万能か盲目か

金継ぎを紹介しているサイトは多い。壊れた思い出の器が、元の器の形状を取り戻すというのは魅力である以上に、情に訴えるところが大きい。何にしても良い事だとは思う。だが、正直に言ってしまうと、陶器を修理する方法は、金継ぎ以外、誰も考えないので、結果的に金継ぎサイトが多いというのが現状なのも事実だと思う。(ヨーロピアン修理というのはあるけれど、あれは日常食器の修理として行うものではないので、この場合は除外するとして。)
実は最近、陶器修理の仕事を始めて、本当に金継ぎでいいのか?と思うことが多くなった。
金継ぎは漆技法の金蒔きの一部なので、当然、奥が深い。漆の扱いは勿論、実は金の選別が重要だ。金継ぎサイトでそこまで扱っているものは皆無に等しい(と思う)ので、少しだけ説明しておくと、金継ぎで使用する金粉は純金の他、銀と化合させた何種類かの色がある。五毛色や2号色、三歩色などと名称がついていて、赤っぽい金色から青っぽい金色まで様々だ。更に、粒の大きさや形状により、消金や丸粉という選別が行われていて、これは光沢度合いに違いが出てくる。大きな粒の場合は光沢が全くないので、蒔いた後に研磨して光沢を調節する。金継ぎをする時には、欠損箇所の大きさや器の色に応じて適切な金を、まず選ばなければならない。(金継ぎをやっている人間が、全員、こんなことを気にしているかどうかは知らないが、私はとりあえず気にしている。)
だが、どんなに微妙な違いを気にしたとしても、所詮、修理箇所は金色だ。漆の性質上、金を蒔かないと接合箇所は黒色になる。それが格好良い場合もあるが、多くの器は格好悪く見えるので、結局、金はそうした漆の性質をごまかすために使っている、とぶっちゃけ言ってしまっても間違いないと思う。蒔いているのが金という高価な光り物なので、とりあえず悪い気はしない。金継ぎサイト(特に金継ぎを仕事にしている人のサイト)は、それにつけ込んで「かわいくなった」とか「おしゃれになった」とか言って器をほめることが多いが、私は預かった器を見ていると、正直「金は嫌だ」と叫んでいる器があるような気がしてならない。実際、金を蒔いてから、どうしても納得がいかず次の日に削り落とすこともある。陶芸屋が修理をすることの難しさがここにある。
光り物に頼らない、カジュアルでモダンで安全な修理方法はないものか。器の修理は、本来、そこから考えていかなければいけないのだろうと、考えている。器の修理が日常から遠のいてしまったことの要因の一つには、そうした器へのアプローチが欠落してしまったこともあったのではないかと思ったりもする。

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