レビュー『金継ぎのすすめ ものを大切にする心』

雰囲気ドラマと俗に呼ばれているものがある。何となく画面の雰囲気は良いが、流行りものに乗っただけの掘り下げの浅いドラマ。概ねそんな感じだ。まぁ、そういうニーズも必要には違いない。例えば家具店や、回転率の高い喫茶店で映写しておくなら、雰囲気だけの方が良いこともあるだろう。
だが、専門性の高い内容の場合、雰囲気だけで作ってもらっては困ると私は考えている。作り手が、出来るだけ分かりやすくなるように知恵を絞った結果、オシャレな雰囲気になってしまうのは仕方がない(たぶん作者自信がお洒落センスの高い人なのだろうし)、だが、明らかに雰囲気前提で専門性をそこにぶっ込んでくるのは如何なものかと思うわけだ。分かりやすく言えば、高度な知識が必要である場合において、情に訴えかけるような雰囲気は百害あって一利なし。ではないかと思うのだ。
何故こんな事を書いたかというと、雰囲気だけの金継ぎの新刊本を見付けてしまったから。書籍の名前は「金継ぎのすすめ ものを大切にする心」税別1600円。自腹で購入したので、敢て書籍名も書かせて頂く。
昨今の流行りの質素実用啓蒙的な写真多めのカラー本。この手の食器や雑貨の関連本を何冊か持っているので、私もこういう本は嫌いではない。使われている紙質も写真の撮り方もセンスが良く、パラパラと読むには面白い。物を大切にするための一つの方法としての金継ぎ紹介という着眼点も悪くない。「金継ぎで直した器を使うことで、暮らしが豊かになる」的な雰囲気は上手く出ていると思う。そこまでは全面的に賞賛に値する。
だが、問題なのは、それならば、金継ぎの器を使うこと(あるいは金継ぎの器を使う人)に軸足を置いて、それ以上の内容は思い切って除外すべきだと思うのだ。もし、どうしてもそれ以上の事を書くなら、別冊としてまとめるべきだったと思う。この手の装丁の書籍で専門性まで併記することは極めて難しく、概ねそれは害でしかない。その理由を以下に記載する。
まず問題なのは、水準に達していない金継ぎの写真が多いということだ。ちょいちょい金継ぎについての美意識的な単語が出てくるのだが、あなた、その金継ぎに美意識という言葉はどうなんですか?とツッコミを入れたくなってしまう箇所がいくつも出てくる。明らかに、まがい金(着色真鍮粉)を使っていたり、下地の処理がいい加減だったり、金を蒔くタイミングを間違えているものだったり。普段使いの器だから別に使えりゃ良いじゃん、というスタンスの金継ぎが多すぎる。そういう金継ぎがあること自体、私は否定はしない。私のところにも「使えれば良いので出来るだけ安く修理して」という問い合わせが少なくないことは確かだ(とは言え、私は、安い=最低限という考え方には大いに異論があるが、それは本題から外れるので今回は書かないけども)。無論、個人が趣味でやるだけならそれでも良いだろう。しかし、、そういう金継ぎが紙面で美意識という芸術の範疇で紹介できるものかどうかは甚だ疑問に思うところだ。しかも、雰囲気の良い紙質と写真、そして情に訴える単語を配置すると『使えればいいだけ』が『用の美』という美意識と同等の金継ぎであるかのように見えてしまう。これは、もはや洗脳マーケティングに近い。
次に、金継ぎの技法の紹介。素人さんがやってみたという体験記があるのは良いとして、その感想が、金継ぎをやると精神的に心が満たされます的な話で終わりってどうなんですか?まぁ満たされるのは事実かもしれない。たぶん嘘偽りは無いのだろう。だが、そういう売り文句で金継ぎをやり、失敗して「捨てようと思ったけど、やっぱり修理を頼むことにした」と私のところに来る器はまだ幸いで、放置されたり処分されたりする器は少なくない。器を処分するだけならまだしも、漆と金まで無駄にするという事実があることを、この本は(おそらく、あえて)盲点として切り捨てている。せめて感想に「もっと勉強して上手くなりたい」みたいな一言があれば多少は救いにもなるのだが。
さらに、一番の問題が、解説不足の金継ぎマニュアル。金継ぎは技法だけで1冊の本を作れるほど専門性の高いものだ。しかも、世の中には陶磁器と漆の接着の難しさを全く理解していない金継ぎの方法がたくさんある。そして残念なのは、この本で紹介されているマニュアルには、そうした箇所が散見されるということ。『金継ぎされている器』と、『金継ぎっぽい処理がしてある器』は似て非なるものであり、まして、毎日使う器の金継ぎであれば、金継ぎっぽい処理を紹介することは処分品を増やすようなデメリットしか生まない、と言わざるを得ない。前に「コーヒーカップの取っ手の金継ぎを友人に頼んだら絶対に無理だと断られたが、本当に無理なのか」という問い合わせをもらい、「きちんと糊化させたデンプンとグルテンを漆と最適比で混合し、十分に時間をかけて直したものは高い接着力があるので絶対に無理だとは言えない」と回答したことがある。かように、金継ぎっぽい処理と金継ぎ修理の世間的認識は混同されやすい。細かく言い始めると、ブログがどんどん長くなるのでここまでにするが、つまり、このブログでも記載しているとおり、陶磁器と漆は元来、相性は良くない。それを何とかして合わせるためには、陶磁器なりの金継ぎというものがある。どうして、それを理解した金継ぎ師に取材をしなかったのかと(別に私のところに来いというつもりはない。むしろ私よりも日々真剣に金継ぎを研究している適任者を探して取材に行くべきだ)、そこが残念でならない。そして、何度もいうが、雰囲気の良い書籍で中途半端なことを記載すると、それが広まって定着し、正しい事として認識されてしまうリスクが生じる。
この本を買うべきではないと言っているわけでは無い。最初に書いたが、本の作りは良いので本棚に置いてあると楽しいと思えるかもしれない、また、金継ぎの器を使う人々の話には興味深い点も多々あるので一読する価値はある。だが、その半面、金継ぎそのものについては、雰囲気に流されて頭ごなしに納得すべき内容ではないということも考慮しておく必要はあるだろう。きつい言い方になってしまったが、金継ぎを思えばこその文章だと察していただければ幸いである。

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