去り行く心

東京に居たころは、少なくとも1週間に1回以上は牛丼屋へ行った。空腹だからという理由以外にも、あの独特な雰囲気が好きで足を運んだということも多かったように思う。
私が始めて一人で東京へ行ったのは、確か美大受験の下見だったと思うのだが、その時、帰りに腹が減って食事が出来るところを探して入ったのが、吉野家。まだ栃木ではマクドナルドも珍しく、ピザなんてものも知らなかった田舎の若者にとって、テレビでしか見たことのなかった牛丼という食べ物は、もはや東京の象徴であり、魅惑の世界と言ってもいいものだった。だが、いざカウンターに座って牛丼を食べ始めると、何となく殺伐とした都会の孤独感に襲われ、牛丼を味わうこともなく、急いで店を出た。それが私の牛丼デビューだった、と記憶している。
そんなこともあって、東京で下宿をして美術予備校に通っていたころには、牛丼屋へ足を運ぶことはなかった。(予備校と下宿の道すがらに牛丼屋が無かったという理由も大きいけど。)だが、大学生になると、貧乏学生には安くて量の多い牛丼はもっぱら主食となり、牛丼屋へは足しげく通うようになった。
都会と焦燥感の象徴。それが私にとっての牛丼である。ちなみに、私はいまだかつて二人以上で牛丼屋へ行ったことがない。牛丼から焦燥感が払拭できない理由の一端は、そこにあるのかもしれない。
それはさておき、そういうわけですっかり私的ライフサイクルに組み込まれていた牛丼だったが、狂牛病の影響で突然、牛丼は日本から姿を消した。そして、その代替として登場したのが豚丼だ。始めて食べた豚丼は、本当に牛丼の代替物のようで、あまり美味いとは感じなかった。
牛丼が豚丼になってあまり日も経たない頃、私は東京を離れて、ここ栃木へ帰ってきた。私が上京した頃は、まだ栃木に牛丼屋というものがなかったから、田舎へ帰ったら牛丼屋へ行くことも出来ないだろうと、東京での最後の食事は牛丼屋にした。だが帰郷した栃木には、物凄い数の牛丼屋が乱立していた。帰ってきてしばらくは、東京の空気を感じたくて、自転車で牛丼屋を回ったりもしていたのだが、そこで売っているのは牛丼ではなく豚丼だったから、何となく自分の中では東京というイメージが薄く、気付けば牛丼屋から足が遠のいてしまった。もうかれこれ1年以上になる。
そんな折り、たまたまネットで吉野家のサイトを開き、そこで目にしたのが「吉ブーさよならムービー」。(吉ブーは吉野家が豚丼の認知を広めるために作った豚のマスコット)。何と、吉野家の豚丼、10月31日をもって販売終了だそうで、それに伴い吉ブーも同日をもっていなくなってしまうらしい。そのセレモニーとして掲載されたのが、吉ブーさよならムービーである。
深夜にこのムービーを見つけ、いやぁ、マジで涙を流して一人で泣いちゃいました。男泣き。「思い残すことなく吉GYU(吉野家の牛丼マスコット)に全てを任せて自分は去るんだブー」という吉ブーの心意気が、何となく東京を去る日の私の気持ちとシンクロしてしまって、涙ザブザブ。テレビやラジオで「涙が止まりませんでした」なんてコメントを聞いて、そんなわけあるかい、と心の中で突っ込んだりしてましたけど、あるんですね、そういうことって。
それにしても、牛丼復活の大きな文字の下に、さりげなく置かれたこのムービー。吉野家、あんた粋だ。偉いぞ吉野家。会社更生法申請で立ち直っただけのことはある。去り行く者への感謝と思いやり。これぞ、日本人の細やかな心遣い。
私は日本人の根幹に「憂い」というものが存在すると思っている。そして、昔から日本人は、この憂いと向き合い、どう捉えるのかということのために文化芸術を発展させてきたように思う。千利休の茶の湯なんてのは、まさにその象徴。憂いへの気遣い無くして、日本人の芸術観は存在しないと言っても過言ではないと思う。
そして、この吉ブーさよならムービーには、そうした美しい日本の心があるように思う。美しい日本がどうしたこうしたと某首相の言葉でメディアは騒いでいるが、そんなものよりも、わずか数分の吉ブーさよならムービーにこそ、美しい日本はあるんじゃないかと思う。
10/31には、大雨が降っても豚丼を食べにいこうと決心した。あぁ、でも豚丼を食ったら、泣いちゃうかもしれない。うーん、店で食べないで持ち帰りにしようかな。

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