シングルコートのレンズも楽しいよね、という話

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いつまでも書籍に文句言っているページをトップにしておくのも気が引けるので、毒にも薬にもならない極めて個人的な話。
最近のデジタルカメラは、とにかく微細で細かい部分までしっかりと写せるカメラとレンズが主流だ。いわゆるカリカリな描写というやつ。ボケボケしか撮れないのは確かに悲しいが、私は絵を描いていたことが理由と思われるが、筆の持つ微妙なキワの「せめぎ合い」というのを写真にも求める傾向があって、このカリカリ描写があまり肌に合わない。筆の場合も絵の具を厚く乗せて色の境界線をビシッと出すハードエッジという絵もあるのだが、多くは徐々に塗り重ねて少しキワにボケを作る。おそらく、この方が含みを持たせた感じで、絵に奥行きを表現できるからではないかと思う。
だが、写真の場合、この含みを持たせたキワの感じはフレアとか収差と呼ばれ、失敗に分類されたり嫌われていて、レンズにマルチコーティングという処理を施したり、カメラ本体で画像保存の際にデジタル処理をかけて、そういう現象を極力排除するのが一般的に良いとされている。いかにフレアや収差を出さないかという技術力の高さでマニアはあーだこーだと議論したりもする。
だが、私はどちらかというと、こういうちょっとしたフレアや収差が要所要所にわずかに出ている(というか残っている)写真の方が好きだったりする。物体が精密に描写されているものよりも、そこに含みがあるというか、より多くの空気の存在を感じるからだ。最近の写真は非常に綺麗だが、どうしても被写体までの間に空気の層があるという感じがしない。気体の密度と言ってもいいかもしれない。おそらく、どんどん撮影機材の性能が向上してキワの含みを排除していることが要因ではないかと思っている。
無論、細密に写せることが悪いという事はない。精細な描写だからこそ伝わることもあるし、技術力の向上には大変な企業の努力もあるだろう。(現に私もEBCのFUJINONレンズ持ってますし、使ったりもしますし。)だが、それだけに邁進するのはつまらない。ような気がするのだ。
そういうわけで、私はマルチコートではなくシングルコートのクラシカルなレンズが好きなのだ。
ちなみに、私が持っているシングルコートのレンズは、このブログでも紹介したVoigtlander NOKTON Classic35mm。それと、Soligor25mm。そして、Pentacon29mm(Meyerのネームだけを変えた初期バージョン)の3本。上の写真はPentaconで撮ったもの。微妙な含みのあるエッジが綺麗だなぁと自分では思っている。

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