命との距離感

毎回毎回、ブログ更新をサボったことの陳謝から始まってます。けど、また陳謝します。ごめんなさい。10月に書き込みを1回やって、現在は完璧に年末。本当に申し訳ありませんでした。
↓以下ここからは常体。別にネタが何も無かったということはない。東京で作陶講習会があって高速道路の運転で緊張し過ぎてサービスエリアで貧血になったとか、弟夫婦に子供ができたとか、親戚が結婚することになったとか、いろいろと小さな事件(?)はあるし、それについて思うところもあるのだが、どんなに論述したところで所詮は遺伝子レベルから自分を猛省する内容にしかならない。文才の無い私がそれを書いても、他人が読んで面白い話にはならないだろうと判断し掲載を見送った。サービスエリアの貧血は単に恥部だから掲載しないんだけども。
で、そんなこんなで12月も半ばを過ぎた頃、この猫田に小判のブログを読んで是非とも金継ぎについて話をしたいというメールを頂き、実際、10日後に、その方は西日本から交通機関を乗り継いでいらした。近所のコンビニへ自転車で行くのも億劫な私からすると、本当に奇跡に近いことを実現する人だとビックリした。とても熱心に話を聴いて頂き、美味しいカステーラのお土産も頂いて、世の中の大人ってやっぱり凄いんだなぁと思わずにはいられなかった。先日、その方からブログにそのときの旅行記を掲載しましたとメールを頂いた。このブログにはリンク集がないので、とりあえず、その方のブログのリンクを張っておこうと思う。私のことについては褒めすぎだと思うので、話半分(いや、10分の1程度か)と思って頂きたいのだが、それ以外の内容は鋭い洞察眼とリズミカルな文体でとても楽しい。お勧めだ。
http://koubou-uwansora.petit.cc/
話は変わって。派遣社員の大量解雇とか、年末になって世の中はいろいろと大変ですね。って他人事じゃないのだが。それにしても、派遣で解雇された人の言葉をネットで読んでいると、もう生きていけないと愚痴っている人よりも、ぶっちゃけ私のほうが金額だけで比較すれば実入りは少ない。経費や食費を除いて手元に残るのは5、6万円では貯金が出来ないし生活もできないと書かれていたりするんだけども、私は毎月、それよりも少ない額で何とかやっているたりする。まぁ、実家に寄生して屋根だけは何とか確保している私に偉そうな事は言えないのだが、世間って長生きの煩悩に執着しすぎじゃないか。と思わなくもない。これってやっぱり間違っていますかね?世間の基本って「今日の命は明日の自分の生活の掛け金にするのが当たり前」っていう判断でしょ。でも今の私は「明日に死んでも後悔しない投資を今日の命で払っておく」ってスタンスで生きている。これを「後悔先に立てる」とか「宵越しの命は持たない」と私は短い言葉で表現するのだが、これって人としてやっぱり駄目ですか。甘いっすか。いくら言っても共感を得てもらえないから、駄目なのかもな、と薄々考えてもいるんだけど。
ちなみに、このブログで、金継ぎや陶器の修理について、基本的に包み隠さずにいろいろ書いているのも、そういうスタンス故のことである。「知りえた知識はできるだけ公開する。それが後悔しないための投資だ。」と私自身は信じている。
私の信念が世間の考え方からズレまくっているのは否定しないし、子供の理屈だとか机上の空論だというご意見も、もっともだと思う。でも、とりあえず心のどこかに落ち着く椅子が作りたいから、そういう考え方で楽になっている人もいるってことは、書いておいてもいいんじゃないかと思ったりする。誰にでも薦められる考え方だとは思わない。でも、そんなことを思いもしない人や、そんな考え方じゃ生きていけないと思っている人には、とりあえず、そんな考え方でも何とか命の火を保っている人もいることを知って頂きたいとは思う。保っているというよりも、一応、保ってきたと言ったほうがいいかもしれないが。
では、みなさん、良いお年を。

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