漆の焼付け修理をやってはいけない

一時期、おしゃれ系雑誌の陶磁器特集にまで書かれていた「買ってきた陶磁器は、お湯で煮ると焼き締まって丈夫になる」という嘘八百は流石に鳴りを潜めるようになったが、最近、付き合いのある骨董屋さん2人から「漆を焼くと丈夫になるらしいので、金継ぎも焼いたらどうか」という話しをされた。どうやら漆の焼付けについて、どこかで間違った解釈が一人歩きを始めて広まっている可能性がある。
陶磁器を煮る話のように、また、とんでもない広がり方をすると陶器の修理屋として極めて迷惑を被るので、その前に書いておこうと思う。(確か、前にもこの話は何かの折に書いたような気がするが、思い出せないので一応。)閑古鳥ブログだが、何らかの理由で検索した方に見つけて頂ければという期待を込めて。
漆は、常温(20度〜30度)で酸素結合の酵素が活性し堅牢な皮膜を形成する。要するに、硬くなって耐熱耐水性を生む。それ以上の温度になると酵素活性が無くなってしまうのだが、更に温度を120〜250度(水分の多い生漆は270度)まで上げると、酵素を伴わない漆の重合によって硬化が起こり、常温での硬化よりも硬度が高く密着性も強い漆皮膜になる。古くは縄文前期の器に、この焼付が見られるらしい。現在でも、南部鉄瓶の内側の塗装には漆の焼付けが行われているし、鉄瓶の修理には焼付け処理が施されることもあると聞く。
よって「漆を焼くと丈夫になる」という話は決して大嘘というわけではない。が、焼付けて漆が硬くなることが陶磁器の修理にも使えるかというと、話はそう簡単ではない。つまり、漆に良いことが陶磁器にも良いとは限らないという大前提が焼付け修理の話から完全に抜けているところに大きな問題がある。ここを見誤って焼付けの話が広まってしまうと極めて遺憾だということである。基本的に普段使いの陶磁器の再加熱は厳禁だと思って間違いはない。
私も器の修理を仕事にするにあたって、この焼付を見当したことがあり、実験を試みたり、実際にお客様から預かった器を窯に入れたりして、無知ゆえの大失敗で平身低頭したこともあるので、闇雲にダメだと言っているわけではない。その理由を以下に記載しておく。
まず、ほとんどの人が陶磁器は何をしても丈夫だと思い込んでいるようだが、焼成後の陶磁器は、極めて急熱急冷に弱い。お湯を入れたりして徐々に器が暖まっていくとか、茶碗蒸しを作るために蒸し器に入れたりするのは問題ない(つまり間接的に加熱されるのは問題ない)が、緩衝材となる液体などがない状態の空の器を直接加熱および、いきなり常温に取り出す急冷をすると、素地へのダメージが大きく、修理のつもりが器をダメしてしまう可能性も決して低くはない。これは陶磁器の原料がガラスとほとんど同じ物だと分かれば納得しやすいと思う。ワイングラスをオーブンに入れて加熱しようと思う人はいないだろう。陶磁器も基本的にはワイングラスと大差ない。
なお、土鍋のように直接加熱する器もあるが、土鍋の場合はペタライトという特殊な金属を土に混ぜ、さらに焼成温度を通常の焼き物よりも低くすることで耐急熱急冷を可能にしている。また、ボウフラという煎茶で使用する湯沸しの器も、同様に、低温焼成した器で通常の陶磁器とは異なる物だ。(通常の陶磁器は1200度以上で焼かれるが、加熱可能な器は、それ以下の温度、おおよそ900〜1100度程度で焼かれる。それほど違わないと思われるかもしれないが、陶磁器は1150度辺りから化学変化による物質変化が起こるので、この違いは極めて大きい。)
次に、前記した事に関連するが、新品の陶磁器は別として、普段から使用している器には少なからずヒビが入っている可能性が極めて高いという事実を、ほとんどの人は気付いていない。ヒビに汚れが定着して染まってくるとヒビとして認識されるわけだが、すでにヒビは着色前に発生している。陶磁器がガラスと異なるのは、日常使用で発生したヒビの伸びるスピードが非常に緩やかだということだ。
