かぶれらー

相変わらず仕事がない。営業でチラシと名刺は配っているものの、やはり陶器修理はなかなか世間に浸透しないようだ。珍しい仕事なだけに顧客の開拓は至難の業ってことか。
というわけで、仕方が無いので、毎日、むかし作った自分の器をカナヅチで割っては接着し、また割っては接着し、ということを繰り返している。ほとんどフランケンシュタインのような器の様を呈しているのは、少々痛々しいが、まぁ、技術向上はこういう仕事の場合、やはり必須であるから致し方ない。特に金継ぎは、これまでずっと接着剤に頼っていたので、本漆を使いこなすために一人修行に明け暮れねばならない。
漆は基本的に常温硬化する(一般的には乾くと表現する)天然の塗料だ。塗料というのは人間の勝手な解釈であって、本来は漆の木が自ら傷を治すために出す樹液なので、当然、漆が生息している環境を出来るだけ再現してやると、最も良く硬化する(ってことになる)。本に書かれている漆の使い方は、要するに、この漆の生息環境をいかに再現するのかということが細かく記されていると思えばいい。
しかし、私は焼き物屋である。また、先の焼き継ぎの実験の繰り返しで、漆を加熱すると常温硬化よりも早く強い密着性を生むことが分かっているので、仕事として陶器の接着に漆を使用するなら、この事実を生かさない手はない。というわけで、漆関連の本には全く記されていない独自技術(だと思う)の金継ぎをやろうと思って実験を繰り返している。企業秘密なので詳しくは書かないが、陶器接着に漆を使うなら、ある原料と漆を混ぜると非常に良好だということが分かった。おそらく、この混合法が焼き継ぎの技術に変わっていったと私は考えているが、何故、こんな良好な手段が廃れてしまったのかは不思議でならない。陶芸屋で金継ぎをしている人間は、意外に保守的で漆のセオリーに従順だったりする。漆屋の言うことをそのまま守って金継ぎをしているみたいだが、もっと本漆の世界は異なるジャンルの人間が関わって様々な方法を模索するべきだと思う。
ところで、すっかり漆バカって感じでかぶれている私だが、じつは精神的だけでなく体もかぶれてしまっている。かなりかゆい。かゆいというよりも痛いという表現の方が適切かもしれない。長い陶芸仕事のせいで手の皮が厚くなっているためか、手そのものは、いくら漆がついてもかぶれないのだが、手に漆が付いていることを忘れ、その手でいろいろなところを触ると、二次感染状態で手以外の場所にかぶれが発生する。花粉症のため作業中に鼻をかんだりすると、ティッシュについたわずかな漆で、顔がかぶれる。作業中にトイレへ行ってうっかりした日には、下半身がかゆみで悶絶状態。これはかなり、しんどい。
出来るだけ手を汚さずに接着を行う技術の向上と、体に漆の抗体が出来るのを待つ以外、これを回避する方法はなさそうだ。次から次へとまったく難儀なことである。
追伸。焼き継ぎはどうなったか気になる方へ。ほぼ再現域に入っていると思う。要するにコーティングとして使用している低温釉が生合わせ(フリット化せずに原料を調合してそのまま使用する)ものだったらしい。低温釉は基本的に珪石と鉛を混ぜて作るのだが、どうやらそれに粘土を混ぜていたようだ。粘土の混合量が多いと昔の焼き継ぎと全く同じ発泡痕が残るので、おそらく間違いないと思う。たぶん、この粘土量の調節で、素地接着用とコーティング用を使い分けていたのではないかと思う。で、失敗すると発泡痕が残ってしまうということらしい。