ツイッターとMacとロクロの関係

お久しぶり。
漆に木炭を入れる話を書こうと思いながら、益子陶器市疲労、加えて、その間に溜まってしまった陶器の修理品の山でヒーヒーしており、それどころではなくなっております。猫田さんの日記で茶を濁しているけど、それではあまりにも申し訳ないので、近況報告を交えながらちょっと。
今話題のツイッターを始めてみた。(でも、宣伝はしません。こっそりやっているので。未だにフォローしてくれる方5名。笑)元来、文章を書くと長くなる傾向なので、最初は140文字以内という感覚がまるで掴めなかったが、文字数を感覚的(視覚的?)に把握して、文章のどこを切ると既定字数でイケるか分かるようになってきたら、結構、面白くなってきた。とは言っても1日に1〜2回の更新。私は本来、ノーフィルターで思ったことをつぶやくというのが得意ではないのかも知れないと気づいた。ただ、毎日更新というのは自分的には革命的なことなんだけれども。
それから、ちょっと高額な(私的には)買い物をした。一つは、パナソニックのGF1というデジタル一眼カメラ。今まではCanonのIXY800lsというコンパクトデジカメを使っていたが、もう、吐き出す絵が雲泥の差。当然といえば当然なんだけど。絵画講習会にもモチーフの写真を配ったり、構図の話をするのに非常に使えるので、良い買い物をしたと思う(ちなみに、猫田さんの日記は、これで撮ってます)。
で、もう一つは、写真を撮ったらデータを処理しなければならない。かれこれ10年以上使っているPowerMacG4(OS10.4)で最初は何とかやっていたのだが、GF1の生画像を読み込めるソフトは結構重くて、悶絶するほど動きが遅い。なにせメモリーが最大1GBまでしか積めない。さすがに腹に据えかね、大枚を叩いて新型iMacを買ってしまった。PowerMac7100で初めてMacに触れた時、シンプルという思想を形にするプロダクトデザインに感動を覚えたが、iMacでは更に磨きがかかっていて、驚きドンッ、更に倍。Windowsはソフトが多いし、キーボードもマウスもボタンが多いし、選択肢という点で使いやすさを求める人に向いていると思う。ま、実際、選択肢は使いやすさに直結する部分が大きい。でも、個人的にはシンプルゆえに楽しさが生まれるMacに魅力を感じる。私はMacの方が肌に合っているんじゃないかと思う。
最後は、ロクロについて。
よく、ロクロ体験では「力を抜いて」という言葉を聞く。私も「力を抜いてください」と言ったりすることは多いけど、本当は「力を抜く」という表現は適切ではない。「要らないな力を除いて、必要な力だけを残す」が正確な表現だと思う。とは言え、いきなりそんなことを言われても理解できないと思うので(私もそれを理解するのに10年くらいはかかっていると思うし)、力を抜くという表現をするわけだけど。
体というのは不思議なもので、緊張をすればするほど力で力を邪魔するようになる。本当に必要な力を他の力で相殺してしまう。力が入らないと思う時、その多くは、力が入らないのではなく、別な力で必要とする力を遮蔽してしまっていることが多い。だが、不必要な力というのは無意識に起こるものなので、自分では力が発生していることにすら全く気づかない。
ロクロを挽く時には、この無意識に起こる複雑に絡んだ力から、必要な力だけを取り出すためにどうやって自分を制御していくかが一番重要で、ロクロを教える場合にも、それを気付いてもらえるようにすることが、実は一番大切なことではないかと思う。そのことに気付くと、ロクロを挽くことは俄然、面白くなる。形が出来上がるということの芯の部分が見えてくるからだ。
というわけで、今回は、ツイッターとMacとロクロでシンプルについて考えてみた。
こういうのは、意外と短時間で書けるもんだな。
今度は、何としても木炭の話を書きたいと思うけど、時間作れるだろうか。

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