ツイッターとステーション

どうせブログの整理をして、ちょっと見た目も変えたので、せっかくだから少しだけ文章も書いておこうなんて思う。
少しといっても140文字ではない。そう、今回はtwitterについて。
twitterで他人の幸せな発言を読んでいると、自分が惨めになってツイッターを止めてしまうのをSNS症候群というそうだが、私は別な意味でtwitterがちょっと嫌になってきている。
ちなみに、いつごろからtwitterを始めたかと思って調べてみたら、最初の投稿は2010年1月27日だった。最初の発言は「どうせ長続きしないだろう」ってつぶやき。まぁ3年弱は続いているので、当初の予想よりはだいぶ長いと思う。
だが、そろそろ限界のような気がしている。人には得手不得手というものがある。twitterは私にとっては不得手な居場所だということが2年を経て分かるようになってきた。好き嫌いということではなく不得手なのだ。
その最大の理由は、人がたくさんいる環境というのが生理的に苦手だという性分にある。といっても、別に1000人も2000人もフォローしているわけではない。最初から、たくさんの情報を処理できないことは分かっていたので、今現在、フォロー数は20数名である。しかも、そのうち半分くらいはつぶやかなくなったようなので、実質的には10人強ってところだろう。だが、フォロー数が10人でも、タイムライン上にはそれぞれの人が私と全く関わりの無い人と話をするリプライやRTが入るので、結果的に50人くらいの人がいる計算になる(と思う)。もう、それで完全に人酔いしてしまうのだ。
新宿や池袋や渋谷の改札を見ていると気持ちが悪くなってしまうのと似ている。東京に住んでいたころは、私も新宿や池袋や渋谷の駅を歩いたものだが、私にとって駅は通過するところであって、止まって、そを聞きくためのところではなかった。あくまでも目的地に向かうため仕方なく通る経路の一点に過ぎなかった。だが、twitterのタイムラインは、完全に駅の改札の近くに止まって、そを聞いている状態に思えてしまう。まぁ、そもそも、喫茶店へ行っても、食べたり飲んだりする目的が達成できた後に、そのまま長居をしていることが出来ない性分だ。そして、twitterのタイムラインも同じことだと気付いてからは、心底、これでもかというほどに居心地が悪いのだ。
自分がタイムライン上に居るということが、どうしても不釣合いに思える。しかも、居心地の悪い場所で意思表示の発言をするのは私にとっては、かなり苦痛なのだ。
私はほとんど人が訪れないようなブログで、140文字を気にせず、ぼそぼそとつぶやいているのが好きな人なのだなぁと、そんなことに気がついた。廃屋の中に吊るされた風鈴みたいな有り様が、自分には合っているのかもしれない。
twitterで人酔いするのは、何症候群なのだろうか。そんなのは私一人か。

2件のコメント

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Windows NT 5.1) AppleWebKit/537.4 (KHTML, like Gecko) Chrome/22.0.1229.92 Safari/537.4
    私、フォローしてるのもされてるのも少ないです。されてる方にいたっては先日知らない人はほとんど整理したので一桁になりました。その上、ご存知の通り、パスワードかけました。もう好き放題です(笑)。
    昼間に読むつぶやきも、ねこたにこばんさんと、て○こさんと、他の友達2人が主ですね。そのほかに数日に1回くらいの方がいますが。
    先日CNNをフォローしたら、時差の関係で夜中にいっぱい届くので、夜は英語、昼は日本語のツイートが続くという状態です。でも、量的にはぜーんぜん大したことありません。これくらいの人数だと気楽です。

  • AGENT: Mozilla/5.0 (Macintosh; Intel Mac OS X 10_8_2) AppleWebKit/536.26.14 (KHTML, like Gecko) Version/6.0.1 Safari/536.26.14
    そうなんですよねぇ。やっぱり一桁くらいじゃないと、読む気になりませんよねぇ。
    三桁フォローの人なんて、どうやって頭の中で整理しているのだろうというのは前から不思議です。まぁ、たぶんつぶやくだけで読まないんでしょうけど。

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