陶芸どう?『陶磁器循環その1』

今回は以前から度々書いていた「陶磁器というゴミ」の問題について話をしてみたいと思います。なお、どうしても一発言で収まらなくなってしまったので(ニフティ掲示板は上限4KB、単純文字数で2000字弱しか一度に登録することが出来ない)申し訳ないのですが今月と来月の2回に分けての発言といたしました。どうぞ御了承ください。では、本題。
ほとんどの生物において生命維持の中核となっているのは、摂取・選別・廃棄というサイクルを伴った代謝のシステムだ。必要なものを取り入れ、不要なものを排除し続けなければ生命は自らを維持できない。この絶対原則は、単細胞の生命体から、哺乳類に代表される複雑な構造の生命体にまで当てはまる。更に、こうしたサイクルは、運動作用が高まるほど活性化・促進化される。
また、この摂取・選別・廃棄というサイクルは、地球上の様々な生命が相互的に係わり合い、さらに大きな代謝サイクルを形成することで環境の変化を出来るだけ一定に維持し、多くの生物が共生出来ることを可能にしている。ちなみにこの巨大な生命維持の環状構造をエコロジカル(生態系)といい、その構造を研究するのがエコロジー(生態学)、維持システムが完全に機能していることをリサイクルという。
さて、ここで話を人という生命体に絞ってみよう。人の身体的な特徴の一つに、脳の発達がある。動物の中でも、人は体に占める頭の比率が極めて高い。つまり動物としては異様に頭がデカい。これは直立歩行により巨大な頭部を支えることが出来たからだと言われており、その結果、人類は大脳を大型化させ、論理思考と豊かな感情表現を体得した。中でも大脳新皮質と呼ばれる厚さ3ミリ程度の神経細胞集積部は、こうした事柄をつかさどる人間形成に重要な発達部分とされている。しかし、それと同時に大脳辺縁系(動物としての基本的生命活動を担う本能欲求部分)とのバランスを図り、制御を行わなければならないという、やっかいな問題を抱えることとなった。これが精神的均衡の制御という難題だ。脳内における精神の働きは神経を通路とする電気的信号(パルス)で構築されると考えられているが、こうしたパルスの動きを直接認識化し続けるのは困難なため、制御の判断材料に代替物を利用する。それが、言語や音声あるいは加工行動で生まれるモノの生成だ。解剖学者の養老猛教授は、こうして出来上がった物質都市を脳化社会と形容しているが、人がモノを扱う本質は、要するに脳化の欲求に伴う具現化行動だと考えることが出来る。
なお、ここで言う具現化行動とは、作品を制作するという特殊な行為だけではなく、買い物をしたり、花を部屋に飾ったり、本を読んだり日記を付けたりする等の行為も含む。要するに日常行動の多くがパルスの具現化を無意識に行った制御行動だといえる。
ところで、具現化行動の本質が、本能と論理性との均衡を図ろうとする生命の維持活動の表出であるとするなら、当然そこにも摂取・選択・廃棄という代謝のサイクルが伴うことになる。
事実、脳内では、蓄積された多くの情報および外部刺激からの情報の取捨選択という代謝サイクルがあり、それに伴う外界への行動として、肉体を使用したモノの入手、選択、加工、廃棄などが行われる。
こうした行動は、「志向性の加算と減算」と表現されることもあるが、ここで重要なのは、加減相互のバランスだ。言い換えれば、摂取量と廃棄量の比率になる。純粋芸術では、選択に伴う廃棄は特に多く、制作のほとんどが臨界までの情報廃棄で、純粋化とは選択的減算に他ならないと言われることもある。
純粋芸術でなくとも、現代人、特に先進国に住む人間の多くは摂取よりも廃棄の比重が大きく、更に問題なのは、そうした廃棄が最初に記載したエコロジカルのキャパを超えている、あるいは初期段階で既にエコロジカルの持つサイクル性を無視した大量生産・消費が行われているということだ。そして悲しい哉、陶磁器は(おそらく最古に類する)エコロジー問題の出発点であったにも関わらず、現在も野放しが続いている。<つづく>
<補足>
大脳新皮質は哺乳類に特有の脳部位で、特に人類は6層構造の複雑な大脳新皮質を持つため、最も高等な脳の進化系だと言われてきた。しかし、動物行動学の飛躍的発展により他の生物も大脳新皮質が受け持つと思われる多くの行動が発見され、現在では大脳新皮質と同様の機能を持つ無層性の神経伝達系回路が脳内(または脊柱枢)にあるとする意見が出てきている。そう考えると、精神均衡の制御問題は人類だけに当てはまる問題ではないとも言えるが、問題解決のために長時間の具現化行動を行うという行動パターンは人類特有のものと思われるので、あえて、上記本文のような書き方をしたことを御了承頂きたい。

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