金継ぎについての私的返信

少し前に書いたブログの内容についてメールを頂いた。ブログコメントならばブログで、メールならメールでと同じ媒体で返信するのが私の流儀なのだが、今回はメールアドレス不明で帰ってきてしまう。メールサーバの調子や、スマホの場合は電源が切れているとアドレス不明で帰ってくることもあるので、何度か出してみたのだがそれでも届かないので、仕方がないからブログを使うことにした。
ただ、メールの文面をブログにコピペするのも何なので、ブログ用に書き直している。
ちなみに、頂いたメールを物凄く要約すると、修理と言っているが漆芸から見たら手抜き作業にしか思えない。漆芸を舐めんなよ。という感じ。以下、返信を読む方は、それを前提に読んで頂きたいと思います。
金継ぎは漆を使用する以上、技術的には漆芸という範疇に含まれることは確かだと思う。ただ、金継ぎは漆芸の塗装や装飾性とは異なる修理という側面を認識すべきだと私自身は考えている。
言い換えると、金継ぎで自己表現まで求めるか、修理手段の選択肢の一つと捉えるか、の違い。
例えば、二つに割れて口元も少し欠けている茶碗を持ってきた人が「お金に糸目はつけません。綺麗に金継ぎをして下さい。」と言った時、漆芸家であれば、出来るだけ金の光沢を増すように研磨し、場合によっては欠けた部分に蒔絵を施し、自らの技術で器の魅力を上げ、出来るだけ自分の技術を高価値として売りたいと考えるだろう。それが漆芸(いわゆるアートとしての技芸)の基本的な考え方であり、プロとして全く間違いはない。
だが、私の場合は、陶磁器の素材が持つ物理的な強度限界を超えたために生じた「割れ」が魅力なのであって、それに何かを加えることで陶磁器そのものが美しくなるとは考えない。あくまでも美しいのは漆ではなく陶磁器だというスタンスを持っている。だから、出来るだけ接着の金線は細く、欠けた部分も自己主張のないように(場合によってはマットな質感で)仕上げることに専念する。もちろん器を傷つけるリスクがあれば研磨もしない。それは、私の軸足が漆芸家ではなく陶芸家であり、金継ぎはあくまでもリペアであってリフォームではないと考えるから。
もう一つ例を上げるなら、足を怪我して出血し病院に運ばれてきた患者に手術をする必要がある場合、私なら必要箇所を縫って、普段の生活に支障がない状態になったら退院というのが理想だと考える。傷口を縫った跡に豪華絢爛の刺青を入れて今までよりも格段かっこ良い足になりましたと患者に言うようなことはしない。という話だ。
無論、最優先されるべきは器の持ち主の意向であるのは言うまでもない。高度な技術で装飾し持ち主と器がより身近になって喜ばれるなら、それはベストなことに間違いはないが、もし、修理人が考える一番良い金継ぎをして欲しいと言われたら、私なら最小限の手を入れ(修理の強度はしっかりと確保するが)、料金もそれに見合った額を請求する(うちの店なら5000円くらい)というのが一番良いことだと思いながら仕事をしていることは理解して欲しい。それが修理としての金継ぎだと思うからで、手を抜いていることとは違うと自分では認識している。
ちなみに、昨年は約550個、独立開業してから約3500個の金継ぎをしている。漆芸家の方からすれば、まだまだ数としては少ないかもしれないが、私としては金継ぎのタイトルでブログを書くに値する数ではないかと思っているし、今後も気付いたことがあればブログを書きたいと思っている。

2件のコメント

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows NT 6.3; WOW64; Trident/7.0; rv:11.0) like Gecko
    人からいただいた器を不注意で壊してしまって、修理の方法を調べてるうちにこのブログにたどり着きました。修復ではなく、修理をされているというところが素晴らしい見識と思いました。益々のご活躍を期待しております。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Macintosh; Intel Mac OS X 10_10_4) AppleWebKit/600.7.12 (KHTML, like Gecko) Version/8.0.7 Safari/600.7.12
    気づくのが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
    コメントを頂き、ありがとうございます。
    最近、金継ぎの本を見つけたので、そのうちレビュー書こうと思っています。(いつ書くかは未定ですが)
    その時には、どうぞよろしくお願いいたします。

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