それに気づかず、例えば、口の欠けた器を修理して急熱させて素地にダメージを与えてしまうと修理で見落としたヒビが一気に伸びたり、最悪、器を破損させる可能性がある。しかも、それに気付いて慌てて窯から出して急冷させることで更にダメージが酷くなる。仕方がないのでヒビに漆を染み込ませて、再加熱すると、更にヒビが伸びるという悪循環に陥る。口の欠けを直すつもりが、気が付くとあちこちのヒビを直しているということにもなりかねない。
また、アンティークや日常使用した器は、素地に汚れが浸透していたり、その汚れにカビが発生していたりする。表面的にはこうした汚れやカビは見えにくいため通常は気にならないのだが、加熱をすると、この汚れやカビが焦げてきて表面に黒い滲みとして浮いてくる。特に、素地が露出している高台付近や、ヒビ、貫入はこの焦げの発生する可能性は高く、しかも、一度この滲みが出てしまうと絶対に除去することが出来ない。(もう一度、1200度以上で焼成すれば焼き飛ばすことが出来るが、間違いなく器の色が変わってしまうし、ヒビや傷があればもっと酷いヒビや傷になるし、それが原因で器が歪んでしまうこともある。まぁ百害あって一利なしだろう。)
私が実験で焼付け修理をしていたときは、自分で作った未使用の器を使っていたため、この素地に染み込んだ汚れがあることに気付かず、お客様から預かったヨーロッパのアンティークでそれが分かり、半年かけてe-bayで同じ器を見つけて落札して弁償したという失敗をした。無論、それでも許して頂けず、今でも本当に申し訳ないことをしたと思っている。
更に、漆は成分のほとんどが油なので、加熱の際に油煙を出す。この漆の煙は極めて厄介で、特に、貫入の入っている器は、間違いなく修理箇所近辺の貫入に染みこんで、貫入に色を付けてしまう。貫入の無い器か、あるいは最初から貫入が目立つ器であれば気にならないかもしれないが、白い器のはずが、修理をしたら蜘蛛の巣が張ったような柄が出てしまったとなると、これは泣くに泣けない。そして、この染まった状態も、上記に同じく除去することが出来ない。
最後に、これが一番大切なのだが、最初に漆は温度が上がると酵素の活性が行われなくなると書いたが、焼付で硬化する前に、漆の粘着力は極度に落ちる。つまり、破損形状によっては、窯の中で付けたはずの器が分解してしまう可能性がある。分解したまま漆が固まれば、その後、再修理で漆が除去できずに噛み合わせが悪く接着強度が得られないという事も起こりかねない(というか、間違いなく起こる)。
自分で使っている器を自己責任で直すならともかく、他の人の思い入れのある器を極めてリスキーな方法で修理する必要は全くないと私自身は考えている。基本として修理は喜んで頂くために最善を尽くすのが前提だろう。当たるも八卦、当たらぬも八卦で修理を行なってはいけないと思うし、漆が硬くなるからといって、元の器にダメージを与えるくらいなら、強度が落ちて再修理が必要になっても元の器へのダメージを最小限に押さえるのがプロとしての仕事ではないかと思う。
江戸時代の修理には「焼き継ぎ(ガラス継ぎ)」という粘土とガラス粉を用いた修理もあったが(粘土とガラス粉を使うというのは、どうも私だけが言っているみたいだが、それはさておき)、焼き継ぎが行われなくなったのは、漆の焼付けと同様のリスクがあったためではないかと私は考えている。漆の焼付とは関係ないが備考として。
とにかく、そういう意味で、修理屋として、漆の焼付け(広義には陶磁器の再加熱処理)の修理をやることはご法度なのだ。もし、漆の焼付け修理を見当しているという方は、これらのリスクを認識し、かつ、全てのリスクを回避する手段を見つけた場合のみ行えると考えて頂きたいと思う。