焼き継ぎ

親戚のおじの友人が骨董屋を始めたので紹介してやる、と言われ、勉強を兼ねて遊びに行ってきた。私は東京に居たころ、美術館や工芸館へは足を運んだが、骨董店はどうも敷居が高くてほとんど入ったことがなかったので、非常に良い経験になった。
そこで話をしている時、たまたま江戸時代の器修理の話になった。じつは江戸時代は驚くほどのリサイクル社会で、陶器も「焼き継ぎ屋」と呼ばれる修理工が「ガラス継ぎ」という技術で器の修理をしていた。しかも、焼き継ぎ屋は大繁盛で、正規の陶器販売店が潰れてしまったという記述も残っている。その焼き継ぎ屋の行うガラス継ぎは、フリットあるいは白玉と呼ばれる鉛入りの低温釉を接着剤の代わりにして破損陶磁器を焼着させた手軽な修理技術と書かれることが多い。
しかし、私は、常々、そんなことが可能なのかという疑問があった。低温とはいえ、釉も本体も700度程度の加熱は必須。しかも窯の中で釉は熔けて液状になるので、よほどラッキーでない限り接着部分がずれる。(現に釉付けで接着位置がずれた経験は、在職中、何度もあるし。)だが修理品のずれはほとんどない。接着剤なら液体が個体になるので最初に接着位置を合わせておけば問題ないのだろうが、ガラスでの接着は個体→液体→個体という変化を経なければならないため誤差が大きくなる。また、仮に形を保たせようとすれば、700度以上の温度でも壊れない物質で形を保持しておく必要があるのだが、そうした跡もない。(何かをあてて再焼成すると、大抵、その部分に痕跡が残るのだが。)しかも、高台裏に釉ガラスで筆書きされた修理工のサインが入っていたり、畳付きが修理されている事もある。もしこれがガラスによる修理なら、決して手軽な修理ではなく、漆継ぎよりもずっと高度な技術なはずなのだが。
そう考えると、ガラス粉を使っての接着修理に疑問を持たざるを得ないのだが、焼き継ぎという名称どおり、修理工は小さな炉を使って器の修理をしていたことに間違いはない。そこで、店の方にガラス継ぎの器を見せてもらった。すると、これ、どう見てもガラスではない。確かに透明で発砲したような跡もあるのだが、鉛ガラス特有の透明度が無いし、仮に不溶状態だとしてもガラスの不溶とは明らかに違う。「これはガラスじゃないですね」と言ったところ、骨董屋は言った。「これは白漆ですよ。お分かりだと思いますけど、ガラスで接着なんて出来ませんよ(笑)。」
確かにそうだ。言われてみれば漆という気もする。そしてすぐさま、頭の中で白漆と炉が結びついた。江戸時代の修理工は、炉で漆を加熱することで短時間硬化する焼き付けの技術を使っていたのではないか。短時間硬化によって修理の回転率を驚くほど高めていたに違いない。
現在、この焼き継ぎ屋が持っていた技術とビジネスモデルは完全に途絶えて消えてしまっている。その最大の原因は機械による大量生産で陶磁器が安くなったからだが、この焼き継ぎ屋のビジネスモデルを復活させてみたい。実は今、真剣にそれを考えている。