風の行く末

今回は例外的に特定個人に対してのメッセージなので、意味不明な箇所多数だと思う。申し訳ない。個人ブログということで許して頂きたい。
若い君は、幸不幸に物指を当てて、足りない幸せを嘆いているようですが、中年になったオジサンの経験からすると、幸不幸は風のようなものじゃないかと思うのです。
背後から吹く追い風は幸、正面から吹く向かい風が不幸。そんなふうに考えてみてはどうでしょう。
背中を押して、歩みを助けてくれる追い風。それはとても心地の良いものです。
逆に、向かい風はなかなか歩みを進ませてはくれません。前へ進めない状況は確かに辛いものです。でも、どんなに向かい風が強くても、君の体に当たる風の量は全風量に比べればとても僅かです。どんなに大きく手を広げていたとしても、体に当たらない風は、君の横を通り過ぎてしまう。そして、体に当たる風もまた、気づけば流れていってしまうものです。
ところで、帆船というのは、帆の角度を調節すると、向かい風でも前へ進むことが出来るそうです。風の流れを使って、帆船は推進力を得られるんだそうです。向かい風すら、推進力へ変えることが出来るなんて驚きました。そう考えると、じつは前へ進むのに追い風も向かい風も大差ないような気がしてきませんか。
風はいろいろな方向へ吹いて、空気を撹拌しながら湿度や気温を調整し、地球に住む生命の生活圏を作っています。風が吹かなければ生命は生きていけないと言っても過言ではないと思います。幸不幸が風と同じようなものだとしたら、風が生命を育むように、幸不幸もまた生命を育むために必要なものだと考えられそうです。身にふりかかる不幸にも命のための何かがあるような気がしませんか?
とは言え、オジサンもすべての風を推進エネルギーに使える帆は持っていません。いまだに帆の作り方すら分かりません。追い風にも乗り遅れながら生きてきたのは間違いありません。だから、推進力についてはいつも模索しています。でも、まだ何も思いつきません。頭が固いからだと思います。このまま固くなり、歳を取って、そのまま死んでしまうのかもしれません。
だから、今、君にこれを書き記しておきます。君の人生はまだ始まったばかりで、アイディアを巡らす時間もたくさんあるでしょう。羨ましいことです。
そして、もし、ちょっとでも良いアイディアを思いついたら、秘密にしないでオジサンに教えてもらえないでしょうか。よろしくお願いします。