをした。どこにこんな力が残っていたのか全く分からない。痙攣とは明らかに違っていて、4本の足がしっかりと地面を蹴る動作をした。しかも5分くらい。そして、なんだかとても楽しそうに見えた。
その時は、驚くばかりで何も考えることが出来なかったが、今にしてみると、猫田さんはきっとあの時、苦しみから抜けて自由になったのではないかと思う。私と出会う前の外を走り回っていたころの記憶が蘇ったのか、それとも、田舎に帰ってきた頃に家の中を探検していた事を思い出しているのか、あるいは魂が体から離れて自由に空を駆け巡ったのか、とにかく猫田さんは思いっきり走っていた。手足を思いっきり動かしていたから、きっとすごく早く走っていたと思う。
ペットが死んだ時には、いつも考える。本当に幸せだったのか。幸せに生きて幸せに死んだのか、と。そして、いつもその答えは分からない。
でも、猫田さんが幸せに死んでいったことは間違いないと、今は勝手に思っている。生きることに幸せを感じていたかどうかは分からないが、あれだけ楽しそうに走ったのだから、きっと死んだ時には幸せを感じていたと思う。猫田さんは今も、きっといろいろな場所を走っていると思う。もしかしたら、この部屋の中を走っているのかもしれない。
私には鳴き声も聞こえないし、もちろん、撫でることも出来ない。でも、思いっきり走っている猫田さんを、私はいつまでも応援したいと思う。どこにいても、猫田さんは、ずっと友達であり家族であり先生であり、そして13年を共に生きたパートナーなのだから。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です